2016年3月30日水曜日

神の声 または ちあきなおみ


「神の声」

 

セレンビリティーとよく使われているその意味は、

科学者が仮説を立て、論理に沿って実験をする。が、いつまでも仮設通りにならない。

実験は失敗の連続である。

仮説が間違っていたか?実験の方法が間違っていたか?思案するが、答えが出ない。

ある日、ふと、仮説は間違っていない、実験結果も失敗ではない。と脳がつぶやく。

調べると失敗した実験結果から思っても見なかった細胞が出来ていた。

その細胞の研究をすると新しい発見があった。これは良く聞く科学者の発見談である。

左脳・論理で進めていくが、一歩前に出た行動の結果は思うようではなかった。

だが、そこに新発見があった。新発見する右脳があった。

論理よりふとしたつぶやきに世界を俯瞰する目があったということである。

(セレンビリティーは、一歩前に出る行動の結果が、意図したものでなくても、新しい良

き結果が得られると教える。啓蒙主義の時代、若者に行動せよ、そして新たな事に思案せ

よ、さすれば新しい考えが起こる可能性が大きいと教えたのです)

「なめらかな社会とその敵」を書いた鈴木建の先生は、彼の研究資金の提供の理由に「彼

の言っていることは解らないところがある」と言って、資金を増額したという。

たいしたものだ。

解っていることは、既存の論理内に有り、解っているのでつまらない。

解らないことに未来性があると踏んだのだと思われる。

左脳が決定するのではなく先生の右脳が決定したのだろう。

それは、小説家がプロット通りに小説を進めていっても良い物は出来上がらず、途中何が

何だか分からない手に導かれて書いた物に、傑作が現れ得るということと同じではないだ

ろうか。良く言う誰かに書かされている状態である。天から降りてくるとも言われる。

右脳が左脳を使っている状態だろう。

「なめ敵」によると、ギリシャ以前には人類は意識を持っておらず、心は二つに分かれ

ていたという。

「およそ3000年前までは、人類は意識を持っておらず、右脳から響く「神々の声」に

したがっていた。心は基本的に2つに分かれていて、左脳は右脳の指令に従っていた。そ

して左脳が聞く右脳の声は、神々の言葉として受け取られていたのが、3000年前に言

語の発達によって意識として統合され、神々は沈黙した」と言う。

「左脳は右脳から響く神々の声に従っていた状態」であるという。

ソクラテスのダイモンの声である。

また、神は、声として存在し、形象として存在するわけではなかったという。

芸術家はこの右脳の働きによって、為すべき仕事が出来る。

左脳は構築・統合することはできるが、神の声は聞こえない。

農耕牧畜生活では、左脳有利に物ごとを図っていた。

その為世界は,蓄財できたが、人々は、執着気質となり息詰まる思いを抱いている。

左脳有利となる世界を構築してしまうと、人は右脳の声を聞きたくなくなるのだろう。

一つづつ進んで行く左脳の性格は、飛躍した意味不明の言葉に驚かされたくない。

気配の察知や、殺気からの逃避や論理で説明できなものに価値を置かなかった。

弥生時代から続いた数千年で、人類は右脳を抹殺してしまったかに見える。

鈴木建は、左脳右脳が分離した状態が常態で、分かれた人,分人民主主義を唱える。

そして、「世界の多様性を自らの中に取り込み、自己の多様性を世界にさらけ出す。その

ループの中から、もしかしたら新しい知性が生じるかもしれない」と書く。
 

昨年は、知性は6000年前の状態がピークであったと研究結果があった。

その時代は狩猟採集時代のことである。右脳の神の声が聞こえた時代だ。

狩猟採集者は分裂病親和気質と中井久夫先生は述べる。(ちなみに農耕牧畜民は、強迫神

経症親和気質という)分裂病とは左脳・右脳とこころが分かれている状態だろう。

中井先生は30年前に、分裂病の研究結果から、「分裂病と人類」という名著を書きあげら

れた。狩猟採集者気質の今日的意義を書いている本である。

意識は分裂していて当然であって、統合することに間違いがあるという鈴木建の言う分

心の考えには大いに納得するものがある。

意識の統合は、農耕牧畜者が「責任の所在」として植え付けたという。

率直に考えてみても、自分の考えも、行動も、想像も、感覚もその場によって変化し、相

手によって変化する。

読書すれば、影響され、風が吹けば流される。

そのままでよければ多様性は担保される。

 

