2016年4月21日木曜日

永遠のドラキュラ

国立科学博物館に電話をしてみました。
3万年前、最初に日本にわたってきた人たちは、台湾から草舟で航海したそうです。
博物館が、草舟を作って航海の実験をすると聞いたからです。
新石器時代には、石斧で丸太舟や木の船の製作ができるようになります。それまでは、世界中で草舟で海を渡ったそうです。
その草舟を新潟粟島では、カヤで作り、七夕丸として、人が乗れるほどの大きさで毎年作っては、七夕の日に願い事を書いて海に流しています。
粟島には石器時代の遺跡があります。
3万年から8000年前の石斧ができる間だけ、日本では草舟が作られたでしょう。
今現在、粟島以外で伝統的に草舟を作っているところがあるかどうかはわかりませんが、
その、起源へのノスタルジアが、粟島では七夕丸として制作していると想像すると、国立博物館が、そのことを知っているか聞いてみたかったのです。
これからの文章も、その起源へのノスタルジアで書かれたものです。
 

永遠のドラキュラ

 

春が始まるころには、保育園、幼稚園で豆まき行事を行う。

園長先生や保育士の先生が、赤や青の鬼の面、衣装を着けて、こん棒を持って、

「悪い子はいないかー」と子供たちに声をかける。

園児たちは、アリの子を散らすように逃げまどい、泣き出す子が大勢いる。

鬼は、ぼさぼさ頭に二本の角をつけ、真っ赤に血走った目は飛び出し、口の両端から黄色ずんだ尖った犬歯が見え耳の近くまで裂けている。

衣装が、本物と見間違えるほどよくできており、子供たちは次の日に「鬼はいない?」と心配するほどだ。

言うことを聞かないと鬼が来るぞーと子供たちのトラウマとなるように演出している。

僕が、園長先生が入っているんだよと説明しても、子供には通じない。

かつてのように、平らな紙のお面ぐらいで十分だと思うが、凝りに凝ったお面や衣装が市販されているから、先生たちは多分喜んで作品に感謝しているかもしれない。

子供たちは、豆まきして鬼退治するどころではなく、保育士の先生の後ろにかくれて、おもらししながら泣きじゃくっている子もいる。

それでも、しばらくすると数人の元気な子供たちは、先生に諭されて豆まきを始める。

「鬼は外、福は内」

 

資料によると、鬼は縄文人の顔をデフォルメしたものだという。

西洋人顔で夏目漱石が代表的縄文顔と言われるが、目が二重で大きく、鼻も出っ張り、彫の深い角ばった顔。(金田一京助は、縄文系、蝦夷、アイヌを日本人でなく西洋人と主張していた)

氷河期を生き残ったうりざね顔、つり目かぎ鼻の弥生人にとって、縄文人は鬼だったのだろう。

日本各地で節分の豆まきが行われ、鬼が排除され、弥生人的気質「瑞穂の国」が出来上がった。

平安時代、嵯峨天皇の直系、源の綱のちの渡辺の綱一族(渡辺星という丸三つに一文字家紋が渡辺綱独占家紋)は、現在に至っても、豆まきをしないと言う。

それは、京・一条戻り橋に髪切りの太刀で鬼の片腕を切り落とした渡辺綱一族を恐れて攻撃してこないから必要がないと言うことのようだ。

征服した民は、征服された民を揶揄しておとしめることは世界中で普通にある。

稲作農耕民となった日ノ本の民は、日がな一日木陰で昼寝し談笑している縄文人を許さなかったのだろう。

定住する農耕民は、新しい知見では栄養が偏り、労働時間が長く、蓄えの防御のための戦の備えもあり縄文人より平均寿命が短かったと言う。

日が昇ってから日暮れまで田んぼに出、夜には家仕事で休む間もない彼らは、昼寝している縄文人を許す環境ではなかったのだろう。

3万年前ごろから日本に初めて住み始めた石器時代人は、狩猟採集生活だった。

今、国立科学博物館では、日本人の祖先が3万年前大陸から日本列島にわたって航海した草舟(ヒメガマで製作する)を作っている。

大陸と地続きだった台湾から、黒潮を超えて琉球列島にわたるルートを再現するそうだ。

その草舟と同じように新潟の粟島では、カヤで人が乗れるほどの七夕丸を作り七夕の日に海に流す行事がある。草舟は石斧で丸太舟や木の船ができるまでの間作られた。古事記の中にイザナギとイザナミの尊が蛭子を産んだので、それを葦舟に乗せて流したと記述がある。

