2016年3月27日日曜日

怪談


 十数年可愛がったラブラドールのあるが、思いがけなく病に倒れた。
その夏の家族旅行の北陸で、びっこをひくあるが体を支えられなくて海に落ちたことがある。
夕闇の中真っ白な体で、海とは知らずに近寄って落ちたのだ。
今思えば、あるの体は骨肉腫が体中にまわって声には出さずともうめいていたのだろう。
片眼の霊媒師ともいえるハンドパワーのある治療師の友人が、臨終の場で患者さんに「怖がらなくてもいいよ、みんなが待っていてくれるよ」と言うと聞いた。
この言葉が、僕に勇気をくれた。
その時は、あるが待っていてくれるだろうと。
 

怪談

 

東北震災の後、各地に亡霊の話が広まっている。

娘が高校生のころ、僕の友人が幽霊スポットに「行くぞ!」と誘いに来た。

その車には彼の子供たちも乗っており、1時間程かかる所へ夜9時も過ぎたころに出かけて行った。確か僕も誘われたと思うが、興味がないので行かなかったはずだ。
(今はそこに山小屋がある)

幽霊スポットに行く人たちは、幽霊の存在が気になって、また、怖いから大いなる感動(恐怖も感動です)を味わいたいのだ。

幽霊の存在を気にかけない人には楽しみとならないが、幽霊はいるとほぼ確信している人たちは、その恐ろしさに心惹かれる。

サッカーのコーチをしているその友人は、昨日から苗場の山に小学生の子供たちを連れて合宿に行っている。夜になると、コーチは、子供たちに肝試しをさせる。

低学年は便所まで行ってくる。

高学年は、森の中にあるほこらに、自分の名前を書いた紙を置いてくると、学年によって種目分けしている。
それより子供たちは、最も幽霊を怖がっているコーチに最初に行かせて肝試しをすればと思うができるだろうか。

 

東北では、多数の目撃例がネットで見ることができる。

タクシーに乗車した女性が、津波で流された地名へ行ってほしいと言う。

運転手人家ないのにどうするのだろうと思案し、お祈りでもするのだろうかといぶかって、座席を振り返ると乗客はもういない。

茶飲み話で花を咲かせた後、ふと気が付くと「そういえばあのおばあちゃん津波でさらわれたんじゃなかったっけ」「あのおばあちゃん物忘れが激しかったから、さらわれたことも忘れたんだんべ」自分たちもそのおばあちゃんが死者であることも忘れて話していたという。

水たまりを見ていると多数の目がこちらを向いている。

海上に歩いている人がいる。

東北学の赤坂憲雄が、

「東北では、亡霊話がいたる所で聞かれる。被災地の交番で、人を轢いてしまいましたと飛び込んでくる人がある。おまわりさんは、どこですか?と聞くが、あそこなら大丈夫ですよと答えるそうだ。何人も轢いたと言ってくるが、現地にはその気配がないので亡霊だと結論したそうです」

赤坂は、文筆家の玄侑僧侶と国の諮問委員をしている。

 

思いを残して、旅立ってしまった人たちは、

家族に恋人に伝えたいことが山ほどある、

子供たちはお母さんにひと目会いたくって、

死者である自分を死者と認識できない。

亡くなった次の日も、会社や学校に行こうとするだろうし、

愛する子供たちに話しかけるだろう。

しかし、肉体は活動していない、脳も停止している。

死者である彼らを死者と認識できないのは、生きている人たちも同じだ。

生きている残された人たちは、亡くなった彼らを亡くなったと認識できない。

今そこから現れると信じていたい。2年たち3年たっても現れると思い続ける。

残された者たちは、彼らを慮(おもいはかる)って伝えたいことがあるだろう、私たちに合いたいだろうと考える。

残された者たちは、「痛かっただろう、苦しかっただろう」と話したいことが山ほどあり、一目会いたくて毎日泣き崩れる。

会いたい、合いたい、と体の芯まで思い焦がれる。

悲しいのは、旅立った彼ら彼女たちを忍ぶ生き残った者たちだ。

鎮魂の儀式は、亡くなった者たちに捧げると同時に、生きている者たちに向かって祈らなければならない。

 

人は幻肢をする脳を持っている。

片方の手が無くなったがその手に痛みがあるという。

幻肢を書いた「脳の中の幽霊」には、幻肢痛を止める方法が書いている。
無い手を鏡で、ある手と思わせて痛みを消す。
実際の手は存在しないので感覚を持たないが、ない手の痛みは感じる。
今まで感じ続けた脳処理の為である。無い手でも在ると思わせるように脳処理をしているのだ。

