2018年4月23日月曜日

石牟礼道子



ひとびとは、狩猟採集時代以後、農耕的気質に変化した。
粘着質、執着疾など、農耕を行うべき気質に変化してきたのだ。
彼らは均質化し、先頭が崖から落ちたとしても知らずについて行き、あげくに全体がおちる運命にある。

中井久夫の「分裂病と人類」には、
狩猟採集民は、分裂病親和気質でストレスに弱く、定住せず、しかし、予言は出来る。
農耕民には阻害されるが、その分裂病気質が、人々を助けるという。
その中に、高校生が全国模擬テストを受けた話がある。
彼は、模擬試験成績発表前に分裂病と診断され病院に収容されたが、模試では、満点の成績であったと言う。
教科書のすべてのページが、脳裏に現れて解答できたようだ。

狩猟採集民は、昨日歩いた石の上の鹿の足跡を読み、乾燥した大地の水分のある草木を探すことが出来る、生存に必要なための感覚と記憶だ。
僕たちには、狩猟採集民的気質が幾分といえども残っている。
それを信じなければ、僕たちの未来がないように思える。

狩猟採集民は、石牟礼道子が書き続けてきた前近代のコミュニティを保存することにたけていた。
隣人と気心が通じ合い、草木、石、宇宙とも通じ合う。
その石牟礼の代表作「苦界浄土」には、彼女の幼少期の感受された世界が描かれている。
池澤夏樹が、日本を代表する作品と言い、ノーベル賞は、村上春樹より、石牟礼だろうと言われる声のうちに、今年石牟礼は亡くなってしまった。
彼女は、狩猟採集気質を感受しながら、農耕的生活を余儀なくされた自己を、近代に生きることを許されない前近代的性格とみていた。
石牟礼は「自分は虚弱だなと思うんです。本当に耐えきれなくなるんですから。自分の感受性というものが非常にもろくて、過剰に感じてしまって、物事と自分との間の均衡が物理的にうまくとれなくなってしまう。ですから非常に先取りしていって、美的に完結させたいと毎日思って生きているんですが、それが完結しないから死ぬことで、ひょっとしたら、他人には分らないけれども、自分一人の中では完結するかなと思ったりするんです。自分の中だけで自分自身のみっともないところを、そういう形で浄化させる非常手段がやれればやりたいんですが」と書く。 

「椿の記」には幼女の彼女の記憶が生々しく描かれている。
水俣川に流れ込む細い川に見とれ、おおいかぶさる大樹の椿を眺めながら、木や山や石や水と自分が同じ存在だと感じる。その前近代性が、未来の生きるよすがとなるべきところに石牟礼道子の世界性がある。
誰一人同級の友人とは遊ばず、父母と、おばたち、神経どんと呼ばれる気の狂った祖母、火葬場の隣のとんとん村での死と生の混合した生活、淫ばいと呼ばれる天草から売られてくる女たち、それらが幼い彼女の記憶として紡ぎだされている。
生活民に寄り添っている暮らしがあり、故郷があり、畑だけではなく海と山まで控えている生活がある。
しかし、彼女は、猫が青草を噛んで、戻すときのように、食べることには憂鬱が伴うという。生活の中に現れる生きとし生きるものに感覚が向かってしまうのだ。
彼女の文章の口語には、天草弁、水俣弁、熊本弁また熊本市内でも幾分区域によってニュアンスが変わる味わい深い何百年も共有された文化が描かれる。それこそ、漢字が現れる前の、古い日本語の名残である。狩猟採集時代会話された言葉である。


熊本には、徳富蘇峰、徳富蘆花、谷川健一兄弟、渡辺京二と文学者が現れる。その渡辺京二は、ハルピンに生まれ、小学生で世界文学全集を読み終わり、手元にあるあらゆる文章を読み漁り、近代の文学者と言ってもいい立場から、谷川雁のサークル村に顔を出した石牟礼京子と知り合う。
その当時の石牟礼は、苦界浄土を書き始めている頃で、文章の誤字脱字の訂正と清書を渡辺がしたと本人が書いている。渡辺は、石牟礼は、英国が島国であることも知らず、世界の文学も、日本の文学も彼女は読んでいないだろうと言っている。粗末な小屋のひと隅で、百姓仕事の合間に水俣をたずね、見聞きした事柄を、彼女の言葉で書き記したものが、苦界浄土となずけられ仕上げられた.
渡辺京二は。元編集の仕事に関わり、石牟礼道子の文章の生成に編集者として助言のみ行ったという。以後、亡くなるまで、食事の世話をしたり。病院に連れていったり、石牟礼の身近で、生きぶきを感じていただろう。