2016年10月14日金曜日

サッカー、試合の後で


 

 

 

 

サッカーでは、アウェイとホームと呼び、競技場に違いがある。

自陣あるいは同族と仲間たちをホームと言い。

敵陣あるいは遠隔地の敵対者と戦うことをアウェイと言う。

地元で戦う時には、勝たなければならず、

敵地で戦うときには、負けなければ良しとする。

(たいていのスポーツは、敵地での試合を引き分けでいいとは考えていない。

これが他のスポーツと本質として違うところだ。)

大勢のサポーターという同族の中での試合では、高タンパク質の獲物を持ちかえり、食べ分ける為に、ホームという概念がある。サッカーは狩猟であるのだ。

狩猟者である選手は、一人の主神(主審)によって、行為の判定と善悪を裁かれる。

主審は一神教の使いのようであるが、狩猟採集者を、上から目線の論理で判定する土着定住者とも見受けられる。(先の試合、あまりにホーム優位に笛を吹くので、かちんときている。少し公平さをかいているかもしれない。)

狩猟採集時代には、主神は存在しない。

それぞれのモノや行為や現象にあらわれるそれぞれのカミだけがいた。

(東南アジアには、ピーのカミがいたるところにおり、それぞれに附くカミであり、又一つのカミでもある。)

だから、時代を経てゲームとしてサッカーが成立した時には、主神がいたとしても、この対比は、考えづらいものがある。

その時代には王は存在せず、皆平等で、時として長老が問題解決をした。

サッカーの成立時期は、牧畜農耕時代以後の工業化の時代のことであるから、過去の遺物である狩猟としてのゲームを、農耕民的エートスで裁きたいのだ。

 

サッカーと言う狩猟は見るものも、演じる者も快楽そのものである。

農耕民は、いい加減にしろ!と冷や水を掛けたいのだ。

(俺たちは毎日こつこつと仕事をこなしているのだ)

その為、主審は、安全な帰郷と豪華な接待の為ホーム有利に判定する。

引き分けで試合が終わりそうな時間帯に、敵にフリーキックで一点を取られることは、もってのほかである。

夜の饗宴が、そのヒト蹴りのため、後ろからナイフで刺される恐怖を味わわなければならない。事件にならなくても、罵声と饗宴では、待遇が違いすぎる。

そういう真理とは関係のないところで、ゲームは存在するのである。

狩猟者は、成熟してその判定に甘んじなければならないが、

主審という判定者は自己を真実のもと点検することはしない。

(機械で判定するというなら、まだ土着者にまかせた方が救いがあるが。)

左脳優先の牧畜農耕土着者の主審は、他人の言説にたじろぐことはない。

なぜなら、主審は善意でことを進めているからである。

(彼らは、ボランティアで審判になったのだ。)

それは、母親がグレートマザーとなるのが愛情のせいであることと変わりがない。

左脳で決定したことに、論理的優位と、おそろしいことに善意と愛情がまとわりついているのだ。

 

黒豆が動いた、と、たとえ話がある。

男が、黒豆が落ちていると言うと、もう一人が、動いたからゴキブリだよ、と言った。

男は、そうじゃあないよ、黒豆が動いただけだよと、返答した、というものだ。

黒豆と左脳で決定したからには、何が何でも黒豆と見えるのだ。

 

先日アメリカの空港で、アルカイジャの幹部の名前の搭乗者が居ると、10数名の精鋭が飛行機に乗り込み、仲間共3人を逮捕し、空港事務所に連れ行った。

本部に連絡し数十分で解放したが、当の犯人だとおぼしき名前の主は1歳半の赤ちゃんであった。

両親は怒ってその飛行機には再搭乗しなかったと、記事に有る。

決定した者のことを考えると、現場では異言が唱えられなく、

赤ちゃんであっても、その場で結論できない程に、システムは機能していない。

どんなに優秀でも土着定住者には、先は見えない。そういう構造になっている。

土着定住者は、今現在の改革には、驚かざるをえない精度と様式を創造出来るが、断崖が見えないせいで、崖から落ちようとも一斉に落ちるのだから隣の人物に注意しているだけである。

先の東京電力などの、危機管理能力の機能不全は、牧畜農耕民の特質その物である、と思う。

システムの維持に全力をつくしても、危機回避と、安全性の追求には、目をつぶってしまった。

黒豆と決定したからには、土着定住者には、動いても黒豆なのだ。

断じてごきぶりではない。

 