粟島には石器遺跡があるので、現代人の彼らでも起源への思慕で毎年草舟をつくり、織姫にあこがれて継承しているとは、何かせつない思いがする。

 

生命は、他生命を捕獲する時、血沸き肉躍るように作られている。

だから、狩猟採集は労働ではなく喜びであった。

男たちは、チームを組んでシカやイノシシ、クマ、ウサギ、キジ、山鳥を狙い、時々とれるそれらの獲物の首筋に食らいつき、最後のとどめをしたと思う。

火を起こすまでは生き血を吸い、生き肉を食べただろう。

石器時代は大型動物を毎日食べることは出来ない。

タンパク質は、魚、貝がほとんどで、採取したクリやあく抜きした栃の実、ドングリ、食用野菜を発見しては、毎日の栄養にしていた。その時間一日2.3時間ぐらいと言われている。

そのほかの昼間の時間は、口琴を奏でたり、歌をうたったり、誰それの噂話にあけくれていただろう。

かれらは、現在の先住民と同じように、朝起きぬけに川や海に入り、口をゆすぎ、顔を洗い、髪の毛を手ですき、大小便をそのまま水の中に流した。

思うほど不潔ではない。

 

話が変わるが、

フランスの社会学者アンドレ・ゴルツが、現在の生活レベルを落とさずに週10時間労働(一日2時間、縄文人と同じほど)で社会が成り立つことが可能だと、仮設ではあるが面白い考えを述べている。

それには、戦争に備えた防備や訓練を止める。

     流通過程を、できるだけ地産地消としローカルな流通とする。

     バーチャルな金融システムを止める。

     各会社が過剰な利益を上げない。

地球の有限な環境を消費し尽さないようにするためには、持続できる消費と生産を考えなくてはならない。

4大文明が消えたのは、無限と思っていたエネルギー資源が有限となっても蕩尽したからだ。

ヨーロッパの森もすべて人工林だそうだ。原生林は一か所もない。

使い切っても、植林を怠らなければ持続可能であった。

人口減少が顕著なのは、人々が過去と同じように成長だけと考えていないから、必然の結果だと思う。

適応した環境に生きる生命体は、徐々に数を増やし爆発的に増えるようになると環境を破壊する。その時に絶滅するか、存続するかが環境資源の使い方できまる。

環境に合わせるには、人口を調整するしかない。

現在は、その狭間の時期なのだろう。

コルツが言う軍備を止めるには、はるかな時間がひつようだろう。

考えるものには世界は喜劇であり、感じるものには世界は悲劇だというが、

日本での悲惨な戦争経験も70年経ると、兵隊の海外派遣を合法化するようになる。

いつまでも懲りないのかと思うが、いつかは、悲惨の限りを味わって、もうこりごりだと言う時がくるだろう。それには経済成長が大きな障害となるだろう。

100200年先には、生活を楽しんで2.3時間の労働、そのような未来が望ましい。

 

西洋には、ヴァンパイア伝説がある。

死者がよみがえり、吸血して生きながらえる。

このような伝説は、世界の各地に残っているという。

ドラキュラ伝説は、農耕民が定住革命を起こした後、狩猟採集時代に望郷の念を感じることの現れだろう。日本の鬼と同じ位置にいる。

ドラキュラ映画の初期は、蝙蝠がクロマントのドラキュラに変身して、夜な夜なネグリジェ姿の美女をテラスに誘い出し、首筋に歯を立てるレイプ物に近い印象だったが、このところのドラキュラ映画は、ドラキュラ本人が主人公になってかつての生活を再現している。

ジム・ジャームッシュ監督の「オンリーラヴァーズ・レフト・アライブ」では、23百年生きているヴアンパイヤが,閉め切った部屋でギターを集め作曲で生計を立て、夜になると病院に新鮮な血を買い求めに行く。音楽を聞き、ギターを鳴らし、時には夜演奏会場に出向き自分の曲の演奏されていることを知る。