脳には、現実と見誤るほどのリアリティーのあるユメを見る能力がある。

驚いて目を覚ますような夢がある。

そのように亡霊は亡霊として存在するのではなく、亡霊を見た人は脳処理によって亡霊を見るのだろう。

あるきっかけで脳の映像装置が虚像を作り、幻肢によって無い手が強烈な痛みを感じるように、リアリティーを伴った像となって自分の車の前を横切り、衝撃音があるかどうかも分からず、轢いてしまったと、錯覚ともいえない実在感があるのだろう。

亡霊は、運転する人の顔を見つめながら轢かれていくのだ。

衝撃音も作り出すかもしれない。

 

神戸の震災の後十数年たって、フランス人女性監督が神戸の震災で亡くなった人の亡霊の映画を作った。主人公はフランス人女性記者で、15年目の震災の行事に自国から記事を書きに来ている。

阿部寛が震災で幼い娘を亡くした父親の役、生きる意欲をなくして孤独死した。

孤独死した彼は、娘と自分を記憶してほしいと記者に憑りつく。

彼女の通訳は、亡霊とわかって合わないよう説得するが、記者は通訳を避けて会い続ける。「私は西洋の考えを持っています。亡霊など信じません」と、通訳の言葉をさえぎる。

父親は、お守りの中に亡くなった少女の遺影を入れて、記者に預ける。

記者は、自国で失恋事件があり自死を図った。その心の隙間に亡霊が入り込んできた。

亡霊を見るスイッチが入ったのだ。

亡霊を見る人は、何かのきっかけで脳にスイッチが入って映像を見ることになる。

亡き子を思い続けたお母さんが、泣き続けた挙句道路に誰かわからない亡霊を出現させる。幽霊でもいいから会いたいと願望する。

シンクロという現象は、会話のできない距離にいる二人が、同時に一つのことに思い致す現象だ。魂があってそれが瞬時に飛翔して相手の脳内に感覚としてもぐりこむ。

その魂は、におい物質のような未だ図られない物質と考えられないことはない。

 

今年の7月、山にオスの7センチになろうとする深山クワガタが現れた。

喜び勇んで町に連れ帰る。その時、家内が二階で「ごきぶり!」と、大声で叫び声がする。つかまえにいくと、それがメスの深山クワガタだった。両者とも人生初めての獲物である。車で3,40分かかる山中から、オスを目指して飛んできたのだろうか?南米から北米まで飛翔する蝶々がいるように。

そのうえ、カブトムシが、町の家の近所に、小さな灌木の蜜を吸いに来る、

一昨日三匹、今日7匹、3組交尾している。

名前のわからない灌木の蜜の匂いは、風に流されてどこまで追認できるだろう?2キロも3キロも離れたところから、この町にそれだけのカブトムシが匂いにつられてやってくるのだ。

未だ知らされていない飛翔する物質によって、脳に人物の映像が映写される。

その物質が、海の上を歩く人物を見させたり、水たまりの多数の目を見させたりする。

カブトムシが匂いの感受性が優れているように、映像を自己制作できる人物は、作る能力が存在しなければ見ることはできない。

その見る能力は、なき人を忍ぶ感覚の中から現れるのではないだろうか。

多数の亡霊が現れるには、その何十倍何百倍もの苦しみを背負った生き残った人たちの悲しい感覚が存在するからだろう。

ちなみに、私は亡霊に会ったことはない、ただ一度、

昼間、友人の事務所で遊びの話に興じていたとき、椅子に座っている左足のふくらはぎのところ、友人の犬が体を擦り付けてきた。帰り間際、「あれ、ワンコウはどこに行った?」とたずねると「亡くなったよ」という返事。

「怖いという感覚のない何かが、2階で歩いている音が時々ある」と友人述べる。

ふくらはぎに擦り付けてきたその犬は、自分の存在を僕に伝えたかったのか、なれなれしくした経験のない犬なのだけれども、僕の犬好きにチャンネルがあったのだろうか。

その後も友人宅では、怪奇現象を座敷童がいると楽観しているが、犬の霊が落ち着くところに落ち着きたくて、声を上げていると僕には思える。

日本の古典には、迷える魂は鎮めなければならないと教えている。

能舞台は、悪霊を呪鎮する物語であるし、我々の行うことの大部分は、過去の浮遊する魂の呪鎮に関わることだという。

志半ばで倒れた竜馬や西郷、戦死した人たち・わが祖先をも物語らなければならない。

漢字学者の白川静は言語は呪鎮に関わって作られたという。

道という字は、

人の生首には悪霊を払う力があるから道に吊っておくと部落が守られる。

しんにゅうに首の意味である。

思うに、僕の友人の度重なる過度の不運は、慰めてもらわない犬のせいではないだろうか?

