2017年10月27日金曜日

花のことば「9」




花のことば「9」


 

花ちゃんの堪忍袋の緒(かんにんぶくろのお)が切れたようだ。

11月に伊勢崎市内全校の小学4年生がコーラスの発表会を行うに当たって、音楽の授業で課題曲を練習している時のことだ。

音楽の先生は、今年、はなちゃんの小学校に転任してきた50代の女教師で、夏の奈良旅行で、はなちゃんが物まねをして、家族一同大笑いした熱意溢れる、また、音楽の意味をよく理解した先生だ。

発表会の練習を見せてもらったが、始まると、先生がワンフレーズ優しい声で歌うと生徒たちは同じようにやさしく歌い、元気な声になると子供たちも元気に歌い、長く伸ばして最後の音程をあげて伸ばすと、子供たちも同じように歌う。小さな声、小鳥のような声、いろいろな歌い方を子供たちに示すと、子供たちがそれに習って声を出す。
先生の声はちいさく、水のようにすき通っている。子供たちの声は、4年生だから低音は出ていないが、とても素直な声に、コスモスの花畑のように多種類な声というわけではないが、色違いの可憐な花で統一されているという印象を受ける。

授業が始まって数分で、この先生のような授業を子供のころ受けたかったと言う思いがする。(おじいちゃんは、初めから最後まで、この歌の歌詞にもある、あふれる涙が止まらない)

はなちゃんが、マネをするので良い先生だろうと思っていたが、こういう感じだとは想像しなかった。教え方や、先生の声を聞いて、はなちゃんは先生を崇拝しているのだと思った。いい先生に巡り合ったものだ。

おじいちゃんが、発表会に行ったら「花ちゃん、頑張れー」て言ってあげるねと言うと、「わたしは、指揮者の先生しか見ていないから、おじいちゃんのことは見ないけれど、帰ったらぼこぼこだからね」と言われた。

先生と練習中、歌詞を覚えていない子や、音程がいい加減な子や、声を出さない子がいて、先生が席を外したときに、はなちゃんは怒らないように気を付けながら

「勉強は、出来る子も出来ない子も、やらなければいけないけれど、芸術は、やらなくてもやっても関係ないと思っているのでしょうが、この発表会は、学校の名誉がかかっているのだから、もっとちゃんとやってよ!」と、堪忍袋の緒が切れて言ってしまったようだ。

音楽の先生は、子供たちを見る経験が豊富で、その上優しい人だろうから注意しない、はなちゃんが先生に成り代わって言ったのだろう。

え?とおじいちゃんはこの話を聞いて心配が先に出た。そんなに目立ってどうするんだろうと考えたのだ。
反抗する子がいて対決しないだろうか?
うじうじした子には恨まれないだろうか?
ええかっこしいだと思う子がいるのではないだろうか、と色々心配が浮かんでしまった。おじいちゃんは、思ったことはほとんど言葉にしないで、こうして、文章にして再考することが多い、そして、子供たちには、大人ぶった態度で接しないようにしているので、花ちゃんが、経験して自分でそこから学んでいけばいいと今では思っている。

エネルギーが過多な子は、生涯いろいろな壁に阻まれて苦労しなければいけないようになっている。のほほんと生まれると壁は少ないが、今度は、もっとはっきりしなさいとうるさく言われることになる。とかく生涯は生きにくい。

それでも、はなちゃんのように、真っすぐで、真面目に人生をとらえる子であれば、願わくば、負けないで続けていければいいなと、祈るよりありません。

 

音楽の先生は、この学年はよく声が出て、「花束」の曲はちょっと難しいし、4部合唱にしたので大変だけれど、うまく歌ってくれています、と、子供たちに拍手をと言われた。2,3じゅう人の父母たちは、惜しみなく拍手をした。

100人ほどの子供たちは、白いシャツに女の子は黒のスカート、男の子は黒のズボンの衣装を着て、大きく体をゆすって歌う子、小刻みに体を曲に合わせて歌う子、指揮者の先生を見ないで大口をあけて歌う子、口が開いているのか歌っていないように見える子、いやだなーともじもじしている子、それでも、左からhighソプラノ、ソプラノ、アルト、低音部と別れて、それぞれがパートに分かれて歌う。
先生が、高いふぁくださいと言うと、ピアノからポンと音が出る。それに合わせて、生徒たちが曲の途中から練習する。
体育館の空間に、すきとおった声が響いている。また、おじいちゃんは涙で裾をぬらしてしまう。