先日、コーヒーショップに入った。

表には「会議も、打ち合わせも遠慮願います」と張り紙がある。

3テーブルの内2テーブルに予約とあり、一席空いているので座ろうとする。

店の若い主人が出てきて「今日は予約でいっぱいです」と断られた。

人嫌いのようだ。

人嫌いであるから喫茶店という商売が出来るのか。

素敵な人だけ来てもらえればいいのだから。

一時、なんだかなーと思ったが、そういえばぼくも人嫌いで人好きなので、抑圧しないで

おおいに人嫌いを通せばいいんだ、と納得する。

分人民主主義の多様性とは、嫌人主義も認めることだろう。

 

狩猟採集気質は、気配を察し、全体像を直観し、透視力を持ち、類推力があり、同定する

能力に優れていると、民族学の岩田慶治は述べる。

しかし、大人数の共同生活が苦手で、人的ストレスに弱いのだ。悲しい定めである。

その為か狩猟採集者は、弥生時代から漂泊者としてただようことになった。

右脳有利の漂泊者は、その性格から神の声を聞くシャーマンとなり、巫女となった。

芸能者の出自は、彼らから変遷していった。

 

昼ごはんを食べながら、今日は歌曲を聞こうと、色々なCDを取出した。

ちあきなおみにしよう。CDをかけ塩サバなど口に運ぶ。

何曲かの後、「祭りの花を買う」という歌が流れてきた。

ゆっくり聞き込む。

この歌は、何のことはない、タイトル通り花を買うと歌っている。

何度も聞いた曲だ。だが、歌に引き込まれ、目頭が熱くなる。

彼女の心に残る数曲には良くある現象だが、この歌は、ただ花を買うだけの歌である。

彼女の魂全体が乗り移った声、だが、静かに歌っている。

大きな声で歌うわけではない、どちらかというと小さい方だ。

場面に応じて声が変化する。

しみ入る。

この歌に、どうしてこれほどの情念をつぎ込み、全身全霊で歌えるのだろう。

そして、ちあきなおみはどの歌にも「さよなら」という感じがある。

日本の歌謡曲の中では、図抜けた表現力の彼女である。

巫女さながらに、歌詞が造形した主人公になりきる。

憑依したようである。

夫のお葬式の棺桶に抱きついて、私も連れて行ってと泣き叫んだそうである。

「喝采」は、別れた彼のお葬式の歌、実際の話だと言われている。

もう十数年表に出ていない彼女に復帰を期待する声と、アルバムのセールスが依然好調

だそうだ。

「右脳」で歌唱するちあきなおみは、

「わたしは、どの曲もこれが最後のつもりで歌っている」と言ったそうだ。

今生の別れと歌う歌なのだ。

こころにしみ入らないわけがない。

そんな彼女をバラエティー番組に誰が出したのか?

 

「赤とんぼ」では、今日で店じまいの居酒屋のおかみとなり、常連客との別れの哀切を歌い。

「ラ・ボエーム」では、かつての若き思い出である絵かきとの生活を慕情たっぷりに歌い切る。

「ねえ、あんた」は、少し足りない娼婦とひもとの非情に泣き。

「アコーディオンひき」では、死んだアコーディオンひきと同じような演奏をするあたらしいアコーディオンひきに、もうやめて!引かないで!と叫んで終わり。

「黄昏のビギン」は、水原宏の難曲を情感を込めて歌った。

「朝日の当たる家」では、狂ったように歌い出し、妹に、私のような娼婦にならないでと歎き終わる。

 

