2016年12月25日日曜日

豊かさ


 

中国で格言というか警句と言うか面白いことを言っています。「1分間幸せでいたければ飴でもなめればいい。1時間幸せでいたければお酒を飲めばいい。1か月幸せでいたければ何か高いものを買えばよい。一年幸せでいたければ家を建てるといい」

この話と、米国のコロンビア大学の研究報告「年収5百万円までの人は、お金が幸せの要因で、それを超えるとお金と幸せとは相関関係にない」と言う研究報告は結びつきます。家を建てるまでは買い物だからです。

安定した生活や家屋を手に入れるまでは、ひとびとはお金が必要です。だから、そういう政策が求められます。しかし、この中国の話の結びは「一生幸せでいたければ魚釣りを覚えなさい」といいます。

何か夢中になっておこなうこと、死ぬまで勉強ですと言えるようなことは、人生の楽しみだけでなく、複雑怪奇な人生の道筋のために必要です。それには一つだけ条件があるのだと思います。自然と関わることです。自然と関わる何か夢中になることがある、それが幸せの条件だと言っているのでしょう。年収5・6百万を超えた豊かな人は、豊かそのものが当たり前となり、やはり夢中になれることが、お金とは関係なく必要なのでしょう。

 

もう一つ、ハーバード大学の70年継続した研究発表です。

「何が幸福の条件か?」を探るために、ハーバード大学の学生700人を日々の生活にまで入り込みチェックしたものです。その中にはひとり大統領になったひともいたそうです。

教授は4代に渡ったそうですが、その現在の教授が「富と名誉にあこがれて入学してきた学生が、今では60人ほど存命で、やっと答えが出せるようになりました」

「幸せは量ではなく質のある人間関係が築けるかどうかにかかっています」「仕事でもなく、富も名声でもなく友人や家族に親密な人がいるかどうかです」と答えています。友との楽しい語らいがあれば健康にもいいとも述べています。これは、誰でも納得できる、ごく当たり前すぎる答えだが、70年の歳月と700人以上の人々の調査からわかった、純然たる研究報告です。

これらからわかるように、豊かさは希望であっても、実質の幸せには結びつきません。例えば、大会社の社長が、重病で入院すると大勢の見舞客が来るでしょう。中には親密な人もいるだろうが、その人達は、政治経済がらみで付き合っている人たちです。片や、2,3の友人を持つあばら家住まいの者がベッドで横になっているところ、「どうしたんや、だいじょうぶか?」と声をかけてくれる。ずいぶん違うと思います。

 

豊かさの中でも、人は孤独を感じます。虚無を感じる人もいます。それを感じないために、何か夢中になってやることが必要なのだと思います。

また、映画を毎日見ていると、どこの国でも家族関係に物語の発端があります。日本では、戦後始まった母娘の格闘、昔からある父の権威に抵抗する息子たち、男性では母子癒着、アメリカのミソジニー(女性嫌悪)に近い恐妻家、豊かであっても平等にあたえられた苦悩です。今はそれに貧困の問題も現れている。現実の問題は複雑怪奇で解決の糸口さえ見つからないようです。

内田樹は、他人とうまく付き合うには「問題を発見しない、問題を解決しようとしない」と言います。そのままを認める肯定するということでしょうか。これは、仏教徒の生き方を彷彿します。色即是空を現代語訳したようです。こうありたいと思っても困難なことです。どうしても、僕はこうしたいが、でてくる。養老孟司は、夫婦でものを投げるけんかをしたと言いますが、相手を変えるのでなく自分が変わればいいといいます。これも簡単にできることではありません。それでも、安心な生活のために努力する。これらの言葉を修行する価値はあります。

 

その上、先ほど書いた虚無が豊かさの中から現れてきます。その原因を僕なりに考えた推論があります。

飲む打つ買うに蕩尽する金持ちはたくさんいます。裕福になると快楽が人生の意味となるのでしょう。これは、虚無感を取り除こうと必死になっている姿ともとれます。無我夢中に生きていると、虚無感は感じなくて済みますが、孤独になると虚しくなる。