宮沢賢治が「農民芸術概論綱要」のなかで、

 職業芸術家は一度滅びねばならぬ

 誰人もみな芸術家たる感受をなせ

 個性の優れる方面において各々止む無き表現をなせ

 しかもめいめいそのときどきの芸術家である

 

 かつて我々の師父たちは乏しいながらかなり楽しく生きていた

 そこには芸術も宗教もあった

 今我々にはただ労働が、生存があるばかりである

 宗教は疲れて近代科学に置換されしかも科学は冷たく暗い

 

宮沢賢治は、農民にも文化的喜びが必要だと思っていた。

個性に合わせて表現をなせと言う。

日が名一日遊んで暮らすわけにはいかないが、喜びは労働にあるのではなく文化資本の充実にあると思っていただろう。

そして時には、首筋に噛みつかなくとも、狩猟する快楽に身を任せることがあってもいいと思う。

だから、ヴァンパイア映画は、どれも見たくなる。

どんな監督の映画でも、見ていて気持ちがいい。

世間につまはじきにされているけれど、生き方を変えない彼らにノスタルジーを感じる。

粟島の人々が、春に刈ったカヤを集めて、お盆に草舟を作る行事と同じ心性だと思う。

 

演劇人である平田オリザの新しい本に、生まれた地方に帰らないのは仕事がないからだけでなく、地方がつまらないからだと言う。

彼は,つまらない地方を演劇やアートなど文化資本を立ち上げることで創生する。

経済によって、地方をよみがえらせるのではなく、アートによって人が楽しみ、美味しい食事に、気持ちのいい温泉、地方にコミュニケーションの場を立ち上げることで、ひいては、人が集まり、地方だと思っていた故郷が、喜びのある場所に変わる。

宮沢賢治が言うように、かつては楽しい生活があったのだ。

季節ごとに(季節を味わうこと)獅子舞だったり、鹿踊りだったり、お盆にカヤで七夕丸を流したり、それらは、美しくていねいな技術が継承されなければ成り立たなかった。

そこには芸術が生きていた。

東北では、落ち込んでいた震災後の人々は、伝統的な鹿踊りを開催することで息を吹き返したとニュースが流れていた。

伝統でも、新しいコミュニケーションの場でも文化資本の充実が、生活を楽しみながら生きていける「かなめ」になっている。

 

江戸学の田中優子によると、24才と若くして亡くなった樋口一葉は「最後には乞食、カタイになりて果てたい」と言ったという。

世界文学全集で日本からただ一人苦界浄土で選ばれた石牟礼道子も「野垂れ死にしたい願望がある」と書いている。

もう一歩も歩けなくなって道端に伏し、青い空の中泳ぐ白い雲を眺めながら静かに目を閉じると、藪からは様々な虫の声が聞こえ、小梢では何種類かの鳥が鳴いている。

ときおり、遠くの方でシカの声が聞こえるかもしれない。

足元では、草がそよぎ、木の葉が顔に降りてくる。

もう一度目を開けると、紫のスミレの花がところどころに咲いている。

最後に、世界は美しいとひとこと言えるかもしれない。

現実には、家族に迷惑をかけ、山で遺体に遭遇した杣人を驚かせ、ふもとまで運ばなければならない、と、思うと実行は無理かなと思うが、

西行のように西に向かって一人ずた袋を背負い、山頭火が「分け入っても分け入っても青い山」と歩き続けたように、樋口一葉も石牟礼道子も縄文人の末裔の漂泊にあこがれたのだろう。

 

               28421日 近藤蔵人

2016年4月12日火曜日

断崖絶壁


「断崖絶壁」

 

