2016年3月8日火曜日

花のことば・・・3


きょうは、赤ちゃんの話をしてみようと思います。

みんなは、赤ちゃんの時がありましたね。

その赤ちゃんは、どこに行ったのでしょうね。

ママにだっこされて、ママのおっぱいを吸って、はいはいをした赤ちゃんは、どこにいったのでしょう?

ある二年生に聞くと、むねを指してこの中にしまっていると言いました。

そうかもしれません。

みんなの赤ちゃんの時は、みんなのむねの中にしまわれているのでしょう。

時々思いおこして、ママのおっぱいがなつかしくなった子や、ママと手をつないでお散歩したことを思い出す子がいるかもしれません。

みんなが赤ちゃんの時は、かわいかったでしょうね。

僕は、みんなが赤ちゃんの時はとてもかわいかったと思いますよ。

2年生にもなれば、あっちに行ってとか、遊ばない!とかきつい一言を言うようになりましたが、マンマとか言っているときは、ほっぺにちゅうしたくなります。

みんなも赤ちゃんがかわいいとおもうでしょ?

でもどうしてかわいいなーと思うのでしょうか?

その説明をしてみます。

お花がみつを作ったり、良い香りがしたり、美しい色をしているのは、虫たちを呼び寄せるためです。

花はだいたい、ひとりでは子供ができません。

花粉をだれかに運んでもらわないと、めしべに花粉をつけるじゅふんができないからです。そうなると種ができないのです。

たぶん花は、地球で一番種類も数も多い動物である虫に、じゅふんの手伝いをしてもらおうと思ったのです。

おしべやめしべに止まった虫たちは体じゅうに花粉をつけ、ちがう花にその花粉をすり付けると花は次の世代が生まれます。そのために、虫をゆうわくしているのです。

同じように人も花の美しさにゆうわくされるので、花を見ると心がよろこぶのです。

ゆうわくという言葉は、相手に気に入られるようにしてまどわすという意味です。

辞書には、悪いことにさそうと書かれていますが、悪いことだけではありません。

わかりましたか?

だから、赤ちゃんがかわいらしく愛らしいのは、大人たちをゆうわくするように作られているからなのです。

お父さんも、お母さんも、美しいの元の言葉のいつくしむ気持ちがありますから、赤ちゃんを見ると、お世話をしたり、かわいがったりするのです。

赤ちゃんのみりょくはきょうりょくで、赤ちゃんの両親だけでなく、他の大人も感じてしまいます。

ほ乳類は、おっぱいで子供を育てる種類と言う意味で、ほ乳類といいます。

赤ちゃんをかわいいと思わないとお母さんがおっぱいをのませないから、かわいく思うように自然に作られたのだと思います。

ほ乳類は少しの子供を産んで、大切に育てるようにできているのですよ。

だから、君たちの中の女の子が大きくなったら、いっぱいおっぱいをあげてくださいね。

そのうえ、ほ乳類は、他の種類の動物もかわいく思うように作られています。

ネコの子供は、かわいいでしょ?

犬の子供もうんとかわいいでしょ。

どんな赤ちゃんもそういうふうにつくられているのです。

赤ちゃんは自分一人で大きくなれない、だれかに育てられて大きくなるようになっているのですね。

犬が、おサルの赤ちゃんにおっぱいを飲ませているのを見たことがありますか?

犬とサルは、大人同士だとけんかばっかりしていますが、犬はサルの赤ちゃんがかわいいと思ったのでおっぱいをあげたのですね。

だいぶ前ですが、オオカミが人の赤ちゃんを育てた記事がありました。

オオカミは、おなかがへって何か食べたくなっても、赤ちゃんを食べずにおっぱいをあげて大きくなるまで育てたのですよ。すごいでしょ。赤ちゃんの力です。

赤ちゃんは、それほど愛されるように、かわいらしく作られています。

でも、ほ乳類以外の動物は、赤ちゃんを可愛がる性質がありません。

お魚は、いっぱいの卵を産みっぱなしが多いし、虫が虫の赤ちゃんをかわいがっているところは見たことがありません。

ほ乳類はおっぱいがなくては育たないから、親に対してみりょくを出しているのです。

そのみりょくは、他のほ乳類まで感じ取ることができるのですね。

 

ゆうわくのお話をもうすこししてみます。

ゆうわくは、ゆうわくするものと、ゆうわくされてそのみりょくを感じるものとが必要です。花と虫、赤ちゃんとお母さんたちというふうになっています。

それでは、みんなに聞いてみます、人は何故自然を美しいと思うでしょ?