小津安二郎の名作「東京物語」は、世界の監督数百人のアンケートの中、トップ投票されました。田舎から都会に出て就職した子供たちが、自分の生活に目いっぱいで両親が上京しても親切に対応しない。見ている観客は、一部感情移入できても、最後には突き放されて、この映画はどういう映画なのだろうと宙ずりになります。映画は普遍的な人生の孤独、虚無を表しています。そこのところに、映画のプロは感じ入ったのでしょう。

その虚無感はどこから出てくるのか、僕なりの答えです。

それは、人類の原初の姿、さらに、細胞が出来る時にまでさかのぼります。

すべての物体は電気的にできています。原子で構成されているからです。原子を作る膜のまわりにはマイナスの電子が回っており、中にはプラスの陽子と電気を帯びない中性子が入っています。プラスとマイナスが調和した原子の集まりがすべての物体を作っています。電子と陽子は無限と思われる時間生き続けますが、中性子は15分で分解され、クオークとニュートリノに分かれます。ニュートリノは、1秒間に数兆個人体を通過しているそうです。

ビックバン以降、宇宙にはクオークとニュートリノと電子、陽子が自由に飛び回っていた。それらが、原子となり物質となる。

地球が冷やされ海に水が満たされたとき、海面に落ちた隕石から細胞のもととなるアミノ酸が生成され、アミノ酸が充満すると、海底の活火山から噴き出す熱水によって、原初の単細胞が生まれたと言われています。

その単細胞の膜ができたことによって、宇宙から隔離され自由に飛び回ることができない電子陽子たちのうめき声が聞こえる。宇宙にはもう帰ることができない。ゆえの虚無ではないだろうかと僕は考えています。腐って分解されてやっと帰れる。生きているうちは閉じ込められている。当然生の願望はありますが、死の願望もあると言われるゆえんです。

この仮説の最もヒントになったのは、日本最初期の物語「かぐや姫」です。豊かな生活を保障する裕福な帝たちの求婚にも関わらず月に帰る。宇宙からやってきて宇宙に帰る物語です。この時期に、どうしてこういう物語が書かれたかはわかりませんが、人間の無意識の記憶がただならぬことだけは現代科学が様々に証明しています。

電気的に生成されている人類も、すべての行きとし生きるものも、また、石や水にも、原子が元であるゆえ電気は流れています。昨年の東大の研究では、その電気が外周にごく微量の膜を作っているという発見がありました。すべての物体には、その準静電界と呼ばれる個性的に作られた膜があるそうです。犬が、見えない主人を感知して、玄関で待っているのは、主人の個別的準静電界を感じているからだそうです。人に気配を感じる力があるのもその膜を感じているのです。うっそうとした森に畏怖感があるのもそのためでしょう。木や石が神の憑代と感じるのも、治療家が手当で直すのも、電気的な事象に違いない。そう思います。

動物には、それを強く感じる機関が残っている種類がいます。サメやエイやカモノハシがそうです。人間では、原始的な機関として残存している耳の中蝸牛の有毛細胞が、体の中では電圧が一番高く、ここで音と同時に感じているのだと研究報国にあります。産毛や髪の毛も、怒髪天を衝くとか総毛立つとかも、そういう現象なんでしょう。

雷が起るように、宇宙も電気に満ちています。準静電界も宇宙の電界とつながっていないわけがありません。植芝良平の合気道では、宇宙に満ちた気を取り入れる修行をします。北大の数学の教授が、数学の真理と同じように、心が宇宙にあり、それを一人ひとりが自分に取り入れる。なんとも不可思議な研究もあります。僕は、それらから人間の魂は脳にあるのではなく、体を取り巻くその膜にあるのではないかと思っています。

 

