ぼくのブログの最初の読者である方から、メールをいただきました。
書いた返事をブログに載せてみます。
あなたが考えられている家族の問題は、解けない謎のようなもので、
例えば、
夏目漱石が最初の近代文学と言われるところは、
夫婦の葛藤を心理描写したことにあるようです。
漱石は、大学教授を早く辞めたいのに、お金の問題で、東大以外でも掛け持ちで授業を持ち、
家にお金をいれるも、うれしそうな顔もしない妻に不満を持ちます。
漱石は、胸にしまって一人孤独であるのですが、
森鴎外は、妻の不満をことごとく暴きだし小言として妻に伝えたそうです。
孤独でも、不満を解消したとしても、二人とも幸せとは感じることができません。
でも、結婚は、理解も共感もできなくても共生すると言う人の原点の訓練だと言う人もいますから、
失望しないでください。
愛し合った夫婦でさえそうなのだから、親子の間はもっと困難がともなっています。
かつての大家族であった頃は、生き方の見本がありましたが、
現代は、個人主義と、大家族の見本をいまだ持ったままの親との葛藤だから、
大変です。
先週、山で和歌山の串本大島出身の老婦人に聞いたお話をしますね。
休みに長男が二人の孫を連れて山に泊まりに来たそうです。
そのおばあさんが、4歳の孫に高価なおもちゃを用意してあげると、半日で部品をなくして遊べなくなった。
おばあさんは、もっと探しなさい、高いものだから粗末にするんじゃないと、しかりつけたそうです。
それを聞いた長男が、
母ちゃん、おばあちゃんのようにもっと寛容になれよ、と言ったそうです。
長男のおばあさんは優しかったのでしょうね。
それを聞いたお母さんは、
なにを偉そうにゆうとんや!
お前に言われる覚えはないわ!とたぶん声高に叫んだのでしょう。
すべて言葉は本人がそう話しています。
すると、長男が、あほか!おもちゃぐらいで大声出すな!
いつもグダグダ言って、死んでまえ!と、ついに、寛容になれと言った長男がきれました。
帰るど!と、子をせかせて、泊まる予定を取りやめて、
玄関を出ようとしたとき、
おばあさんは、交通事故にあって死んでまえ!・・・・・と叫んだそうです。
となりの部屋にいたご主人は、なんやもう帰るんかとつぶやいたとおばあさんが最後に言いました。
たぶん、ご主人は、聞こえていても、顔を出さなかったのでしょう。
青木さんと二人で聞いていて、久しぶりの大笑いをしました。
その人も、話すことで一息入れられたのだと思いますが、
僕らの高笑いを見ていても、笑っています。
長男は、部下が何人もいてあれでやっていけるのだろうかと、おばあさんが言いましたが、
おばあさんとうり二つだから大丈夫ですよ、と、告げました。
この事件の最大のカギは、さて何だったでしょうか?
親に向かって、寛容になれと言ったことだと思います。
権威を自覚しない親ばっかりですが、(本人は平等と勘違いしている)
おばあさんは、上から目線で言われたことに腹が立ったのでしょう。
長男は、平等教育を受けて個性尊重で育てられましたから、偉そうにする親に我慢がならない。
親は、親と思わない子の口の利き方がなっていないと、権威を示す。
うまくいくはずがないですね。
子が、寛容になれと言ったのは、多分いつも親に言おうと考えていたことでないかと、僕は感じます。
だから、子は自分自身を寛容にして、何を言われても聞き流すことではないでしょうか。
たまったうっぷんは、他で晴らす。
鈴木大拙が「事あるが無事」と、何かすべきことを持っていることは、無事なことですよと言っています。
仕事以外で、楽しみ見出すことですね。
趣味はとっても大切です。
ハーバード大学の臨床心理学教授ロバート・ウォルディンガー博士が、
史上もっとも長い研究と言われている研究結果で、
「何がいい人生を作る?」と言う質問の答えとして、
史上もっとも長い研究と言われている研究結果で、
「何がいい人生を作る?」と言う質問の答えとして、
「いい人間関係に尽きる」と断言しました。
豊富なデーターの分析結果は「量より質」。
家族や、友人、地域社会の人々などとの「信頼関係の高い」関係が、
幸せな人生の根拠だと判明したそうです。
幸せな人生の根拠だと判明したそうです。
むごい人間関係になやむことが多い現実ではあっても、
どうにかして一人でも二人でも「助けて!」と言える「信頼関係の高い」関係を作るべきなのでしょう。
ノンちゃんの散歩中でしたが、あまりにも愉快だったので、
青木さんとそのおばさんを僕のうちに呼んでコーヒーをごちそうしました。
青木さんとそのおばさんを僕のうちに呼んでコーヒーをごちそうしました。
おわりです。
近藤蔵人
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