自分の持ち歌、演歌、シャンソン、ファド、ジャズ、そしてさまざまな歌手のカバー曲、

簡単には、選曲出来なかっただろう。

何回も歌ってみて、自分の声が出る歌を選んだのだろう。

そのどれもが、聞き込めるのだ。

聞き込める密度をもっているのだ。

ちあきなおみの魂が歌詞の主人公に成りきり、聞く者の胸に浮遊してくる。

神の声を持つ右脳の働きは、このように表現者の気質によって現れる。

中井久夫は、分裂病と人類の中に、

「狩猟採集気質、(または右脳優先者の人達)が、執着気質者があふれるこの生きにくい

世界に存在するのは、人類にとって必要なのである。人類とその美質の存続のためにも社

会が受諾しなければならない税のごときものである。隠れて生きることを最善とする彼ら

は、非常時にはにわかに精神的に励磁されたごとく社会の前面に出て、個人的利害を超越

して社会をになう気概を示すことが、度々発見される。そして、右脳優先者が人類に必要

であるのは、人類にとって希望であるからだ」という。

 

ちあきなおみは、心のうぶげをなくしたのかもしれない、過酷なメディアの中で、疲れ果てたように感じる。

私たちは、彼女の歌を聴いて、涙して、こころが浄化される。

彼女は、シャーマンや巫女のように、ひとびとの荒ぶる魂を鎮め落ち着かせる「神の声」として、我々の前に未だ存在している。

 

 

                近藤蔵人

2016年3月29日火曜日

フィロソフィー


マーク・トウェインが
 
「かくも短い人生に、いさかい、謝罪し、傷心し、責任を追及している時間などない。
 
たとえ一瞬にすぎないとしても、愛し合うための時間しかない」と言う。
 
自然を愛し、他者のこころをはぐくむ時間のことだろう。
 
自然や事象はすべて合理的にできている。合理的でないと決めつけ不合理だと思う所に
 
しみがある。そうだと思うが、大変困難な道のりである。
 
 
 
 
「フィロソフィー」
 
 

 

赤城山は、伊勢崎から眺めると母親が眠っている姿に見える。

向かって左から丸くなった頭と額、凹凸の少ない顔、首、胸、とがった乳房、せり上がった2段腹、太ももに少し上げた膝と足のように見える右端のすそ野。

額の左や下には山裾に向かって傾斜しているラインが髪の毛が流れているようだ。

凹凸の少ない顔面も、よく見ると目や鼻や唇に見えなくもない。

赤ん坊に飲ませる乳頭が尖っている。

膝の部分は北に向かっており、そのあたりは寒さに凍えて雪化粧をしている。

腹部は標高も高く、測候所の建物やアンテナが立っているのが見え、ここにも積雪がある。

赤城山のことでは、記憶に残る出来事があった。

長女が誕生したときだ。

東京の仕事部屋に伊勢崎の病院から「生まれたよ」と電話があった。

隣室では、創立記念パーティー最中で、おめでとうと乾杯する声が、娘の誕生を聞いた途端のことで、出産を祝ってくれたのかと勘違いするようだった。

許可を得て退社し、高崎線に乗り、上野から深谷駅を通り過ぎる頃、赤城山の腹部付近に、黄金色の太陽が、真っ赤に変わって佇んでいる。

その光景を見て、祝福されていると感じた。

未だ見ぬ我が子のため、女性の寝姿に見える赤城山のお腹で太陽が輝いている。

娘は、太陽と入れ替わって存在するのだと思った。

その後、何度かその付近から赤城を眺めるが、太陽がその位置に沈むことはなかった。

いまでも、赤城山は、母性の宿る母親の寝姿に見える。

赤城の頭部の下数百メートルの山道脇からは、3本の湧水が出ており、大きなカンを持って水を汲みに行くところだ。古くから赤城の水は、赤水と言って、将軍に届けていたと記録にある。

東側には、温泉が何か所もあり、秘湯温泉もあったりする。

もともとは富士山状の姿をしていたのだが、2万年前の大噴火で、大岩石を裾野に吹き飛ばし、でこぼこの峰となった。この裾野には、岩を神として奉じる場所が、至る所にあるが、この噴火で、空中を飛んできた岩は、その後、度重なる濁流に転げ落ち、変形した。

 

夕刻、赤城山に向かって左に用水を臨みながら車で山に帰る。

右側には田んぼが整列して並び、左側の用水から先は、遠く妙義山や榛名山が、沈みかける夕日で、赤く染まり始めている。

用水と道路は、数キロ並行してはしる。
赤城は、すそ野が日本一長く急な勾配で、至る所に川は流れ、たまりとなる平地は少なく、土手をけずって流れる水の位置は深くなり、水量が少なくても、削られた土手は、V字型の深い用水となっている。