そうですね、自然はみりょくがあるし、人は自然を美しいなと感じる気持ちがあるからですね。

月や星は美しいし、木をだっこすれば木がお話ししているようだし、海はなんだかこきょうのように思えるし、雪がふれば空も畑も田んぼも、真っ白で美しいなーと思います。

それは、大昔から感じてきたのだと思います。

ひとは、ゆうわくされるとその物に引き付けられます。

今ではそういう性質を人が作ったものに感じることが多くなりましたが、もともとは、自然のみりょくを感じることから始まったのです。

都会にみりょくを感じたり、電車や新幹線や遊園地にみりょくを感じる子が多くいます。

人が作ったものは楽しく、面白いものもたくさんありますが、人が作ったものは何故か、あきることが多いのです。

みんなの中には、トミカの車が好きだった子がいるでしょ。

ぬいぐるみが好きな子もいるでしょうね。

でも、大きくなって好きな子は少なくなります。

人が作ったものは、いつまでも好きでいることは少ないのです。

でも、自然のみりょくはあきることはありません。

何がおこるかわからないのが自然だからです。

人が作ったものは、正解がありますが、自然では、どうするといいか答えのない問題を考えないといけません。大きくなると正解があることだけ考えるのでなく、答えがないことでもうまくやらなければならないことがたくさん出てきます。

自然遊びでそういう力が育ちます。

僕は、小さいころからお年寄りになった今でも山や海が大好きです。

 

そして、君たちが大きくなるともっともっとゆうわくするものがふえてきます。

だけど、ゆうわくには注意が必要ですよ。

大人たちは、商品を買ってもらうために、君たちをゆうわくしようと思っています。

テレビは、そのためにいろいろな番組を君たちに見せているのですよ。

ドラえもんは面白いでしょ。

でも,ときどきコマーシャルがながれるでしょ。

コマーシャルを見てもらうために妖怪ウオッチがあるのですよ。

君たちをゆうわくしようとすることが、大人たちのりえきになるからです。

ドラえもんも、妖怪ウオッチも見たい時には見てください。

君たちの実になりえいようになるでしょう。

でも、何にゆうわくされていいか、考えなくてはなりません。

悪いことにゆうわくされることが、大きくなるほどふえますからね。

 

みりょく的なものについて僕が考えていることを話して見ます。

僕の知り合いに、小学生の時に鳥のフンを運んでいるフンコロガシを、地面に寝ころんで一時間も見ている子がいました。後ろ足でフンをコロコロ転がしているところを見ていてあきなかったのです。その子はおじいさんになって虫博士と呼ばれて、休みになると虫探しに夢中です。

サッカーが好きな子もいますし、バレエが好きな子もいますね。からだは自然ですから運動はいいのです。

動物名人になったり、花名人になる子もいます。

夏になったら、海水浴で泳いでいる魚を見つけることができるし、魚つりもできますね。

森に入って、カブトムシやクワガタがつかまえられます。

僕は毎年夏には、クワガタ探しに夢中になります。

冬は、雪山に行ってスキーやそり遊びができまね。

また、音楽では、作曲家と演奏するひとがいますね。

作曲家では、モーさんやベーさんやシュウーさんがいます。

誰のことかわかりますか?後でお友達に聞いてください。

演奏する人は、モーさんたち作曲家の楽ふのすみずみまで研究して、心を込めて演奏します。

演奏者は、モーさんをとてもうやまい、愛しています。モーさんの音楽のみりょくを感じています。

モーさんは自分を表現して、演奏者はモーさんが表現した音楽のすべてを演奏したいと思います。

そのことは、絵を描く人たちにもあてはまります。

自然を写真のように描こうとする絵描きさんは、自然のすみずみまで、ていねいに見つめ、描き残しがないか何度も描いた絵をながめます。

それは、自然を愛して、すうはいして、あこがれてそのすべての感情を表現したいからです。

演奏者と同じでしょ?

偉大な作曲家も、演奏者もみりょくをだして、みんなをゆうわくしているのです。

このゆうわくには、みんなすなおにしたがいます。

そして、なんて良い気持ちなのだろうと、かんげきします。

ゆうわくには、みりょくをかんじて、感動して気持ちがよくなるというすばらしいことがあるのです。

 

