それでは、今日は「はな」ということばの意味をお話してみます。
おおむかしの日本では、話し言葉だけで文字がありませんでした。
文字は、となりの国中国の漢字を借りてあらわしました。
いつくしみは、「伊津久子見」と漢字で書いたのです。おもしろいでしょ。
話し言葉の数は今より少なく、
「おおむかしのひとたちのかんじた、たいせつなものがことばとなりました。」と、
漢字をくずして、女の人がひらが名で書くようになるのはもっと後のことです。
前に、いつくしみが愛や美しいの元のことばと言いましたが、
この「いつくしみ」は話し言葉で使われたことばです。
文字にするとき、中国のヒツジ(羊)が大きくて立派なという意味のことば「美」をかりてきたのです。そして、美しいと書くようになりました。
だから、中国の「美」と日本の「美しい」とは意味が違っているのです。
その文字のないときに「はな」は使われています。
君たちは、はなはどこでも咲いているから、言われなくてもわかると思うでしょうが、
よーく自然を見てください。
今では、すべてのものに名前がついていますが、大昔にはあんなにたくさん種類のある自然すべてに名前がついていないのです。
人にかかわりがあるものにだけ名前を付けたのです。
今の人たちが感じることを忘れてしまった、物が持っているパワーや、おそれや、清らかな感じや、聖なる感じなど感動が言葉で表されました。
大昔の「はな」は、花や鼻やはしっこをあらわす意味です。
たましいが集まるはしっこのことを、「はな」と言ったのです。
どこかかくれたところからあらわれでた「出ばな」です。
はしにある岬や、顔のでっぱたところの鼻や、しょっぱなの初(はなと読みます)や、ハナ初めと色々と広がっていきました。
ものごとの「気が集まる先」みたいな部分や、あらわれを示す言葉です。
花は、緑のくきや枝のさきから、いきなり赤い花やムラサキの花が咲きます。
赤い色やムラサキの色は、今までどこにかくれていたのでしょう?
不思議に思った人がいるでしょ。
かくれていたものがあり、それが現れることに感動したのです。
僕は、赤い梅の花を飾りたくて枝を折ると、枝の中に赤色の血のような水分がありました。
それが、はなに集まって赤い花になるのです。
梅の木は、地中の根から栄養分を吸い取り大きくなりますが、地中から色を取るのか、根っこで作るのかわかりませんが、茎からつぼみができ、つぼみに色があらわれ、美しい花がさきます。
山や森を見ると、木はうす緑色や、こい緑、茶色がかった緑におおわれ、幹が黒色から黄土色まであり、そのすこしくすんだ色に囲まれた中に、花が桃色や黄色や赤色であざやかに咲きます。
大昔の人たちは、その不思議に感動しました。
アメリカのインディアン(今は先住民といいます)が、白人は平気で花を折るが、自分たちは「花を折らない」と白人との違いを聞かれて答えました。
それほど、花は聖なるものでした。
日本でも、江戸時代まで花をむしることは禁じられていました。
かくれたところから現れた聖なるものそれが「花」なのです。
近藤蔵人 (見田宗助先生の本から)28年2月2日
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