左脳優先によって人類は滅亡するかもしれないと言われる。

避けるには、狩猟民としてのエートスを思い返さなければならないと思う。

我々は、40億年狩猟採集してきたのだ、たかだか数千年前から変化してきた牧畜農耕作業によって培われた左脳優先の新しい気質にだけ従順であることはない。

よーく、思い起こせば、われわれは狩猟採集民の血筋を引いていることに気がつくはずだ。

海を思い起こし、山や川や湖をそれらを体験した昭和3,40年代までのふるさとを思い起こせば、自然と同体の時があったはずである。

その上日本人は、漁労採集も長く続けてきたのだ。

(かわいそうだが、昭和50年以降には、思い出す過去もない。東京オリンピックがその境目だと言われる)

木々のざわめきに生物を発見し、

石の表面に附いた足跡で、いのししの頭数と行った方向を決め、

風向きで行動を決定し、

生えた草木で土の中の飲み水を感知する、それらが、ごく自然に出来たのである。

太陽や雲の動き、月の変化、気配の察知、殺気からの逃避、自然が生き物として感じていたはずである。

そして、夜は踊りと歌で仲間と同化する。

彼らのように、感知したり、察知したりする能力が極端に墜ちてしまったのだ。

色々な提言の有った原発では、維持にのみ努力し、想定外で済ましてしまおうとしている。

土着定住者としての思考形態しか、思い浮かばないのである。

駐車場の白線に、ドアを開けて確認してから、平行に止める。なにゆえに?

そうしない運転手には、平行に止めなさいと叱咤する。なにゆえに?

数千年の間、土着定住農耕民は苗を真っすぐに植えたかったのだと思う。

自然は直線を忌み嫌うというが、直線で田畑を分割してきたのだ。

自然をすべて、人工物に変えたかったのだ。

車をもう一度動かして駐車し直すということは、

強迫神経症という病態であることも認識できない。

私たちの世代すべてに、覆いかぶさっている破滅への心情である。

 

もし、狩猟採集者が、広い駐車場に規則正しく引いている白線を見ると何と思うだろうか?

白線の意味がくみ取れれば、恐怖を感じるのではないだろうか?と思う。

自分は自由だが、この白線は、自分に強要する。自由を奪おうとする。

最低限必要なだけの強制は、狩猟社会にあるが、

現代のように、なにからなにまで指示によって行動することに、不安を感じるだろう。

 

石灰でざらざらの壁、傷だらけの家具、時間を表現するため、古く見せる加工をした店内に、はじめてやって来たカナダ人が、日本で色々な所を廻ったが、ここの空間が一番落ち着く、と、感想を述べた。

かのカナダのひと、それまで、日本のきれい過ぎる空間に、強迫的な視線を感じて辟易していたのだと思う。

我々には、辟易する心情と、もっときれいにしなければと言う心情が、混在している。

 

世界には牧畜農耕を許されなかった民族がいる。

ユダヤ人である。

ユダヤ人には、田畑を持つことは許されなかった。

数千年遍歴・漂泊を重ねている、まっすぐに苗など植えた経験のないユダヤ人は、

人口に比例してノーベル賞や芸術活動のずば抜けた評価がある。

農耕牧畜によってはぐくまれる強迫神経症に罹患しないことによると思われる。

彼らは、近隣の他者の顔に依存することなく、自己に忠実に自由に創作活動が行われた。農耕牧畜時代に、狩猟採集者の末裔である「漂泊・遍歴」するものが、苦痛をささげるかわりに自由を手に入れていたのだ。

これは日本の漂泊者も同じである。

狩猟採集者や、芸術家は自由の真の意味を知っている。

-農耕牧畜者には、自由を理解すること自体が、不可能に思える。

 

一週間入院して感じたが、大病院の設計者は人工空間が、もっとも入院者が安心する空間だ、と言う考えしかもっていないようだ。

我々は、入院しているが故により自然に包まれる場所が欲しいのだ。

大きな病院の中、新鮮な空気と、木や草やその梢の中で休息する場所を探したが見当たらない。淀んだ室内空気は、エアコンで循環するだけである。

 

 

