2016年3月25日金曜日

20数年ぶりの喫煙

昨年7月から、タバコ吸いになった。
予想とうり、ほとんどの人が「今頃どうして?」といぶかしがる。

タバコは、全国的に嫌われている。
嫌われるのは健康のことだけでなく、政治的理由があるのかもしれない。
嫌っているタバコが、4月から値上がりするが、
だれも、大声でどうして?と言えない雰囲気が作られている。

養老先生だけが、皆に反してタバコの精神的効用を告げている。
ぼくが吸い始めて、回りにいる者が、明るくなりましたねと言われるので、
一定の効用はあるということだろう。



20数年ぶりの喫煙
 
 
 
映画「ジミーとジョルジョ」監督アルノー・デプレシャンの中で、

障害者の施設にいるネイティブアメリカンのジミー(ベニチオ・デル・トロ)が、壁にもたれて煙草をふかしていると、脳梗塞か何かで半身不随の車いすの男がそばにきて、ゆがんだ口、半分麻痺した声で「煙草をくれないか」と身体を寄せてきた。

顔右半分が歪み、左手は車輪の上、右手は麻痺して吊り上がっている。

ジミーは、胸の箱から一本取り出し彼の口元に差し込むと、右手で銀のライターを煙草の先に持っていく。ぼっと火が付くと、男はしかめっ面をしながら、徐々に大きく息を吸い、口の中に煙を含んだ。

感覚を口の中と肺に集中している。そうしたあとにゆっくりと煙を吐き出した。

車いすの男とは、施設で時々会うが、いつも顔がゆがみ、苦しそうに孤独の中にいる。

言葉を交わしたことはないが煙草を吸う男だとは思わなかった。

ジミーが美味そうに吸っている姿を見て、体に悪いと言う考えを振り払い、吸いたくなったのだろう。数十年ぶりの喫煙だ。

その後、何回か吸い込むうちに、意識がもうろうとして、身体から力が抜け、体がうねっているように回り始める。

倒れるのではないだろうかと思ったが、麻薬でもやったように、体がゆらゆらする。

車いすを動かしてみるが、酒に酔ったような意識をしていることだけが明快で、車いすに乗っている感覚がない。

ああ、ほんとに、久しぶりに煙草を吸った。昔も吸い始めは、くらくらしたものだと思いだす。

毎日吸い始めると、煙草が身体に与える影響が薄れてしまって、何故吸っているのか解らなくなるが、この酩酊感が煙草の楽しみだと思いだす。

人に話しかけることのない彼だが、ジミーに煙草の感覚を話したくなり、あわや、饒舌になりそうなところをおさえて、「この味は忘れられない」と一言だけ口に出す。

乾燥した草が火にくすぶって、強い香りが鼻につき、草原が揺らめいている思いがする。

 

酩酊感は、人を躁に変える。

気分は朗らかになり、人が恋しくなりそうだ。

あれほど、憎んでいた他者に、声を掛けたくなる。

懐かしい過去がよみがえり、空間しか見ていなかった視線が、人を探すようになった。

こんな晴れ晴れとした気分からどれほど離れていたことだろう。

白い雲が透き通った青い空に流れている。

いなくなった彼女が目の前にいたら、いつまでもしゃべり続けていただろう。

 

養老孟司が、「煙草は鎮静効果があるので、いらいらした時にたしなむと好い」。「何かに文句を言いたくなったら、言う前に一服すると、どうでもよくなってしまう」と何かに書いていた。本人もスモーカーらしく、煙草の効用を友人に説いていると書いている。

読んで10日間ほど思案していたが、昨日この映画を見て堰が切れ、20数年ぶりに一服した。

すると、車いすの男のように気分が爽快になった。

彼のようには饒舌を抑えることが出来なかったが、お酒ではない多幸感・酩酊感は、捨てがたい魅力である。

社会性の基本は我慢にある。しかし、好き勝手に生きる方が長生きに違いない。

フィンランド保健局の調査で、4045歳の上級管理職600人を選び出し、健康管理を細かく行うように指示する。一方、同職種の別の600人には、定期的な健康調査票に記入するだけとした。15年後の結果では、後者の健康管理されていない方が、心臓血管系の病気、高血圧、がん、各種の死亡、自殺者の数が少なかったと報告されている。

きちんとしようと思うほど生きるのが大変になる理屈である。

沢庵和尚が、「人のことはかまわず、われさえよければと思いて、気のゆるゆるした人、かならず命長し。しかもおおかたは,土民百姓の類にて」と管理職では長生きできませんよと言っている。不良長寿。

社会は個人の邪魔をする、でも、個人は社会に適応しなければならない。だから、適応する部分と、しない部分を分けて、しない部分は出口を作る方がいいと、養老先生、虫に夢中になっている。

自然が破壊されて人工化されると、自然を大切にしようと思う人は増えるが、「人間の内なる自然の破壊」を悔いる人は少ない。「人間の内なる自然」が健全であることが、生き生きとした人生の秘訣であると思う。