はなちゃんは、一心に指揮者の先生を見ながら、ゆるやかにからだをゆすりながら歌っている。

そういえば、ひと月ほど前に、青木さんと文哉とはなちゃんとおじいちゃんが車で移動中、どこへ行く途中だったんだろ?忘れてしまった。じゃあ歌の時間ね、と珍しくはなちゃんが言うので、じゃあ文哉からと催促すると、車の中では、皆で一人ずつ歌をうたう習慣になっているので、文哉がもじもじしていると、じゃあ私が歌うねと、はなちゃんは歌いたかったんだろう「花束」ね、と、気持ちを込めて歌い始めた。

今までの、一辺倒な歌い方でなく、ピアノシモやフォルテで歌うので、びっくりして聞いていると、難しい曲を最後まで歌ってくれた。青木さんと僕は、すごい!と手がちぎれんばかりに拍手しまくった。

それ以後、また歌ってと、お願いしても拒否されて歌ってくれない。

 

バレーの教室に送るときに、はなちゃんが興奮して、上に書いたこの日の始終を話してくれたので、帰って、婆ちゃんとママに話すと、二人とも、まあ!と開いた口がふさがらない。帰ってきたはなちゃんに、婆ちゃんがいきさつをたずねると、おじいちゃんのことをにらんで、「またはなしたの」と怒っている。
爺ちゃんは、子供の秘密をどうすればいいんだろう?あんまり話しすぎると、打ち明けてくれなくなりそうだ。困った、困った。花ちゃんの忘備録としても、大きくなって読んでもらいたいし、でも、そろそろ、早い思春期を迎えそうで、気を付けなければいけない。

2017年10月4日水曜日

青べか物語(山の隣人その3)


青べか物語

 

夏の夜は、時折、夜鳥が一声二声鳴くきりで静寂に包まれていたが、冷たい風が吹き始める秋の夜は、ジージーピリピリとコオロギの音が一面響き渡る。冷たい雨の翌日には、稲の青さがなくなり、黄色く色づいている。

昼間は心地いい日和になって、ああいい天気だなーと声が出る。

つい先日まで、青い稲穂を囲むあぜに、真っ赤なヒガンバナが美しかったが、黄色い稲穂の上空には、青空と白く漂う雲が広がり、一人空を見上げて何思うなくスーと呼吸する。

 

「青べか物語」という、川島雄三監督の昭和初期の映画があります。原作は山本周五郎です。

スランプに落ちいった小説家が、都内から離れて千葉の漁村に逃れて来る。

青べかというのは、海辺の川につながれ漂っている、水面に浮いているのか、沈んでいるのかわからない古びた青い小船の事です。小説家はこれを買わされ釣りに出かける毎日を過ごします。漁師町では、花魁がふざけ、商人は彼女たちを追いかけ、漁師たちはバカ騒ぎをしています。色と欲だけで生きている人々が、消沈した小説家を生き生きとよみがえらせる、というような物語です。監督は、人々の生態を、紛れ込んで調査して映画にしたのだろうと思います。

この映画に触発されて(僕は確信しています)。スエーデンのラッセ・ハルストレム監督が「マイライフアズアドッグ」という映画にしています。母親にしかられてばかりいるやんちゃな少年が、宇宙船に乗せられたライカ犬と同じだと思っている。帰ってくることのない孤独な犬の事です。母親が病気がちなので、子供を田舎のおじさんに預けます。飼っていた犬も連れていきたいのですが、許してくれません。その犬は、処分されてしまいます。

田舎では、変わった人物ばかりで、毎日が驚きの発見です。そのうち友達もできて、田舎が好きになってしまう、という物語です。この映画は、ラッセ監督の出世作でベストテンに入るほどの人気をとっている。