用水の西側には、自然に生えた木々が並び、下草も茂っているが、東側、道路横は、数年前に一斉に切り取られて、下草だけになっている。

時には上流から、鯉かマスが流れてくるのか、竿を立てて狭い用水で釣りをしている人がいる。

その道路隅、ガードレールの横に、鷲かタカと思える色をした猛禽類の鳥が、羽が折れ曲がり不自然に広げて息絶えていた。

車の窓からは、特定できなかったが、多分トンビなのだろう。

この付近には、飼料工場や牛・豚小屋が多くあり、屋根に止まっていたり、上空を旋回している姿を見かけることがある。

時には、カラスの死体やカモの死体、2度ばかり拾って料理してもらったキジが、息絶えていたことはあるが、トンビは初めてだ。

カモは乾いた側溝に横たわり、美味しいと言われている青首のカモだった。

欧風料理屋さんに料理してもらった。

カモの羽をむしり、さばくと紅い身が引き締まり、ソースをからめていただいた。

カモもキジも、道路脇の藪で食事をすることがある。

飛び立つときには直角に上空に飛べないため、斜めにバタバタと重たい身体をのんびりと見えるスピードで昇っていく。

そこへ走ってきたトラックの運転席のガラスに衝突して、道端に転がることになった。

キジは、オスとメス両方とも道路上で見つけ、急ブレーキをかけて、バックして車に乗せた。たぶん10分でもその場にあれば、車に引かれて、つぶれてしまうだろう。

キジ二匹とも、損傷は少なく、一匹はまだ暖かかった。

キジの肉は、鍋と、炭火で焼いて食べたが、黄色い油がしたたり落ちて、極まりなく美味しかった。オスの羽は、友人の渓流釣りをするケーキ屋さんに持って行き、赤い頭、緑,濃い青の美しい羽は、毛ばりに巻きつけると大物が釣れるかもしれない。

料理人が友人にいるため、拾ってきても料理をお願いできるので、みんなの喜ぶ顔を想像すれば、躊躇なく拾って来るのだが、カモの料理人はこれっきりにしたいと告げていた。

沸騰した鍋に、そのままカモを入れ、取り出して、手で毛をむしり取る。隅から隅までむしりとることが、大変だと理由を言っていた。

フランス料理のシェフである友人は、毎年、北海道に、狩猟に行く知人からエゾシカを取り寄せ料理する。そのため、捌くのにはなれている。片足を料理して3本足になった若いエゾジカが、レストランの庭に横たわっていたことがある。

人は、食物と認定すれば感情を刺激せず、味覚だけを興奮させる。

テーブルの上は死体だらけだが、誰も、死体だと思わず食物だと思っている。

 

トンビの死体を見た次の日の朝6時半ごろ、山から伊勢崎に行く途中、同じ場所付近のガードレールに、カラスが二匹トンビを挟んで止まっている。

仲がいいこともあるのか?と疑って、車で通り過ぎる時横を見ると、カラス二匹はこちらを向いており、トンビは反対側の西を向いている。

60センチ位の間に、カラス・トンビ・カラスと止まっているのだ。

車が真横に来ても、3匹は止まっている。

車とは4,5メートル離れているだけだから、大概は、飛び立つのだが、動かない。

カラスはこちらを向いて、首をあっちこっちと動かしているが真ん中のトンビは、ピクリともしない。背中を向けているので、顔つきまでは見えない。

だが、背中の茶色い羽が、ささくれ立っている。

鳥の羽は撫ぜたようにすっとしているはずだが、雑草が生えているように毛羽立っている。

カラスに挟まれたトンビは、きのうのトンビと関係があるのだろうか?と疑ったとき、気が付いた。

カラスは、トンビを攻撃し、くちばしで必要につついたのだ。

その為背中がささくれ立っている。

空を逃げても追い立てられ、逃げても逃げてもくちばしでつつかれ、足の爪でつかまれ、あげくよろよろと止まったガードレールに、カラスが両側を挟んで飛んできたのだ。

疲れと痛みで、飛び立つこともできずに、心臓は震えているだろうが、両側にカラスが来ても休まざるを得ないのだ。

背中の羽の乱れは、上空でも、地上でもカラスの襲撃を受け、恐ろしくざわついている。昨日の死んだトンビも、同じように襲われ、上空から墜落して羽が砕けて死んでしまったのだろう。トンビの前面は見えないが、疲れと恐れであえいでいるのだろう。