狩猟採集民は残酷なところがある。

死に行く人が一人でさびしくないように、はるか上流の他狩猟民が一人でいるところを狙って、誰であろうと首を切って持ち帰る。50年前の慣行である。

それ以前には、建物の重要な位置の柱を立てる時、その穴に静かに入り柱を守り、住民を守護する霊として生け贄とした。

土着定住民は、農耕による蓄財によって、上下の地位の差ができ、王が現れ、他部族との収穫の奪い合いで抗争となり、集団の死人が出る。

縄文時代には戦争による死は見られないが、弥生時代になると、戦死体が多数現れる。

人間そのものが動物としての残虐性をおびている。

 

狩猟採集民に擬娩という習慣がある。

妊娠した女性の出産する隣で、当の妊婦と同じように叫び、痛がり、うめき苦しむ様を演じる夫がいる。夫婦同体同時経験のためである。

恋する二人が、同じ音楽を聞き、同じ映画を見、同じ食事をして、いつも同じでいたいと思う。ところが出産を考えると、同じ経験は出来ない。

同じ経験をして、いつも同じ感覚でいたい、(そうでないと心が離れてしまう)とは無理な望かもしれないが、狩猟採集民はその願いをかなえる。

ボルネオの伝統社会に、蚊の鳴くような音量の口琴楽器があるそうだ。

聞くには、肩寄せ合い、耳を近づけないと聞こえない。

その子供に聞かせるのか、

かけがえのない相手に聞かせるのか、

二人は、密着している。

残酷な首狩りも、部族の仲間同士の思いやりからの行為である。

彼らは、言葉を交わさなくても、意思の疎通がある。

又、食べる分だけの狩猟をすると言われている。

川に釣りに行くとき、一か所で10匹取ると、違う場所に移動して、5匹釣ったらまた移動する、水中の魚と会話して釣る数を決めているようだと、観察者は述べている。

夜、狩猟の為待ち伏せしている男が水辺を見ている。

みみずが蛙に食べられ、蛙が蛇に睨まれ終にはのみ込まれてしまった。

蛇が退散しようとすると、猪が見つけ、食いちぎり叩きつけ呑みこんでしまった。

狩猟者はその猪をまっていたのだが、自分も葬られる存在であると考えないではいられないだろう。と先の観察者は考える。

生と死の違和感のない同居である。

民族学の岩田慶治は、狩猟採集民の特質を、

1.「いきもの」をとらえる鋭い能力をもっている。

2.全体像を直観する。部分から全体のイメージをつかむすぐれた能力をもっている。

3.鋭い透視力を持っている。目に見える世界から目に見えない世界を構想する。

4.類推の能力に秀でている。アナロジーの自由な展開をたどる力がある。

5.同定つまりアイディンティティーをめぐる鋭敏な感受性にめぐまれている。

と、のべる。

 

ブータンで、断崖絶壁の山道を車で走っていて、折からの豪雨のため、急流となった濁流にのみ込まれ一台の車が、崖下に落下していった。

そこで見ていた現地の人は、引き上げることはできません、だから祈っているのです、と、だけ言ったという。

無事を祈るのではない。鎮魂の為祈るのである。

生と死と祈りの世界。

人の命は地球より重たいとは誰が言ったのだろう。

先の氷河のクレパス落下事故で、現代人であっても5人の命を助けるすべはなかったはずである。(ブータンのように祈った者がいただろうか?)

 

今西錦司は、ダーウインのように弱肉強食の適者生存や自然淘汰説をとらず、独自の住み分け理論を考える。

「せいぶつの始まりは、多数の高分子が変わるべき時が来て多数の生物個体になった。

その時が種社会の始まりであるとともに、種個体のはじまりであった。

これからのち、この二者が生成発展していく時でも、変わるべき時がきたら、この種社会の成員である種個体の全部が皆同時に一斉に変わることによって、種社会そのものもまた変わってゆく。」