彼には、過去に山に入って帰ってこなかった犬がいた。飼い犬は、餓死寸前まで、主人を思っていただろう。

 

さきのフランス映画は映画的には成功したとは思われないが、

おさめることのできない事件を「ものがたりで鎮めること」は歴史が必要としている。

では、なぜ、日本人が日本人の手で鎮魂の物語を作るのでなく、フランス人だったのだろう。

震災の後、10年も20年もかからないと物語にできないと、作家たちは言った。

時はまだ至らずなのだろうか?

通夜では、亡き人の思い出を語り尽くすことによって供養するように、

亡くなった人の失敗談、誰も知らない話、そんなこともあったのか話、えーと絶句する話、長い間身近にいたのに知らなかった話、彼が自慢にしていた話、彼の子供のころの話、失恋の話、恋の話を一晩かけて思いだし語り尽くす。

彼は、皆がそばに居て自分のことを思い出してくれて、安心して旅立つ準備ができる。

 

かつて、日本では、亡くなると霊魂は山に登ると信じられていた。

山の見晴らしのいい場所に墓地とこれを供養した寺を作った。

墓地のある寺に山の号がつくゆえんである。

比叡山や高野山の山岳霊場は、死後の霊魂の行く聖地だった。

日本人は村から離れた山麓に埋葬され、肉体は消滅するが、霊魂は山の頂や高所にとどまって子孫を見守ると信じてきた。

大伴家持が「海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草生す屍」と歌ったように、処理できない亡きがらを見続けた被災者たちこそ、鎮魂し、祈り、治めなければならない。

「災難にあふ時節には災難にあふがよく候

死ぬる時節には死ぬがよく候

是はこれ災難をのがるる妙法にて候」と、

良寛は境地にいたが、悲嘆にくれる人たちへ和歌を歌った。

ますらおや共泣ききせじと思えども煙見るときむせかえりつつ

人の子の遊ぶをみればにはたずみ流るる涙とどめかねつも

いつまでか何嘆くらむなげけどもつきせぬものを心まどひに

なげけどもかひなきものを懲りもせでまたも涙のせき来るはなぞ

良寛は知り合いの子供や、まりつきした亡くなった子らを思って、数多くの哀歌や挽歌をうたった。

良寛には、亡くなった者を悲しんでいる生きている者への慮りが大切と分かっていたのだ。

 

今も、幽霊スポットへ出向く人は多いだろう。

柳田國男が遠野物語を編纂したとき、お化け会と呼んで聞き取り調査をした。

地震・津波・干ばつなどの被害を受けた東北の人たちの物語は、7割がた、幽霊や妖怪の物語になっている。

そうして、心の奥深くに残る人々の記憶の中に、死者と残された人々の思い出が長く息づいている。

さきの交番に届けた場所など格好の怪談スポットとなっているだろう。

不謹慎な、と怒りを表す人がいるかもしれないが、

怪談をものがたることによって、死者をそして死者を看取った生者を記憶にとどめ、

亡くなった者たちを喚起し続ければいいのかもしれない。

平家物語を語った琵琶奏者は平家の落人に感情移入出来た。

それを聞いた当時の武者たちは、大声をあげて泣きながら聞いていたそうだ。

しかし、現在の読み手には無理な話だ。

それでも平家物語や遠野物語は読み手を欲していると思う。

物語は「ものがたる」ことによって死者の慰霊と鎮魂になる。

私たちが、没するときその者たちが、「こちらへおいで、何にも怖くはないよ」と道標となってくれるだろう。

 

白い光の向こうで、

あるがひとこえとなって、

こっちだよ、こっちだよと呼んでくれる。

白い犬の形をして、

ウヲンと吠えているようだが、

聞こえてくるのは、

こわくないよ、

こっちだよ、

ぼーるあそびしようねと、

ことばになっている。

両目を大きく開けて、

わたくしをいつものように見つめている

 

まわりには、父もいる、

周子もいる、大勢の人が寄合って、

わたくしを、見つめている、

みんなが、静かに「おいで」と言っているようだ。

 

わたくしは、声を出さずに進んでいこう、

澄み渡った空気を通り過ごして、

しずかな、うつくしい、みんなのもとへ、

すいこまれていこう。

 

ありがとう、とあるに声をかける。

冷たくなったとき

くちびるが動き、

まぶたがあき

胸が鼓動する

これは、幻影だろうか、

動かない君はいなかった

とびはねる、海に飛び込む、食べ物をねだる

横たわる君の頬を撫ぜ、胸をさする

だが、今は冷たく鼓動しない。

 

わたくしは、君に

ありがとう、と何度も言おう。

ありがとう

ありがとう

わたくしという存在に、君の影がよりそう

ありがとう

ある

 

 

  H25年8月25日  近藤蔵人

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