家に遊びに来た慶応義塾大学と一ツ橋大学の学生たちの雰囲気は、ちょっとした学者風だった。

4年間の学生生活を勉学にいそしんだのだろう。

彼女たちは、今年卒業し、それぞれの就職生活が始まった5月、一人が我が家を再訪した。

彼女は、自分の勉強したことが生かせる仕事でやりがいがあると言う。

それを聴いた僕は、「就職して、100%世俗的になる人と、生活の為と仕事はしても、思考を続けたいと思う人と、学問にしか生きがいを見だせない人がいる」と話した。

彼女は、いいお話ですねと返事をかえした。

この子は、学者風が抜けて、企業人となるのだろうか?という思いで聞いてみたのだった。

オックスフォード大学に留学した人の話では、哲学や文学を博士号まで取得したあと、小学校の先生で生涯暮らすことを理想とする人がいると言う。

そういえば、漢字学者の白川静も、中学の先生で生涯を終えるだろうと思っていた、と何かに書いていた。

そういう世の中に潜んでいる哲人に向かってか、

思想家の内田樹が、憤懣やるかたなく、一気呵成に書いた刺激的な文章を、相当長いが引用したい。(内田樹は、合気道と、レグイナスというユダヤ思想家を、「身体と思想」として関連させ、今では、日本の古代の身体運用が残っている能や謡まで実践研究している。食うために思想家をしている武道家と自分を位置付けており、自分の本のタイトルに街場のと名付けるほどに、リーダーフレンドリーな文章家である。)

 

 

前段略

かつて白川静は孔子を評してこう書いたことがある。

 「孔子の世系についての『史記』などにしるす物語はすべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子として、早くに孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう。

そしてそのことが、人間についてはじめて深い凝視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したのであろう。思想は富貴の身分から生まれるものではない」。(白川静、『孔子伝』、中公文庫、2003年、26頁)

 思想は富貴の身分から生まれるものではないというのは白川静が実存を賭けて書いた一行である。

「富貴の身分」というのはこの世の中の仕組みにスマート適応して、しかるべき権力や財貨や威信や人望を得て、今あるままの世界の中で愉快に暮らしていける「才能」のことである。

「富貴の人」はこの世界の仕組みについて根源的な考察をする必要を感じない(健康な人間が自分の循環器系や内分泌系の仕組みに興味を持たないのと同じである)。

「人間いかに生きるべきか」というような問いを自分に向けることもない(彼ら自身がすでに成功者であるのに、どこに自己陶冶のロールモデルを探す必要があるだろう)。

富貴の人は根源的になることがない。

そのやり方を知らないし、その必要もない。

そういう人間から思想が生まれることはないと白川静は言ったのである。

 同じようなことを鈴木大拙も書いていた。

『日本的霊性』において、平安時代に宗教はなく、それは鎌倉時代に人が「大地の霊」に触れたときに始まったという理説を基礎づける中で大拙はこう書いている。

 「享楽主義が現実に肯定される世界には、宗教はない。

万葉時代は、まだ幼稚な原始性のままだから、宗教は育たぬ。

平安時代に入りては、日本人もいくらか考えてよさそうなものであったが、都の文化教育者はあまりに現世的であった。

外からの刺激がないから、反省の機会はない。(・・・)

宗教は現世利益の祈りからは生まれぬ。」(鈴木大拙、『日本的霊性』、岩波文庫、1972年、41-42頁)

 白川静が「思想」と呼んでいるものと、鈴木大拙が「宗教」と呼んでいるものは、呼び方は違うが中身は変わらない。

世界のありようを根源的にとらえ、人間たちに生き方を指南し、さらにひとりひとりの生きる力を賦活する、そのような言葉を語りうることである。

思想であれ宗教であれ、あるいは学術であれ芸術であれ、語るに足るものは「富貴の身分」や「享楽主義」や「現世利益」からは生まれない。

二人の老賢人はそう教えている。

 

これが話の前提である。

私が問題にしているのは「真の才能」である。

なぜ、私が「自己評価の下方修正」についての原稿をまず「真の才能とは何か?」という問いから始めたかというと、「真の才能」を一方の極に措定しておかないと、「才能」についての話は始まらないからである。

というのは、私たちがふだん日常生活の中でうるさく論じ、その成功や失敗について気に病んでいるのは、はっきり言って「どうでもいい才能」のことだからである。

 「富貴」をもたらし、「享楽主義」や「現世利益」とも相性がよいのは「どうでもいい才能」である。それは思想とも宗教とも関係がない。そんなものは「あっても、なくても、どうでもいい」と私は思う。

ところが現代人は、まさにその「あっても、なくても、どうでもいい才能」の多寡をあげつらい、格付けに勤しみ、優劣勝敗巧拙をうるさく言挙げする。

 今の世の中で「才能」と呼ばれているものは、一言で言ってしまえば「この世界のシステムを熟知し、それを巧みに活用することで自己利益を増大させる能力」のことである。

「才能ある人」たちはこの世の中の仕組みを理解し、その知識を利用して、「いい思い」をしている。

彼らは、なぜこの世の中はこのような構造になっているのか、どのような与件によってこの構造はかたちづくられ、どのような条件が失われたときに瓦解するのかといったことには知的資源を用いない。