暴力団に両腕をつかまれているように、トンビは、逃げる力もなくカラスに挟まれている。

元気なトンビなら、このような状態でいるわけがない。

時々、トンビとカラスが大空で二匹とも爪を立てて、羽をひろげて、向かい合って戦っていることがある。

餌の取り合いか、縄ばり争いか、逃げるトンビを黒いカラスが追っている。

急降下して、カラスがトンビを追い立てているシーンも何度か目撃したことがある。

あに図らんやトンビよりカラスの方が強いのだ。

カラスは、犬と同じ程度の頭脳を持っていると言うが、一匹でもカラスが勝つのに、二匹で挟まれれば、逃げようがない。

挟まれたトンビは昨日のトンビのような状態になる途中なのだ。

 

車を止めて、カラスを追い立てることもせず、トンビの行く末を考えるだけの知恵しかないことを今になって思い知り、トンビの胸中を考えると、無残な現実におののくことしかできない。

 

同じ日の午後、現場からの帰り、事務所に帰る途中、大通りに面したアパートから、上下灰色のスエットスーツの小太りの人が、ドアを開けると同時にロケットのように飛び出してきた。

両腕は、交互に規則正しく勢いよく動き、足の膝も小気味よく持ち上がり、よーいドンとピストルの合図の後の飛び出しのように、短距離走者然として素足のまま走っている。

数秒して、同じドアから、チェックのシャツにジーンズの大柄の男が走り出てきたが、こちらは走者となった経験がないように、足も上がらず、両腕は、下にたれたまま走り出している。走る気がすぐになくなり、走りやめ、歩き始め、取って返してドアの中に戻った。

スタートダッシュした人は、角を曲がり、追手が来ないと知ると、はだしであった足裏を気にかけながら、いくらかガラスか、石でも踏んで傷ついたのだろうか、後ろを振り返りながら、体を傾いで遠ざかっていく。

後姿から、女性だと知れる。

何があって、どこに向かって歩いているのか。

足を拭いて、温めてくれる友人や親せきの人が、近くにいるのだろうか。

冷たい木枯らしがふき騒いでいるなか、傷ついた素足で、アスファルトを踏みしめ、何を思って歩いているだろう。

部屋の中で、いさかいがあったのだろう。

手や足が出たかもしれない。

何か投げつけられたろうか。

それとも、過去にそういう経験があるから、とっさに飛び出したのだろうか。

朝のトンビといい、この日に限って、忌まわしいものを見てしまった。

 

ニコール・キッドマンが演技力を評価された刺激的な映画「ペーパーボーイ」を見たあとに、監督の前作「プレシャス」を探し出して見た。監督の名はリー・ダニエルと言う。

主人公の肥満の黒人少女は、識字力はなくとも、家にいるより学校にいたいと毎日通っている。

家には、家事をしないで飲んだくれている母親がいる。

すべての仕事は、16歳の主人公に任され、掃除をこなし夕飯を作るが、ことごとく母親に文句を言われ、時には皿が飛んでくる。

少女は文字は読めないが数学は得意だと自己評価している。

楽しみはなく、毎日が無為に過ぎていく。

個人的に教える特別学校に誘われて、母親には反対されるが、先生に魅かれて通うことになる。特別な子供たちが10人ほど、親身な先生が見ている。

太っていて解らなかったが、妊娠していることが知れる。

2年前出産した子供は、祖母があずかっていると言う。

二人目の出産なのだ。

出産後、赤ん坊を家に連れ帰ると、母親は一時抱きかかえるが、赤ん坊を床に放り投げる。

少女が、母親に怒りをぶつけ、アパートの部屋から出て、階段をおりていくと、上から、テレビを投げられる。危うく、大けがか、死ぬところだった。

少女は、先生に誘われ、マライヤ・キャリー演じる相談員のところに行く。

しばらく通っても少女は何も語らない。相談員は、母親を詰問することにした。

母親は、問い詰められて、心情を話し始める。

「赤ん坊の時は、可愛くてプレシャス(貴重な宝物)と名づけて大切にした。

3歳の頃から、夫(プレシャスの父)は、セックスの間、横に眠っているプレシャスにいたずらし始めた。それ以後必ず、プレシャスをまさぐり、13歳になると、強姦し始め、子供は二人とも。父親との子供だ」と言う。