それでは、赤ちゃんの話にもどりましょう。

あかちゃんは大きくなると、遊びたいおもちゃまではいはいして動きますね。

ママにだっこされたくなれば、自分の意思でママのところまではいはいしましたね。

はいはいがなれてくると、テーブルのはしを持ってつかまりだちをしました。

あかちゃんは、初めての行動をするときは、だいじょうぶだろうかと、心配や不安になります。

心配性(しんぱいしょう)の子は、ママの顔を見ながら、たおれたらだっこしてねという顔をしています。

ぼうけん好きな子は、ママを見ないでつかまり立ちをして、すぐにつかまり歩きをはじめます。

赤ちゃんによって不安を感じやすい子と、ぼうけん好きな子とそれぞれちがってきます。

それは、いでんしと言う、生まれながらの性質でちがってくるのです。

だいたいは、その性質が一生続きますが、変わることもあります。

つたわり歩きができると、お母さんはとっても大変です。

赤ちゃんは、テーブルの上のおちゃわんやコップを取って床に落とすからです。

おはしを持つと、顔でもさしたらけがをしてしまいます。

お母さんはテーブルの上のものを真ん中に集めて、赤ちゃんの手の届かないようにしなければなりません。

つたわり歩きになれてくると、お母さんがあかちゃんに「あんよは上手、ここまでおいで」と赤ちゃんを呼びます。

赤ちゃんは、お母さんに呼ばれるから、お母さんのところに行きたいのですが、たおれそうでこわくて一人歩きはむつかしいのです。

何回かお母さんが呼んでいると、一歩だけ手をはなして歩きます。

すぐに、お母さんがだっこして、「じょうずじょうず」とほめてくれます。

赤ちゃんが人間になる始まりの時です。

だいたいの赤ちゃんは、そうして独り歩きをはじめます。

しりもちをついたり、ころんだりしますが、すぐ近くにお母さんがいますから安心です。

ところが、知っている子がめずらしい一人歩きをしました。

つたい歩きは、上手にできたのです。

でも、一人歩きはまだできません。

ある日、床にオッチントンしていたその子は、両手を床につけて、こしをうかせはじめました。うーと声がでています。その部屋には何人もの人が、わいわい話をしていましたが、

うーと言う動物のような声がだんだん大きくなるので、みんなが赤ちゃんを見ました。

前かがみですが、手を前に出して、一人でゆっくり腰をあげて立ち上がりました。

大きな声で何度も「うー」とうなりながら、一人で立ち上がりました。

それから、何にもつかまらなくて、ゆっくり足を前に出して体をかたむけ、反対の足も動かしました。二歩一人で歩いたのです。

そして、しりもちをついて座り込みました。

見ていたみんなは、あかちゃんにあっけにとられて見ているだけでした。

きっと、この子は、床にすわっているとき、一人で立って一人で歩こうと心の中で決めたのです。1さいの子が、自分の意思で歩こうと決めたのです。

この子が、幼稚園に入園するとき、口におしゃぶりをはなせなくて、ママは心配していたのですが、幼稚園に入るのにはずかしいと自分で言い出して、おしゃぶりをやめたことがあります。

お母さんは、おしゃぶりをやめさすのに、指にトウガラシをぬったり、ほうたいしたり苦労するのですが、この子は、自分で言い出していっぺんでやめました。

きっと、意思が強い性質を持って生まれてきたのだと思います。

「三つ子のたましい百まで」と言いますが、一生この性質を持って生活するのだと思います。

 

自然からやってきた赤ちゃんは、生命力と言うパワーを持って生まれてきます。

からだのエネルギーが強い子、ふつうの子、心のエネルギーが強い子、ふつうの子などと別々な性質を持った子としてたんじょうします。

勝海舟(かつかいしゅう)という江戸と明治の時代のすぐれた人の父親の小吉と言う人は、僕が知るもっとも体のエネルギーの強い人でした。勉強はちっともしないで、けんかばっかりしていますが、海舟と言う立派な人を育てました。大きくなったら本を読んでみてください。とっても面白いですよ。

小吉のように強いエネルギーを持って生まれた子は、性質を変えることがたいへんむつかしいことがあります。

エネルギーが強い子は、だっこしようとしてもあばれてじっとしていません。

一人立ちし始めると、思いもかけないことをしてしまいます。

赤ちゃんは、良いこと悪いことをまだ知らないので、お母さんは大変こまります。

でも、自然に与えられた性質なので、お母さんはしかりすぎないで、そのエネルギーを何に使うか、赤ちゃんをかんさつしないといけません。大きくなるとエネルギーの強い子は、何かをなしとげることができるかもしれません。

おこりんぼうな子、すぐキレる子はまわりのカベがその子にたおれかかっているから、起こそうとしているのです。エネルギーが強いのですが、もともとのおこりんぼうはいません。

おこりんぼうやキレる子にあとでなったのです。

よく言うことを聞く子もいれば、好ききらいがはっきりしていて、いやだと言う子もいますし、遊び始めたら夢中になっていつまでも遊んでいる子もいます。内向的でじっと考えている子もいます。そして、それらが混ざっている子もいます。

子供は、「氏(うじ)と育ち」と言って、氏はいでんてきに決まっている性質と、育ちはおしえられたことやかんきょうによって作られていく性質があります。

赤ちゃんをよく見ていると持って生まれた性質があらわれています。

それを困ったことであっても、伸ばしてあげるのが大切だと思います。

みんなはそれぞれ、どんな性格を持って生まれてきたか考えてみてください。

それから、その性格を良く使う方法で生きていくのです。

性格はすこしずつ変わることもありますが、だいたいは一生つづきます。

小吉も、大きくなってけんかはしなくなりました。

これらは、遺伝子という生まれた時の性質のことですが、育ちとという大変やっかいな問題もありますが、今度はなして見ます。

長くなりましたので、これで赤ちゃんのお話を終わりにします。

 

                 近藤くらひと   平成27年1月2日

 

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