この世の中の今の仕組みが崩れるというのは、「富貴の人」にとっては「最も考えたくないこと」だからである。考えたくないことは、考えない。

フランス革命の前の王侯たちはそうだったし、ソ連崩壊前の「ノーメンクラトゥーラ」もそうだった。そして、「考えたくないことは考えない」でいるうちに、しばしば「最も考えたくないこと」が起き、それについて何の備えもしていなかった人たちは大伽藍の瓦礫とともに、大地の裂け目に呑み込まれて行った。

この世のシステムはいずれ崩壊する。

これは約束してもいい。いつ、どういうかたちで崩壊するのかはわからない。

でも、必ず崩壊する。歴史を振り返る限り、これに例外はない。

250年間続いた徳川幕府も崩壊したし、世界の五大国に列した大日本帝国も崩壊した。戦後日本の政体もいずれ崩壊する。それがいつ、どういうかたちで起きるのかは予測できないが。

 私たちが「真の才能」を重んじるのは、それだけが「そういうとき」に備えているからである。「真の才能」だけが「そういうとき」に、どこに踏みとどまればいいのか、何にしがみつけばいいのか、どこに向かって走ればいいのか、それを指示できる。

「真の才能」はつねに世界のありようを根源的なところからとらえる訓練をしてきたからだ。

 問題は「すべてが崩れる」ことではない。

すべてが崩れるように見えるカオス的状況においても、局所的には秩序が残ることである。「真の才能」はそれを感知できる。

カオスにおいても秩序は均質的には崩れない。

激しく崩れる部分と、部分的秩序が生き延びる場が混在するのがカオスなのである。

どれほど世の中が崩れても、崩れずに残るものがある。

それなしでは人間が集団的に生きてゆくことができない制度はどんな場合でも残るか、あるいは瓦礫の中から真っ先に再生する。

どれほど悲惨な難民キャンプでも、そこに暮らす人々の争いを鎮めるための司法の場と、傷つき病んだ人を受け容れるための医療の場と、子供たちを成熟に導くための教育の場と、死者を悼み、神の加護と慈悲を祈るための霊的な場だけは残る。

そこが人間性の最後の砦だからである。

それが失われたらもう人間は集団的には生きてゆけない。

 裁きと癒しと学びと祈りという根源的な仕事を担うためには一定数の「おとな」が存在しなければならない。別に成員の全員が「おとな」である必要はない。

せめて一割程度の人間がどれほど世の中がめちゃくちゃになっても、この四つの根源的な仕事を担ってくれるならば、システムが瓦解した後でも、カオスの大海に島のように浮かぶその「条理の通る場」を足がかりにして、私たちはまた新しいシステムを作り上げることができる。私はそんなふうに考えている。

 自分の将来について考えるときに、「死ぬまで、この社会は今あるような社会のままだろう」ということを不可疑の前提として、このシステムの中で「費用対効果のよい生き方」を探す子供たちと、「いつか、この社会は予測もつかないようなかたちで破局を迎えるのではあるまいか」という漠然とした不安に囚われ、その日に備えておかなければならないと考える子供たちがいる。