「愛している夫を、プレシャスに盗られた。私は被害者」とわめき立てる。

父親に強姦され続けたプレシャスは、母親の真相を初めて知らされ、

「そうだったの」・・・「もう二度と会わない」と自立した生活に向かって歩き始める。

 

映画の最後に、監督が、特に言いたかったのだろう、「全ての、女性に見ていただきたい」とつづられる。

 

余りに無残な映像に口を紡ぐようだけれど、

驚くことに、娘に映画の話をして、娘も知り合いに話した。

その知り合いは、映画を見て「私のことのようだ」と話したと言う。

逐一同じでなくても、同じと感じる人はいるのだ。

この映画の、最もたどり着きたいと思って撮ったであろうシーンは、

母親の心情を聴いたプレシャスが、何故自分がひどい目にあわされるのか理解したところだ。

無残な仕打ちを受けても、母親は自分を愛していると思っていた。

それは愛ではないと、相談員に告げられるが、プレシャスには、理解できなかった。

しかし、母親の、独白を聴くことによって、自己認識が出来たのだ。

私は、愛されていたのではなく、憎まれていたのだと。

「そうだったの」とつぶやく必要が、観客に伝われば、この映画は成功したことになる。

我々も、自分の育ちによって作られる人格に向かわなければならない、と、映像が語る。

 

吉本隆明は、「文学の芸術性のもとは、自己慰安である。フーコーも、主体性の配慮とか自己配慮と言うが同じことだと思う」と書いている。

自分を慰め安心させるために、ほとばしる情熱、それが芸術になる。

リー・ダニエル監督も、そのように撮ったのだろう。

プレシャスの悲劇は、事の大小にかかわらず、現代人の受ける被害の上位を占めるだろう。

精神科医の岡田尊司は、

「子供は、自分の親に対して忠節であろうとする。たとえ、親がその子を見捨てたとしても。不器用な子供ほど、忠節の相手を乗り換えることを拒む」と書く。

人は生まれるとすぐに、母親に抱きつく。

乳を吸い、高音のやさしい言葉に慰められ、暖かい腹部、胸、乳房、腕にぴたりと寄り添い、母親の愛情にはぐくまれる。人が成長すると言うことは、その経験を誰しも持っていることだ。

その為、万能感を持った赤ん坊は、その後の、母親の赤ん坊への対処を、感じ続けている。

育っていくためには、つかまったり、抱っこしたり、スキンシップして、安らかにいられる存在が必要である。可愛がられるという、無償の愛がぜひとも必要なのだ。

母親が子供の欲求を感じ取る感受性を持ち、速やかに応じる応答性を備えていることが、愛着が、形成されるためには必要である。

愛着が形成されない環境、母親が子供に対する対処の変化の中で育つと「愛着障害」が起こる。

その著書には、大人になっても現れ続ける形があると言う。

「安定型」の人は、

自分が愛着し信頼している人が、自分をいつまでも愛し続けてくれることを、当然のように確信している。人の反応を肯定的にとらえ、自分を否定しているとか、さげすんでいるなどと誤解することがない。互いに意見を述べて、論じ合うときも、がむしゃらに議論に勝とうとしたり、感情的に対立することなく、相手への敬意や配慮を忘れない。

「回避型」とは、

人に縛られないことを第一とする。人に依存もしなければ、人から依存されることもなく、自立自尊の状態を最良とみなす。他人に迷惑をかけないことを、大切だと思い、自己責任を重視する。人への積極的関与をさけ、葛藤を避けようとする。パートナーの苦痛や困難を、真剣に気づかったり、痛みを一緒に共感する事は出来ない。共感的な脳の領域の発達が抑えられている。捨てられた苦しみを感じない脳に変化したためだ。