宮沢賢治が「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである」

「無意識部から溢れるものでなければ多く無力か詐欺である」

「まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう」

「われらに要るものは銀河を包む透明な意志、巨きな力と熱である」宮沢賢治は虚無ととらえず、生きる力としての宇宙を感じています。

しかし、銀河鉄道のジョバンニの独り言に「こんな静かないいとこで、僕はどうしてもっと愉快になれないのだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう」とも言わせます。

 

人が生きていくには、宇宙や自然を身近に感じることが大切だと考えています。虚無感を一時感じても、生まれ故郷の宇宙や自然をないがしろにすることは、しあわせを放棄するようなものです。だが、現在の日本人はまるごと「きれいきれい病」にかかっていて、自然に触れる機会など考えることがない。子供の時から自然に親しむことは、教育の最も大事なことです。

宮沢賢治が、芸術を創造するには「無意識部から溢れるものでなければ多く無力か詐欺である」と先ほど書きました。小説家は、プロットの通り書いていても無力で、書き進めると筆が動くようになって、プロットなど関係なく書き進められるものの中に傑作が現れると言います。僕は、鬱を一年間味わいましたが、無性に、絵がかきたい、絵をかいてあの無心の法悦状態になりたいと、あこがれました。法悦とは、宇宙との邂逅、一体感、銀河を包む透明な意志、巨きな力と熱と共にあるときです。

あなたにもあったのではないでしょうか。
幼いころ、虫取りや河原のグイノ実を取る川遊びにふけった頃が。
まあるい熱い石で満たされた河原に、バッタが飛び、ところどころの小藪にあるグイノミをほおばり、後で食べようとポケットに突っ込む。
速い流れの小川に入り、白く光った水中でアユや小魚と泳ぐ。唇が紫色になって冷たくなると、太陽に照らされ熱くなった大きな石の表面に寝そべって、からだや顔をひっつける。
見ると、石の表面の黒く濡れた後が、みるみる消えていく。そのまま仰向きになり背中を温め空を見上げると、ギラギラ輝いた太陽と一面真っ青な空。
山の上からもりあがってきた真っ白な入道雲、パンツだけはいて大急ぎで走り始めると、パラパラと水滴が当たる。
もう駄目だ、家までには土砂降りだとあきらめたとき、ふっと心が晴れる。
頭からびしょ濡れでも、なぜか笑みが漏れる。
こんなにいい気持、前も見えないほどの雨の中、生きているとはこういうことかと思うほどの感動。
今宇宙が祝福してくれている生の充実感。生きてきて良かったと思える瞬間。
歴史家ヘロドトスが、少年時代は黄金に輝いていると言う時、僕はこの経験を思い出す。

 

最後にパステルナークの小説ドクトルジバコで主人公が「原野の空気」を吸い込む場面、

「父や母よりも懐かしく、

愛する人よりも素晴らしく、

書物よりも知的な空気--

それを吸うと、一瞬、ラーラは、存在の意味を掲示されるのだった。

私がここにいるのは、この地上の生の狂おしいばかりの魅力を解き明かし、

すべてのものにふさわしい名を与えるためなのだ」

 

宇宙。空気。それを吸うと存在の喜びと意味が提示される。

地上の生きとし生けるものの狂おしいばかりの魅力。

空、山なみ、木々、海、川、大地、咲き誇る草花。世界は美しい。

それらの存在の魅力を解き明かしたいという願望。

それらはすべて電気的につながっており、それぞれのコミュニケーションがあるだろう。強く保持する感じる力が必要だが、それとともに心の開放も必要だ。時には、意志の力を横に置いていても、感覚にこころひらくべきなのだろう。

もう一度宮沢賢治

「われらに要るものは銀河を包む透明な意志、巨きな力と熱である」

「まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方のかなたにちらばろう」

 

豊かさについて書いていくと、このところまで来てしまいました。

 

僕は今山住まいです。そこで和歌を一首

「天地(あめつち)も こころしてまつ さむぞらを それもまたよし やまごやのふゆ」 ちょっと、語るに落ちたかな。

2016年12月11日日曜日

花のことば(5)