「平時対応」の子供たちと「非常時対応」の子供たちと言い換えてもいい。

実は、彼らはそれぞれの「モード」に従って何かを「あきらめている」。

「平時対応」を選んだ子供たちは、「もしものとき」に自分が営々として築いてきたもの、地位や名誉や財貨や文化資本が「紙くず」になるリスクを負っている。

「非常時対応」の子供たちは、「もしものとき」に備えるために、今のシステムで人々がありがたがっている諸々の価値の追求を断念している。

どのような破局的場面でも揺るがぬような確かな思想的背骨を求めつつ同時に「富貴」であることはできないからである。

 人間は何かを諦めなければならない。これに例外はない。

自分が平時向きの人間であるか、非常時向きの人間であるかを私たちは自己決定することができない。それは生得的な「傾向」として私たちの身体に刻みつけられている。

それが言うところの「あるがままの自己」である。

だから、「あるがままの自己」を受け入れるということは、「システムが順調に機能しているときは羽振りがよいが、カオスには対応できない」という無能の様態を選ぶか、

「破局的状況で生き延びる力はあるが、システムが順調に機能しているときはぱっとしない」という無能の様態を選ぶかの二者択一をなすということである。

どちらかを取れば、どちらかを諦めなければならない。

 以上は一般論である。

そして、より現実的な問題は編集者が示唆したとおり、今私たちがいるのが「閉塞感漂う現代社会」の中だということである。

 「閉塞感」というのは、システムがすでに順調に機能しなくなり始めていることの徴候である。制度が、立ち上がったときの鮮度を失い、劣化し、あちこちで崩れ始めているとき、私たちは「閉塞感」を覚える。

そこにはもう「生き生きとしたもの」が感じられないからだ。

壁の隙間から腐臭が漂い、みずみずしいエネルギーが流れているはずの器官が硬直して、もろもろの制度がすでに可塑性や流動性を失っている。

今の日本はそうなっている。それは上から下までみんな感じている。

システムの受益者たちでさえ、このシステムを延命させることにしだいに困難を覚え始めている。

一番スマートな人たちは、そろそろ店を畳んで、溜め込んだ個人資産を無傷で持ち出して、「日本ではないところ」に逃げる用意を始めている。

シンガポールや香港に租税回避したり、子供たちを中学から海外の学校に送り出す趨勢や、日本語より英語ができることをありがたがる風潮は、その「逃げ支度」のひとつの徴候である。

彼らはシステムが瓦解する場には居合わせたくないのである。

破局的な事態が訪れたあと、損壊を免れたわずかばかりの資源と手元に残っただけの道具を使って、瓦礫から「新しい社会」を再建するというような面倒な仕事を彼らは引き受ける気がない。

だから、私たちがこの先頼りにできるのは、今のところあまりスマートには見えないけれど、いずれ「ひどいこと」が起きたときに、どこにも逃げず、ここに踏みとどまって、ささやかだが、それなりに条理の通った、手触りの優しい場、人間が共同的に生きることのできる場所を手作りしてくれる人々だということになる。私はそう思っている。

いずれそのような重大な責務を担うことになる子供たちは、たぶん今の学校教育の場ではあまり「ぱっとしない」のだろうと思う。

「これを勉強するといいことがある」というタイプの利益誘導にさっぱり反応せず、「グローバル人材育成」戦略にも乗らず、「英語ができる日本人」にもなりたがる様子もなく、遠い眼をして物思いに耽っている。

彼らはたしかに何かを「あきらめている」のだが、それは地平線の遠くに「どんなことがあっても、あきらめてはいけないもの」を望見しているからである。

たぶんそうだと思う。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上

 

 

内田樹は、やりきれない方向に向かいそうな時代の気配に、少し、いらだっているようだ。

そのために、勢いのある文章となったのだろう。

現政権は、憲法も、法律も、メディアも思惑通りになるように解釈しなおし、そのために人選までも行った。

それでも半数以上の支持率が続き、

大衆の給料を下げることによって、経済界が有利になるような政策を上げても、当の大衆が喝采を送る。

内田先生は、大衆は馬鹿ではない、有効な選択をすると述べつつも、富貴の人物を、必要な人材とみなさない。

このままではいかんという思いがこの文章を書かせたのだと思う。

例えば、役場のカウンタ―内で、怒りをぶつけに来る市民の担当にアルバイトを当て、用品売り場のような時給で雇用し、その実、過去には危険手当である特別手当を支給していた部署なのだ。

ほとんどの市民は善良で、誠実だけれど、週に一人二人、殴られる恐れのない彼らに鬱憤を晴らしに来る人がいるという。10分、30分1時間不満を吐き出して帰る。

時給850円でその職をこなし、(今は役場の窓口はほとんどアルバイトである)、

その時給じゃあ、一般ではもっと下げてもよいと、社会一般の低賃金の時流を作っている。

それでよいのか?と、正したいのだが、

もうそういうことはいい、そういうことに言説を傾けるほどには余裕がない。

今では、富貴の人生を想像だにしない未来を見続けている子供たちに期待を寄せるしかない。

内田先生は、合気道道場及び私塾を学べる私邸を数年前に建てている。

それらのすべてを、遺言で、塾生に譲るという。

未来は、富貴をあきらめた子供たちに託すしかない。

 