「不安型」は、

過剰な気遣いをする。「愛されたい」「受けいれられたい」「認めてもらいた」と言う気持ちが非常に強い。自分自身についても、取り柄のない、愛されない存在だと思う。誰とでも恋愛感情に発展しやすい。見捨てられると言う不安が強いため、自分が愛されていることを確認しようと過剰確認行動がある。猜疑心や嫉妬心が強く、裏切られたと感じやすい。愛情に対する飢餓感が強く、パートナーに対してネガティブな評価を持ちやすい。傷つきやすさや不安定さは、養育者との関係で深く傷ついた体験に由来する。

「統制コントロール型」は、

無秩序な状況に、子供ながらに秩序をもたらそうとする。暴力や心理的優位によって、相手を思い通りに動かそうとする。相手に強い心理的衝撃を与え、同情や共感や反発を引き起こすことによって、相手を思い通りに動かそうとする。

 

これらは、家庭内の家族との関係で生じるが、最も影響を受けるのは、母親との、愛情の受け渡しの関係によっておこる。子供は、子供が表現したことに対して、母親の一心の気遣いを求める。

 

プレシャスは、母親の虐待も、無視も、暴力も自分への愛情と話す。

自分が悪いから母親が怒りを表すと思っている。

この自覚は、他者がそうではないと、口頭で説明しても理解できない。

母が悪いのではなく、自分が悪いと自覚している限り、どんな暴力にも耐えられる。

「嫌っている」と、そんな恐ろしいことを、思いたくないのだ。

母親の充分な愛情があれば、安全で安心な立場を築くことが出来、子供はすくすくと育つことができる。しかし、愛着障害と言われる愛情に飢えた子どもたちは、大人になっても依然症状は治らない。かえって、ストレスや、不安で、より強固な障害となって現れる。

佐野洋子は、幼いころ、散歩の途中、母親と手をつなごうとして、「ちぇつ」と言われて手を振りほどかれたそうだ。母親は覚えていないが、佐野洋子は、それ以後、母親と口を聞かず、話をしなかったと自伝にある。痴呆症になった母親にやっと話しかけられるようになったと書いている。

だが、岡田尊司は、

「創造する者にとって、愛着障害はほとんど不可欠な原動力であり、愛着障害を持たない者が、偉大な創造を行った例は、むしろ稀と言っても差し支えない。彼らは技術や伝統を継承し、発展させる事は出来ても、そこから真の創造は生まれにくいのである。なぜなら、破壊的な創造など、安定した愛着に恵まれた人にとって、命を懸けるまでには、必要性を持たないからである」と言う。

三池監督の傑作「オーディション」という映画では、幸せな子供は、オーデションになど来ない。家で、家族と遊んだり、買い物しているだけで満足できるのだ。

不幸せな者だけが、何かに表現することを求めるのだ。と言うシーンがある。

ここに、吉本隆明が言う、「表現とは自己慰安」と言う意味がある。

同じく「芸術の価値は必ず自己表現に帰着する」と言う理由である。

表現しなければ、生きるに値しなくなるのである。

我々は、赤ん坊の時から、自己表現するように生まれついている。

サルまでは、赤ん坊は捕食者に襲われないように静かに成長する。

人間だけが、赤ん坊の時代からおなかが減った、うんちが気持ち悪い、おしっこがしたい、気持ちが悪いと、捕食者に食われるおそろしさより、コミュニケーションを大切にして、泣き騒ぐ。

相手、他者に表現をぶつけて、自己も慰安するし、他者にコミュニケートして、理解してもらうことができる。

その表現に、様式が整えられ、訴求力があり、美しくあれば、芸術として崇められ、同じ感情に読み手を誘うことができる。

それを味わうものは、自己認識の幅が広がり、納得し、回心するかもしれず、感情が高ぶり、涙ぐむかもしれない。

物語は、自分を理解するために作られる。

自分を形成しているものを、探し当てたり、

手の届かない者に照準を合わせたり、

涙ぐみリセットするために作られるところがある。

さめざめと泣くことによって、浄化されるのだ。

韓国映画が受けているのは、泣くことに、泣かせることに、文化的抑圧がないからだろう。「お涙ちょうだい」と言う言説で、日本人は、泣くことに一歩引くことを覚えてしまった。