種ごと変異して住み分け、競争するのではなく共存するのである。

「その上で、この三者は、つねに他を顧みながら歩調を合わせて、発展し、進化してゆく」とのべる。

だが、今西は人類が狩猟採集から牧畜農耕民となって、住み分け理論は適用できなくなったと言う。

日本では弥生時代からの農耕によって、人が強者となり、地球40億年の歴史を塗り替えてしまったのだ。

治世するものは、稲作を最も大切にし、税を稲で納めた。

定住せず、漂泊、遍歴の民が生まれたが、稲作農耕民以外を賤なものとして差別した。

新モンゴル人であった弥生人は、古モンゴル人であったその当時世界有数の文化を創造した縄文人も差別した。

その意識は、我々に埋め込まれている。

木奴は、野蛮人と。

鬼の顔は縄文人の顔のデフォルメしたものである。

東北へのわれわれの目は、それが未だに潜んでいる。

縄文人は、征夷大将軍・坂上田村麻呂に侵略され、11世紀に滅ぼされたという。

しかし、その生活を続けている者は、東北地方から北関東、北陸、山陰、四国の徳島、高知県、南西九州、沖縄などにおり、古モンゴロイド的体質が多いと言われている。

アイヌは蝦夷(えぞ)といわれ、蝦夷(えみし)とよばれた縄文人をさし、金田一京助によって、西洋人と言われるほど、目鼻立ちがくっきりしている。

坂上の雲をNHKで見た人は、瀬戸内育ちの主人公の実物の顔が日本人ぽくないことに驚かれたと思う。古モンゴロイドは我々のあこがれの西洋人のようである。

ちなみに、夏目漱石・吉永小百合は縄文顔で、サッカーの沢穂希や橋本徹は弥生顔であると人類学者は言う。

新モンゴロイドは、のっぺり卵顔で、蒙古ヒダの細く一重まぶた、鼻は低く、手足に比して胴体は長く、毛が少ない。2,3万年前から地球が冷えたために、それに備える為に出来るだけ表面積を少なくした結果である。

うりざね顔・のっぺり顔が、今、美形と敬っている縄文人を差別してきたのだ。

うりざね顔は弥生人のことであったのだ。

(幕末の頃、西洋人を赤鬼・青鬼とおそれた彼らを、今、美の典型と持ち上げたのはだれだろう。)(西洋人は、ギリシャ以前という思考形態に及ぶことがないが、われわれには、縄文という時代がある)

 

魚釣りをする人は、針についた餌が、底近くを漂うように調整する。

岩があったり、くぼみがあったりする海中を、針で探索し、想像するのだ。

そうしないと魚が徘徊してくる場所を特定できない。

魚は深みの溝を通って、上流に向かって泳いでくる。

今そこに鯛はいなくても、何十回目の餌の漂いに、そこを通過して食う可能性があるからだ。そうしたことに集中する時間が、感を育成するのだ。

サッカー選手は、試合中、上空から俯瞰してゲームを見る能力が必要だ。

パスは、俯瞰することによってのみ通すことが出来る。

そうして時間を先取りする。

それが狩猟に必要な気質である。

ただ彼らは問題解決者ではなく、問題設定者であると、分裂病研究者の中井久夫は30年前に述べている。

「狩猟採集者は、かすかな兆候から全体を推定し、それが現前するごとく恐怖し憧憬し、先取り的対処ができる。

平和時には隠れて生きることを最善としていたが、非常時には、にわかに精神的に励磁されたごとく社会の前面に出て、個人的利害を超越して社会をになう気概を示す。

狩猟採取気質者が人類に多数占めることが、おそらく人類にとって希望であり、必要な存在なのだ。

人類とその美質の存続の為にも社会が受諾しなければならない税のごときものである。

かりに牧畜農耕民のみからなる社会を想定してみるが良い。

その社会が息詰まるものであり、大破局は目に見えないという奇妙な盲点を彼らが持ち続けることに変わりはない。

先の者の尾に盲目的に従って大群となって前進し、海に溺れてもなお気づかないのが彼らだ。」と、この困難な生きにくい時代を予言した。

 

伝統は時間と共に変化する。

述べる時代の言葉と共に変化し新しくなったように感じる。

しかし、人類が新しくなることは、100%あり得ない。

遺伝子によって成り立っている生命は、伝統のみがよりどころである。

遺伝子を補佐するために成長したと思われる脳機能は、時代性に腐食されるが、

遺伝子を捨てるわけにはいかない。

孔子は創造したのではない、祖述しただけだ。

周公の足跡を理想として述べただけだと。

孔子は、「述べて作らず、信じて古を好む」と言った。

 