 はなが3年生、ふみやが1年生、徐々にいっしょに散歩することも、会話する機会も少なくなっている。出来るだけ上目目線で話さないようにして、おじいちゃんバカでしょと言われるぐらいの位置でいようと心しているが、子供たちには普通になってきたのだろう。
 なめられでもしないと、子供たちは心を開いてくれない。だじゃれすることと、かまうことに、またーと知らんぷりする。一緒に生活している熊のような犬、のんだけが親密すぎる愛撫を求めてすりよる。
 1年生のふみやは、架空の敵と戦い続けているが、3年生のはなには、いったいどういう未来が待ち受けているのだろう。


 お山に来ると楽しいことがたくさんあるよと、はなたちをさそうと「おじいちゃん、幸運を想像していると、そうでないことが多いから、あんまり幸運を考えないほうがいいよ」と言う。なんということ。

 保育園の時、ピンクのB4の紙に音符を書き綴り、ゆめをおいかけて・・・・、さいごに、「あいのひとつぶ」とタイトルがある。
 音符も読めないのに、四分音符だとか、全音符を書きつけて、そう言えば、ピアノで、今日の気持ちだとか、お星さまの歌だとか、気持ちよさそうに弾いていたから、かの音符も、はなには想像した音が流れていたのかもしれない。
 3年生の初めには、作詞した曲を弾いて、先生に譜面に残してもらっていたので、おじいちゃんにも聞かせてとせがむと、今はクラシックの曲を作りたいのと言う。

 「サンタさんは自転車は大きすぎてプレゼントできないと思うよ」と、じいちゃん「それに、サンタさん自転車作れないだろうし、どこかから泥棒してもってくるわけ?」と問うと「サンタさんは、魔法使いの一種だから、プレゼントは分身させて持ってくるんだよ」「分身て?」と聞くと、「コピーして、瞬間移動させるんだよ」「じゃあ、煙突からプレゼント持って入ってくるわけではないの?」「昔はね」と答える。
 これは最強の考え方だと思う。お父さんが夜中、枕元にプレゼントを置いているところを見つけても、サンタさんが忙しいので、お父さんに魔法をかけたんだと考えるだろう。だから、サンタの存在の有無ではなくて、魔法使いは本当は、いないんだと思うまで、サンタさんは、無償の贈与を続けなければならない。何かをしてあげたり、助けたり、あげたりと大切な贈与の経験だからいつまで続いてもいいんだけどね。

 2年生の時「いいことはつづかないよ、わるいこともつづかないよ。いつもおんなじことがつづくとはかぎらないよ。いつもいろいろなことがおきる。それがまいにちなんだね!」とママとの交換日記に書いている。愛憎はなはだしい母娘の確執を見て、ママにそれを言いたかったのだろう。