僕たちは、いつも旅を夢想してきた。

旅は、日常から、非日常へと気持ちの切り替えを行える。

解りやすく言えば、旅は日常という「飼いならされた思想」から、非日常という「野生の思想」を憧れるということだ。

野生と、認識することがなければ、ただ、家畜のような日々からの脱出とおもえばいい。

それは、僕の言っていることでなく、レヴィー・ストロースと言う学者の弁である。

家畜や、飼いならされた動物に、破壊された世界を再生する能力はない。

しかし、野生の力は、無意識として僕たちの体に隠れている。

熱いものを触ったとき、すかさず手を離す。

これは、脳の中の意識が命令してから手を動かすのではなく、

身体が判断してやけどを防いでいるのだ。

人は、脳優先で物事を考えるが、脳の機能はいつも後出しである。

脳幹や原始脳と言われる脳には、その判断ができるが、大脳皮質は、時間差があって判断する。その上固着するし、寛容を忘れるなど大脳皮質の弱点も知る必要がある。

イグノーベル賞の実験の、ラットがオペラ椿姫を聴いて、生存活動が活発化した実験では、人ほど発達していないラットの脳も、人の作曲したオペラを感じることができた。

内田樹が、身体性に重きを置いているのは、野生との共存を考えてのことだと思う。

古武術の達人甲野先生が、内田樹に初めて会ったときのことを書いているが、まだ、日本にもこんなに野生を保った人物がいるのかと驚いたとある。

野生の力とは、言葉でこうだとは言えないが、

狩猟採集民であった記憶を呼び寄せることだとも思う。

 

脳は日常が永遠に続くと思いたい。

そのため永続しようと努力を重ねるが、システムの過剰な維持は、システムの劣化しか呼び寄せない。退職した裁判官の告発の本が出たが、正義をつかさどる判事や検事にして、数々の非常識を事例が示すばかりだ。

橋本治は、東海原子力研究所の臨界事故の時のことを著書に記している。

バケツで放射能水を運び多機能不全で亡くなられた2人は、当然放射脳管理資格を持った有識者だったろう。その人たちが、放射能をかき回し、その為、所内に汚染が広がり被爆者を多数だすことになった。その後、容体が急変した当事者を、救急搬送するにも、消防署員には放射能の事は知らせず被ばくさせ、あげく近隣の住民数万人が非難した事件のことだ。

これは、原子力が安全かどうかのレベルの問題ではなく、人に原子力を扱う力量が、変わらずあり続けるのだろうか?という問題であるとしていた。

扱っていたのは、プロの原子力技術者である。

その後に、福島原子力事故である。

先日の韓国客船の船長や係りの者が、乗客を救出せずにいち早く脱出したニュースを見て、カノ国は、ズサンだなーと思っていたら、福島原発爆発事故のおり、原発の所長の指示に従わず、90%の幹部も含む所員が職場放棄して逃げたと新聞に出た。

それらは、国、東電がシステム維持を第一優先事項として、現在まで故意に隠蔽していた。

事故の現状認識がなくて、再発防止策を立てることはできない。

それとも、一番最初に逃げ出すことのできるほど目端の利いた人が、トップにいる方が安心というのだろうか。

東電も国も、再発防止を考えるより、東電の存続のみを考えた。

しかし、僕はその使命を果たせるだろうか。

爆発する。それにげろー。

内田樹は、90%は逃げてもいい、10%15%が成熟した大人となって、使命を遂行できればいいと言う。

原発従事者は、その他の職種も、また、いろいろな出来事があっても同じだろう。

そこで、自身をかえりみず行為を遂行できるか、

使命を果たせるかと僕自信に問うべきなのだろう。

 

断崖絶壁から落ちていく先頭には気がつかず、ひたすら後に続く飼いならされた動物。

世界が、順調に回っているときには、綺麗も、清潔も、無臭も僕らの貴重な財産だった。

保育園児の時から、緊縛衣を着せられることになれた僕たちは、従順と努力と、現状維持だけに、尽力してきたが、

いつか、世界が瓦解すると、想像しなければならないようだ。

 

                        26.5.20   近藤