生命は、滅びるものと、生き延びるものとにわかれた。

われわれが今いることは、太古の生命がさまざまな苦難を克服して今まで生き延びてきたということだ。

大きな環境の変化があっても、生き延びてきたのだ。

人類学的人間の宿命というものいいを使うなら、子供たち孫たちを生存させる努力のことを言うのだと考える。

そうしないと、今生きていることが、先人からの贈与であることと、その返礼義務が生じることに認識が向かわない。

世に恋愛物語が充ち溢れていることは、彼らの生命を子供たちに引き継ぐことに価値があると認めているからであろう。

生命は不死を願うが、不死であることによって、その種は、滅亡する確率が格段に増える。死という世代交代によって種として、存続する。

 

ETS幹細胞は、組成はがん細胞と同じだそうだ。

変化の仕方が違うだけであると言う。

幹細胞は自分が何に成長するか知らず、隣の細胞の動きを感知しながら徐々に変化する。彼らにとって大切なものは、コミュニケーションだけである。

そのうち肺になったり、右手になったりする。

隣はどうするのだろうと、見つめあって成長するのだ。

初期の恋人たちのように、相手を尊重する気持ちである。

今西説の住み分け理論と共鳴する。

ひるがえって、がん細胞は、他人の事なぞ、自分には関係ないと自我を押し通し、

自分だけが良くなればよいと自分探しの旅に出たものだ。

これだけがん死亡者が増えてきたのは、いろいろな理由があるだろうが、

コミュニケーションの不足と、自己顕示欲の増大が、幹細胞とがんの関係と同じように、影響していると考えてしまう。

 

人は、生まれてすぐから、おぎゃーと自己表現をする。

かよわき赤ん坊は、襲われる危険を覚悟の上で、泣き叫ぶ。

サルでさえ敵に見つからないように、静かに成長するが、

人は、コミュニケーションの必然性故、危険を物ともしなかったのだろう。

表現したいと思う気持ちは、人本来の持ち物である。

表現なおかつ発見も自己を投影することに尽きる。

ワトソンとクリックが、二重ラセンの遺伝子を発見できたのは、彼らが、二人組であったからと言われている。

科学にしても自分以上の事は発見できないというのだ。

幹細胞が必要としたコミュニケーションは、人類がその細胞のように、生命はコミュニケーションが有ることによって成り立っているということだ。

コミュニケーションは狩猟採集時代もっとも研ぎ澄まされたものだ。

(サッカー選手が見ないでも的確にパスが出せるように、また、先のワールドカップのスペインのコミュニケーションによるサッカーは、どんなに強力な体躯の選手のアッタクにも負けず、美しく強かった、)

退化しつつある右脳と左脳のコミュニケーションは、取り戻す必要があるのだ。

 

霊長類・人類は狩猟採集を、数百万年続けてきた。

狩猟採集時代には、全生命が共存していたと、今西錦司は述べる。

右脳の働きの勝った狩猟採集民は、ストレスに弱く、構築していく力がない。

左脳が計量し、測定し、配分し貯蔵する。

左脳・右脳は、必要で成されたものである。

遺伝子の変化によって出来た新モンゴル人も、古モンゴル人も脳容量には変わりはない。

だが左脳優先に社会を秩序付けると、秩序の過多が人間を、破壊に至らすことになるだろう。

秩序は寛容を疎外する。

もともと複雑怪奇な人類を、シンプルに統一することによって、

小林秀雄が述べていた「人の理性は、無辺の闇の中の方丈しかない」

その無辺を抑圧することになり、おぼつかない理性は、うろたえるしかない。

あげくに、断崖から落下するのである。

 

「いきし世の面影」で渡辺京二が再現したように、かつて良き世があったなら、その世をふたたび孔子のように、夢想してみたいものである。

江戸後期の桃源郷のごとき世は、一千年かかって作られたと、江戸にやってきた人々は考えた。

陰陽五行・仏教・儒教・封建制など外来の知識を取り入れ、それらの戒律、行儀作法など規律を重んじることで千年かかって出来上がった世の中である。

今から一千年では、先も述べたように人類が存在するかどうかあやぶまれる。

人々は、自然と親しみ、狩猟民の感覚を呼び覚まし、

自然から受ける気配や兆候に感じやすくなる体質を記憶の中から呼び戻すことが急務であると考える。

 

人の幸せは野蛮に由来し、

人の不幸は文明に由来する。

 

 

 

   2012・6・30   近藤 蔵人