 3年の春「おじいちゃん、夏休み奈良に連れて行って」と急に言う。奈良で何するのと問うと「お仏像を見て、鹿に会うの」と決めている。ばあちゃんが、ネットで旅館を検索して興福寺の近くの旅館に決め、車の中で「花ちゃん、どうして奈良に行きたくなったのと問うと「私、怒りんぼうだから、仏像の優しいお顔を見て、私もやさしくなりたいの」と言った。おじいちゃんは絶句するしかなかった。
 9時間かけて室生寺に着き、雨の中美しい5重の塔に出会い、ふみやもはなも真剣な面持ちで12神将の説明を聞いていた。
 長谷寺は階段の数がすごくて、入り口で杖をかりて這い登るように歩いたが、子供たちはすこぶる元気、お100度参りされているご夫婦を見、5メートルもある人々を救われるといわれる観音様にみんなで手を合わせた。こもりくの長谷寺と言われるが、真夏だと木々が華々しく色づきそんな感じがしなかった。
 はなは、京都は混雑しているけど奈良は静かだからいいの、と、確かに、一日目はうっそうとした森の中、観光客も少なく、いい一日だった。
 二日目は真夏日、東大寺をはじめに、境内を歩いて法華堂、正倉院、戒壇寺と回り、法華堂の日光、月光菩薩がミュージアムにあると言うので、東大寺山門前にたちより、春日神社近くのカレーやさんで昼食となった。
 法華堂の後、体中汗まみれとなり、目の前のカキ氷の看板に飛び込んだ。花ちゃんに宇治金時がいいよと教えても、大好きな抹茶のカキ氷だとは思わず、レモンを頼んで、食べ始めてじいちゃんが頼んだ宇治と交換する。宇治って抹茶だと知らなかったとはなの弁。
 春日神社では、「鹿島神社から白鹿に乗って神様がきたんだよ」と、はなの説明を受け、「一時は殺されかけた鹿が、大切にしようと決まって、だから、奈良にはシカがこんなにいるんだよ」という。
 参道にある石灯篭の下に鹿の彫り物をはなが見つけ出して、記念写真を撮った。その後、新薬師寺、興福寺、ばあちゃんも僕もグロッキー寸前、子供たちが鹿と遊んでいい?と聞くので、僕たちはベンチに座って休憩きゅけい。
 ついにこの旅行で法隆寺に行けなくなり、翌年また来ようねと、はなの机の前に貼っている「おぼんやすみは奈良りょこう」の張り紙は、はがさずそのままになっている。来年はママもこれるねと約束する。

 七夕の笹にかける願い事
 「自しんを持って世界でおどれるえいこくロイヤルバレエだんのプリンシパルになりたい」
 この子は、一歳になるかならない時、床に座った体制から、「うをー」と続けざまにうなり声をあげ、腰をうかせ、独り立ちした子だ。意志して立とうと一人決め、それを実行した。まだ赤ちゃんと言われる年頃で。
 部屋には幸里おじちゃんが神戸から来ていて、みんなでわいわい騒いでいた。その横で、一人立とうと決心して、オオカミのようなうなり声をあげ、一歳で一人実行した子だ。
 みな声に驚いて、唖然と見ていた。はなはいっぽ歩いてしりもちをついたが、その時のはなの顔がどうだったか思い出せない。自分でも驚いて泣き声をあげたか、じしんにあふれた顔だったかわからない。3年生の時そのこと覚えてると聞くと、「覚えてる。何回やってもうまくいかないので、こんちくしょーと思って立ったんだよ」と言った。
 週に4回バレエに通い「つけねがひっこんでいる」と先生に注意されて、基本の練習したいから練習日を増やしたいと週に5回の練習をすることになった。はなは意志を持って生まれてきたのだろう。

 「花のことば」は、書きつけるたびに、はなに見せていた。
 学校の送り迎えの車の中で渡すと、広げて読み始める。気が利かなくて習っていない漢字もはいっている。これどう読むのと聞かれるが、おじいちゃんも一緒にその紙の文字を読む。僕が書いた文章を僕が読むのだから僕のほうが早く読めて当たり前だけれど、僕が半分ほど読むと、はなはもう読み終わって次のページをめくりはじめる。みんな読んだのと聞くと、おもしろいからまた見せてねと言う。
 休み時間には、図書館の本を読んでいるようだが、おじいちゃん年間に100冊は本を読んでいるよというと、はなちゃんは365冊は読んでいると言う。速読できるのは、どんな頭の回転なんだろう。