どんなに充実した生活にあっても、生きていること自体の虚無感と、家族、兄弟、会社などの人間関係における苦痛は、平等に与えられている。

仏教でいう、生老病死、四苦八苦は、人類に平等に与えられている。

「世界は不合理でなく、自然に沿っているが、自己の意識が、それを自然なのだと認めることが出来ず、不満として生き難くしている。だから、自分の考えは不合理なのだと認めることにある」。

 

一日中、躁の状態が続き、「今日は明るいですね」と知り合いに声を掛けられた。

驚くことに、気分というものは、こんなにも簡単に変化する。

昨日までは、深く沈んだ精神、話すことを出来るだけ少なくし、

頭の中に大きなしこりを感じ、電話も出来たらかけたくない。

僕と言う鈍い精神が、停滞し、沈静し、それでようやく平静さを保てている。

その憂鬱な毎日が、煙草の一本で消えていく。

それは脳内でどのような作用があるのか?

肺の血管から脳にたどり着いたニコチンは、鎮静効果と興奮効果があるという。

躁な状態は、興奮効果からくるが、鎮静効果とは反する作用だが、気分と言うものを作り出す脳内の細胞は、その気分によって、情動の強いときには鎮静させ、ふさぎこんで沈んだ時には興奮させる。生存のために必要な気分と言うものがあれば、そこのところに落ち着くのだと感じる。

毎日無意識に吸っている煙草も、ストレスの鎮静作用があると言う。ニコチンが脳内のシナプスを健全にさせ飛びかうのだ。

煙草には、このように一定の効果があるが、日本では禁煙することの方が有意義だと全体論がまかり通っている。

調べると、田舎より都会の方が、肺がんの率が多いと報告されている。

都会も田舎も煙草を吸う人のパーセンテージは同じだから、都会の空気の中、多分車の排ガスのほうが危険だと思うが、煙草を肺がんのターゲットにしても、車をターゲットにできない経済的理由があるからなのだろう。

個人的な鎮静効果など政治にならないということだ。

それはいい、そんなことより、煙草の効果は現代にこそ通用するという思いが湧いてくる。

一昨日に朝一本吸って、昨日は、朝の時間あれこれと用事があり、ゆっくりした時間がなく吸わなかった。出来うるなら、早朝の10分、静かな時間、一日のその時間だけゆっくり喫煙して、沈静した憂鬱を吹き飛ばしてみようと思う。

さてそれでは二本目の煙草を吸ってみよう。

会社の玄関から外に出て、2本ある擬木のエンタシスの柱の前に椅子をおき、柱にもたれて、右手の人差し指と中指で挟んだラークの9mmに、ライターで火をつける。

合気道で呼吸の仕方を学んだが、ゆっくり吸い込み、咳が出そうなところを我慢して、肺の奥深くに煙を充満させる。そして、いっきに吐き出す。深く吸うと、口から出てくる煙は薄くなっている。

 

クロードの建物は、南西に向かってL字型をしている、その交点に入口がある。

建物を女体と捉えているので、両足の中央にその入口のように考えて位置決めした。

入口上部の2階部分は、ステンドグラスで花型の窓、中のデザインは、子宮の入り口から両指が出てきて、開口部を大きく広げて頭、顔の半分、その片目が今まさに出てくるように図案した。

一階の入口は、人々のためだが、2階の子宮口は、母親から生まれる瞬間の場所である。

会社の事務所で吸うと、においが漂い誰かにすぐに発見される。それでもかまわないのだが、玄関から外に出て、水飲み場でこしかける椅子を持ってきて、柱の前に座って一服しよう。

南面に向かっているが、朝の光は東の建物にさえぎられて見えない。

上を見上げれば、うす雲で、ところどころに青い空が見えている。

数回、胸の奥深くまで煙草の煙を吸い込んだ。顔の前に白い煙が流れる。

脳内まで循環する時間はほんの数秒だろう、ニコチンを取り入れた効果で酩酊感が現れる。雲の中を漂うように感じ、安定感がない。

立ち上がると倒れそうで、ふらふらしている。

吸い終わるとよろよろとして、側溝の隙間に吸い殻を投げ入れた。

目を開けるより目をつむり静かに状況の変化を待っている。

漂っている感覚は、10分もすれば薄れ、その状況を、今書きつけている。

ニコチンが、脳から体全体の毛細血管までたどり着き、また、心臓に帰ってきている時間が過ぎている。

日本のたばこは、この草っぽい香りが少なかったように記憶していたが、ラークは、焼け野原が胸の中、鼻の中に香りとして残っている。かつては、ハイライト、ホープ、セブンスターと取り替えたが、洋もくにない、香りのやさしさが特長だったように思う。

一日一本朝の時間を過ごして、ラークが無くなったら、日本製のものにしてみよう。

 

吸わなかった昨日は、いつもの気分だった。

言葉少なく、充足感なく、一人になりたい。

さて、二日目の今日は、どういう変化が待ち受けているだろう。

充分ニコチンが、血液の中で循環しているはずだから、鎮静効果、興奮効果の表れるのを感じてみよう。

悪心が消え、正常な精神に世界の肯定が現れればこれは見っけものだ。

 

近藤蔵人 27.7.2

 

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