感情を抑えることが美徳である文化は、泣くことによって浄化させることをしない。

泣くことによって浄化すること自体が感覚として解らないのだろう。

晴れ晴れとした朝を迎えたような気分と言ったらいいだろうか。

事象は苦しくとも、それを迎え入れ、安定させる効果があるのだ。

プレシャスを見て、私と同じだと感じた娘の知人は、自己認識し、さめざめと泣いただろうか。

 

プレシャスの母親の異常さも、プレシャス自身の障害も、その母親を育てた祖父や祖母もそのまた両親も含めて、

世界は、理性で眺めれば、喜劇だと言うが、感情で眺めれば、悲惨に満ちている。

すべての人類は、障害の連鎖でできているのだから。

 

見てはいないが、「アクト・オブ・キリング」というノンフィクション映画がある。

今年度の最高傑作と言われている。

インドネシアで、スカルノ大統領時代クーデター未遂事件が起こり、収拾にあたった軍のスハルト(のちの大統領)が、共産党狩りを行った。

虐殺実行者は、政府やメディアに洗脳された、やくざや民兵である。

その加害者が、嬉々として、殺害した現場で、殺害した様子を、加害者自身が演じるのだ。自分の10歳の孫の前で、相手が意識を失うまで殴り、息の根を止めたことを演じるのだ。そのようにして、一人で1000人もの殺害をしたと自慢し、50万とも200万ともいわれる大虐殺がなされたのだ。

最初は加害者をモンスターだと思ったが、目の前にいたのは、一人の普通の人間だったと監督は言う。虐殺の実行者たちは、殺人を自慢げに語り、今も国民的英雄として暮らしている。

人の人格は、遺伝と育ちという。

愛着障害などの家庭環境で出来上がるということでもある。

その上に、思い込みや思想、刷り込まれたことがらや、無意識になっている行動の前提も、大きく作用する。

インドネシアの虐殺は、粛清された共産主義者が、寛容でなく、強い抑圧を持っていたため、「彼らを殺すことは正義である」と思想すれば、残虐な痛めつけも、良心の呵責に悩まず行為することができるということである。

殴り殺すと、血潮に汚れるので、針金で首を絞めたと実演する。

共産主義者だと思うと、裁判もなく、彼ら実行者が決めればその場で殺害できるのだ。

 

ひとは、あのラーメン美味しいと、一流人が言えば、脳に美味しいものと刷り込まれ、食べても本当に美味しいと思うことは、至る所にある。

われわれは、インドネシアの残虐者と、そうは違わないのだ。

誰でも、彼らのようになる可能性はあるのだ。

人の脳内で決定したことは、その決定したことに反対する意見は許せないと思う癖がある。寛容になりがたいのだ。

それが、正義だと思うようなことは、特に、寛容を持たない。

この監督は

「自分が汚れた感覚がした。虐殺を再現する行為で、自分が共犯者のように感じたからだ。観客も共犯者になったような気持ちが生まれ、心の葛藤を感じるかもしれない」と言っている。

三国人は気味悪く嫌いだ。中国人は大きな声で怒鳴り、わがままが多い。青い目は美しい。

物事を一言で、説明することは、複雑な事象の、ほとんどを捨てて、一点に照準を合わせることだ。それは、解りやすいし、説得しやすい。

だが、そのこと自体に、人の悪意が育ちやすい。

精神科医であった河合隼雄は、一言話して、治せるなら精神科医はいりませんと、的確な表現をしている。

共産主義者は、悪だ、と決めつけるとき、

ひとのやさしさも、意地悪さも、残虐さも、か弱さも、強さも、自分が持っているものは、ほとんどすべて他者も持っていると、自覚しなければならなかった。

ひとは、共産主義者になる確率もあるし、殺戮者になる確率もあるのだ。

インドネシアの虐殺者は、夜な夜な、殺した者が血だらけで夢に現れると言う。

ひどく汗をかき、うなされて起き、幽霊があらわれ、血の気が失せると言う。

 

だるまが、弟子の慧可に、人を殺したことがあるかと尋ねる。

慧可は、めっそうもないという。

だるまは、場面が現れなかっただけだと諭した。

自分が何者かを考えるフィロソフィー(英知)が必要なのは、

僕たちが犯す過ちを、事前に察知することにあるように思われる。

 

             26年4月14日    近藤蔵人