2016年3月8日火曜日

花のことば・・・2


今日は宇宙についてお話します。

みんなは、宇宙を見たことがありますか?

いつも見ているよね。

宇宙には、どこまでもつづく青空、太陽や月、夜にきらめく星たちがあります。

でも、それだけではありません。

目の前にある空気は空間となって宇宙のはしまでつづいているし、

空気につつまれている地球と、地球にくらしている全部が宇宙です。

君たちも宇宙にいるし、虫も木も海も動物たちも、さいきんもカビも宇宙のなかまだよ。

宇宙では、それぞれが「気をつけて」生きています。

まけないように、やっつけすぎないように、みんなが関係して生きています。

空を見ると、太陽がかがやいているでしょ。

そのまわりを地球が回っています。一回が1年です。

はなれもしないで、上手に回っています。

地球のまわりには、月が回っています。

飛んで行ってしまわないで回っています。

関係とはそういうふうになっているのです。

地球は、太陽のまわりを一秒間に30キロの速さでとんでいます。

すごい速さですよ。一番早いスペースシャトルが一秒間に8キロだから、スペースシャトルよりずっと早く地球はとんでいます。

地球は、自転と言ってくるくる回っています。一回を1日としました。

その速さは、一秒間に400メートルぐらいで回転しています。

それでも、太陽からはなれず、回転していても目も回りません。

でも、止まったら大変なことになります。

車が急ブレーキをかけた時よりもっと強い力がかかって、木も石もコンクリートのビルも全部が吹きとばされて何も生きていけません。

太陽と地球と月がうまく関係しているから、ずーとそのままつづけていられるのです。

 

では、この関係している太陽や地球や月はだれが作ったのですか?

人間が作りましたか?

それとも、神様ですか?

人間が作ったのではありませんね。

わからないから神様が作ったと思ってしまいますが、

実は、自然のはたらきで出来てしまったのです。

みんなは、自然を知っているでしょ。

宇宙も自然ですが、自然はもっと身近です。

その自然が宇宙を作ったのだから、自然が一番大切です。

自然が自然に作ってしまった地球に僕たちは住んでいるのです。

そして、僕たちも自然によって作られて今いるのです。自然の一部です。

海や山や花の自然を見ると、人は「美しいなー」と思います。

星も月も夕焼けも美しいなーと思います。

自然が美しいから、人は「美しいなー」と感じるように作られたのだと思います。

自然を美しいなーとほめてあげるために人はいると言う人もいます。

花は蜜を出したり、いい香りがあったり、美しい色をしているでしょ。

それは、虫たちをゆうわくしているのです。

虫たちを集めて、花は子孫を残すために密やいい香りや、美しい色をしているのです。

それだけではありません、人も、花にゆうわくされているのです。

美しいでしょと、花は人をいい気持にさせます。

人は、花だけでなく、海や山や川の自然を見ると感動しますね。

どんな人も、生きているだけで、感動できるのです。

 

君たちが目にするものは、自然だけではないですね。

とかいは、人が作ったものであふれているでしょ。

ビルや、でんせんや、どうろなど人が作ったものは美しいと言いません。
 
人がじょうずに作ったものは「きれいだなー」と言います。

好きなお洋服を見ると「きれいだなー」と思うでしょ。

美しいという言葉は大昔からあります。

赤ちゃんをかわいがると言う意味の「いつくしみ」と言う言葉が美しいに変わったのです。

赤ちゃんは人が作ったようですが、自然が作ったのです。

「きれい」はそれからだいぶあとになって、ぬのや、きれの見え方を「きれい」と言い始めました。

だから、人が作ったものを「きれい」というのです。

人が作るものだから、作るときには色々用心しなければならないことがあります。

だから「きれいにしなさい!」と言うようになりました。

美しいには、そのような言葉はありません。美しくしなさい!とは言いません。

美しいものは、もともと美しいのです。

だって、自然はもともとあったからです。

きれいは人が作ったものだから「部屋をきれいにしなさい!」という言葉も使われるようになりました。

美しいは、まんぞくしていい気持がしますが、

きれいには、「きれいにしなさい」という言葉がふくまれています。

 

君たちは、美しいと言ったことがありますか?

でも、きれいとはよく言うでしょう。

「美しい」を今年使ったことがある人はいますか?

たぶん、今のひとたちは、自然を見ることより、人が作ったものにきょうみがあると思います。

テレビもゲームもおもちゃもみんな人が作ったものです。

だから、きれいはよく使われます。

ぼくがおどろいたのは、富士山のてっぺんで、朝日が上るところを見ている人が、手を合わせてなみだを流していました。その横には、きれいねーと見ている人もいました。

自然は、人をよろこばせて、幸福ななみだを流させることがあります。

幸福な気持ちは自然からが多いのです。

でも、きれいねーという人は、なみだを流すまでよろこんでいませんでした。

上る太陽にきれいねということが一番おどろいたのです。

美しいという言葉を使わなくなって、きれいばっかり使っていると、自然もきれいと言うようになったのですね。

自然が僕たちを作ったのですが、その自然をきれいねと言うことは、

人が作ったものがきれいですから、

人間が自然を作ったと、かんちがいしているようです。

僕たちは自然に作られたのだから、自然を敬(うやま)わなくてはならないのに、

「うやまう」とはたいせつに思うということです。おかあさんを敬うと使います。

人間が自然をきれいと思うと、人間が一番えらいと考えて、自然の大切さを感じなくなります。自然を見たりさわったりして美しいと、よろこぶことがなくなります。

自然を感じるように人があるのに、人が作ったものにしかきょうみがなくなっています。

 

おとなは今、何もかもきれいにしなければならないと思っています。

性格もきれいにしたいし、当然姿かたちもきれいになりたいし、きれいに並ばなければならないし、きれいにせいとんしなければならないし、スーパーの駐車場の白線にきっちり平衡になるまで直さなければならないし、きれいにしたいものばかりです。

変わったことがきらいで、みんな同じようにきれいにしたいのです。

小さいころ、おてんばだった女の子が僕に言いました。

「私は、女の子らしくしなさいといつもしかられました。

元気に遊びたいのに、いつも注意ばかりでした」

おてんばな子は自然が作ったのだけれど、

両親はみんなと同じように、それはきれいにするということですよ、

おてんばでいるとしかられたのです。かわいそうでしょ?