そんな文章が書けないかと、隣人の物語を書き始めたが、僕の書く文章は、執着とか、無私とか、あるがままの描写にとどまらなく、つい批評めいたことを書いてしまう。

その上、世界は悲劇だとか。

文章は、自己慰撫、自分深入りを目指していて、人に見せることが最初の目標ではない。しかし、書けば、作品にしたくて、まとまりのある文章になるよう添削したりする。テーマに合わせて考えていると、思わぬ解答が湧きでてきたり、それに合わせて書いているとまた方向が変わったり書いてみてやっとわかることがたくさんある。仕事と、文章のことで、近ごろは絵も描かず、文章に頼っている毎日です。

 

良寛さんという、僧に非ず、俗に非ずと言う生き方をした人物は、宗派により禁止されている和歌と詩歌と書に自分を託して、お坊さんを止めて、托鉢乞食のような一生を送りました。皆が名前を知っているように、素晴らしい作品を残しましたが、誰に向かっても書いていません。ただ自分の思うがままに生きていた人です。

良寛さんの文章は2編書いていますが、伝説としていろいろ伝えられていることの一つに、他者をどう思っているかが感じられる文章があります。

良寛の弟の由之が、長男が傍若無人なのでいさめてもらいたいと良寛に頼みました。良寛は、3日逗留しましたが、長男にいつまでたっても何も言いません。帰る時、草履をはかせておくれと長男に頼むと、長男の背中に冷たいものが当たるので、良寛を見ると、涙が落ちていたという話です。

批評しないは良寛が常に心していたことです。

人の複雑さは、言葉でいさめて治るものではありません。しかし、人は悲しい、考えれば考えるほど悲しいと良寛は思ったのでしょう。

まだまだ、良寛さんの境地は夢のようですが、そんな気持ちで書き始めた文章です。

色々な人が色々な人生を生きている。

イタリアの映画監督フェリーニが「人生はお祭りだ楽しまなければ」と「はちかにぶんのいち」という映画の最後に言ったように、やむを得ず生きている人たちの生態が描ければそんな感じが出せるかなと始めた文章ですが。多分僕は、2本の映画と違って、悲しさに、つい我を忘れてしまいがちです。良寛もそうではなかったかと感じています。

 

人間は永遠に不完全な存在です。不完全な人間が作る社会も、永遠に不完全なままです。

希望的、楽観的であるよりも、悪や不完全性を直視し、理性の限界を謙虚に受け入れることのほうが重要だといいます。人は、いつまでも欲や自尊心や負けず嫌いや疑いが起ります。それは避けることのできない思いです。

私たちの行為は、避けることのできないどうしようもないことによって導かれている。

人間の意識が届かないことの起動よって、人は行動する。

人間の行為は、理性を超えたどうしようもないことによって決定されている、あちら側からやってきた契機だけが、行為に道をひらく。

理性を過信して自分で何かしようと思うのではなく、あちら側にまかせる。

すべての「はからい」を捨てた愚者だけが、その愚者の瞬間こそが、絶対他力に導かれた浄土へ導かれる。

あらゆる「はからい」は、如来の本願の側にあり、自分たち人間の側には、自力に依存しないと言う態度しか存在しない。

親鸞と言う人は、悪人でも絶対他力になれば救われると説きます。

僕たちは生涯悟りを開けず悪人のまま生き続けなければなりません。親鸞はそれでいいと言うのです。意識でそれを直すより、そのままで「はからい」を捨てて任せて生きていけばいいと教えます。

正しい行いをしようと思う心が起るのも、宿業が誘いかけるためであり、悪事をはたらこうと思ったり、したりするのも、前世で行った悪が手を加えて左右するからである。

自分の力では、どうしようもないことだといいます。

僕は、お寺にもいかないし、仏教書を耽読しているわけではないのですが、自分では仏教徒だと思っています。勉学にはげみ、そののちそのすべてを捨てさる。そういう道が見えています。

人生は、家族関係人間関係が良好なら半分以上の幸せを手に入れたも同然です。それには人に対する「はからい」を捨てなければならない。あいつの行動が癪に障るのでなく、あんなことをしてら、変な奴だな、で多様性を認めるしかありません。

そして、天然自然に日々喜びが見つけられれば、あとは、どんな災難が来てもしようがないことです。ちょうど、青べか船のように、漂い続けられればね。