自然は、いろいろあるほうが好きです。

元気な子、おとなしい子、ぎゃぐ好きな子、おこりんぼうな子、足の速い子、足が速くない子、色々いるほうがいいと自然は思っています。

オオカミにおそわれたお話しがあります。

オオカミは頭がいいんですよ。

足の速い子は、おそい子より早く逃げますが、前でまっていたオオカミに足の速い子が食べられたと言うお話です。

足のおそい子はどうしたかと言うと、自分が遅いのをちゃんと知っているから、木に登って助かりました。

そういうことがあるから、早くてもおそくても、それをちゃんと知っていればいいのです。

自然は色々な子がいるほうが、子孫のためになるから色々を作っているのです。

みんなが同じだといっぺんに食べられてしまいますね。

それだのに、きれい病にかかって、みんな同じがいいと思っています。

きれい病は、人がもっているやさしさをなくしてしまいます。

みんなは、きれい病にかからないでくださいね。

だけど、きれい病がいやだと言って、よごれた手を洗わないのはいけませんからね。

 

さいごに、モーツアルトのお話をします。

モーツアルトを知っていますか?

音楽を作曲した人ですね。

モーツアルトって言いにくいので、モーさんと呼びましょうか。

モーさんは、おかあさんにあまりかわいがってもらえませんでした。

さびしい思いをしましたが、ピアノ遊びがとくいで、さみしいときにはピアノをひきました。

みんなもモーさんのように、おかあさんにしかられたり、かまってもらえなければ、

何か、いっしょうけんめいになれるものをさがしてください。

お絵かきでもいいし、遊びでもいいし何でもいいんですよ。

さみしいのは気分ですから、方法さえわかれば、変えることができます。

けがをして泣いても、ばんそうこうをはってあめ玉をもらえばおいしくなめられるでしょ。気分はすぐに変わります。

うまく変えれなくて、お母さんにかわいがってもらえないと思いつづけると、そういう大人になります。それでは大変なので、モーさんのようにいっしょうけんめいできることをさがしてください。

モーさんは、さみしくてたまりませんでしたが、それを音楽であらわしました。

モーさんの曲が好きな人が多いのは、モーさんと同じさみしい思いをしたと感じるからだと思います。でも明るくて楽しい曲もたくさん作っています。

モーさんは、きみたちと同じように、よろこんだり、泣いたり、はしゃいだり、さんぽしたり、友達と遊んだり、そしてさみしかったりしますが、そんな毎日の気持ちを音楽で表しています。

お母さんは、うれしいときや、おこったときや、考えているときや、かわいがってくれるときや、かまってくれない時や、静かなことがあるでしょ。

モーさんはその気持ちだけを音楽にしたのです。

一日のできごとの気持ちだけを音楽にしたのだと思います。

でも、モーさんは気分を音楽にしませんでした。

気分は変わりやすいのですが、気持ちは安定しています。

それを、美しいメロディーにふくませて曲を作っています。

人が作った音楽だから「美しい」と言うのは変だと思った子はいますか?

人が作るものでも芸術と呼ばれるものは、「きれい」と言うことはできません。

もともと芸術は自然にあこがれて作られたからです。

自然のように美しくありたいと思って、音楽したり、絵を描いたり、小説を書いたり、バレーをしたりするのです。

だからさいこうのほめことばの「美しい」を使うのです。

モーさんは、さいこうの美しさで君たちと同じ毎日の気持ちを音楽にしました。

そして、モーさんは宇宙を見て、人のことを考えたのです。

僕はさみしい思いを持っている。

それは、おかあさんとの関係でそう思っているが、

宇宙をながめていると、「一人で生きていくのはあたりまえのことだ」とわかったのです。

さみしい気分が現れるのはしようがないですが、気分を大事にするのでなく、すぐに変わるものだから、気分は考えないでおこうと思いました。

宇宙の中で生きていく気持ちを音楽にしよう、と決めたのだと思います。

モーさんの曲は真理があるのです。真理は本当のことと言う意味です。

モーさんはひとりぼっちです、だれも守ってくれる人はいません。

ただ、宇宙に向かって、自然が作った美しさと同じものを作りたいと考えたのです。

だからモーさんの悲しみは、人がもともと持っている悲しみです。

よろこびも、だれでもが感じることができる真理として表現しました。

だから、モーさんの音楽にしたしんでみてください。

音楽はことばと同じで、したしめばわかるようになります。

きっと、幸せと感じることができますから。

 

みんなにあとひとつおねがいがあります。

人が作ったものは、いっぱいありますね。

だから、きれいは使ってもいいんですよ。

でも、自然にふれて「美しい」と時々言ってみてください。

「あっちに行ってよ」と言われてさみしい気分になっても、

小川のながれている水をながめたり、

赤や黄色の花を見たり、

青い空に白い雲がうかんでいるところをながめてください。

きっと、気分はすぐに変わります。

そして、心の中で「美しい」と言ってみてください。

 

                       近藤蔵人   27年12月12日

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