 フミヤが32点のテストを、みんなには言わないでねとママに言ったそうだ。夕飯時、暴露されて、ばあちゃんに今日から漢字の練習しなさいと言われ、ママは、わかったのフミヤと念をおす。じいちゃんは、1年生だから、そんなにしなくていいよと、小学生は、子供のままでいいんだよと小声で言う。
 フミヤは、ばあちゃんの具合が悪いとき 「おばあちゃん大丈夫」と心配そうに言える子だ。ばあちゃんは、ふみやは優しい子だとほめていた。それだけで十分だ。それ以上の望むことはない、と、またまた小声で言うと、はなが聞きつけて「ふみやは、じょうずなんだよ」と言った。
 皆にしかられて、苦虫をかみつぶした顔をしていたふみやが、急にキッチンに行き、じいちゃんがいつも薬を飲むお水を汲んでおくれということを思い出したのか、氷入りのお水を汲んでくれた。皆どうしたのと怪訝な顔をしていると、はなが「おじいちゃんだけ、点数のこと言わなかったから、いれたんじゃないの」と、言った。
 ふみやは、おじいちゃんが「怒られてやんの」とかまうと、ぷんとして近寄り、ぼくのおなかに一撃をいれる。その時僕は、おなかを前に差し出して、殴られる準備をするのだ。まだ、それほどいたくない。そうすると、今度は、足蹴りをいれられる。いつまで我慢できるかなーとも思うが、ふみやはそれで気がすんで怒りがおさまる。

 2年の晩秋、いつものようにお山に泊まって、翌日クヌギの森の中の朝の散歩のとき、僕がへたくそ俳句を言うと、はなは「あかいろきいろ こうようながめる 秋の朝」と間髪入れず歌う。え!俳句習ったのと聞くと、「松尾芭蕉も習ったよ」という。それから、50音俳句ができるまで、2週間だった。
 「秋の歌」はそうして出来上がったが、3年生の今は、和歌を習っているらしく、空で歌い始めた。猿丸太夫は「おくやまに 紅葉ふみわけなく鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」おじいちゃん知ってると聞くが、僕は知らない。藤原敏行は「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれめる」というんだよ。
 良寛はじいちゃん好きでしょと問うので、良寛なら知っているよというと「虫の音も のこりすくなくなりにけり よなよな風のさむくしなれば」知ってる?。知らない。万葉集を読み、良寛は大好きだから何冊も読んだが、和歌は、ぜんぜん覚えられない。何度も挑戦したが、僕には無理だった。
 だけど花ちゃん、この歌はじいちゃんの今の山の生活の歌だよ。さびしい夜、鹿は悲しそうにピーと泣いているし、風が急にごーと吹き、木がゆれて驚くことがある。良寛さんが歌うように、10月ぐらいだとだんだん虫の声が少なくなって、冷たい風が吹いてくる。この歌を味わうには、山に泊まりに来ないといけないねー。

最後にじいちゃんの句、
「あめつちも こころしてまつ 寒空を それもまたよし 山小家の朝」     

「ひとりねの むなしき落ち葉 のんがおり はながおり ふみやおる」










2016年12月10日土曜日

和をもって貴しとする

前回、家族間の関係性は、地域によって変化があると書きました。その後、いろいろ考えてみると、おもしろい接合が出来ましたので、書いてみます。

 養老孟司が、アメリカは日本から比べれば1000年遅れていると述べています。
 聖徳太子が、「和をもって貴しとする」と言ったのは、当時、様々な地域、樺太・朝鮮半島・揚子江周辺の海住民、南からポリネシア系が日本に流浪の民としてやってきた。彼らが来るまでは石器時代の縄文人が住んでいました。それらの民族が言語の違い、生活習慣などの違いによって争いに明け暮れていたからです。
 天下人聖徳太子としては、いさかいを起こすなと、そう言わざる得なかったのでしょう。太子の子供二人も政争で殺されます。養老先生はそういう風に書いています。
 そののち 日本では、秀吉の刀狩りがあり、千数百年後の明治維新で廃刀令が施行されます。アメリカの廃銃令もその位の時間がかかると言うことです。
 アメリカは、建国の時点で、自由を守るため銃所持を認めている。それぞれの移民が、同一人種と感じるまでは、自己を守るために武器が必要とされたのでしょう。
 日本人と言ってもそのまま通じますが、アメリカ人と言ったとき、イギリス系?ドイツ系?プエルトリコ、メキシコ、フランス、イタリア系、アイルランド系と想像します。今でも、統一したアメリカ人とは考えられないのです。聖徳太子の時代と同じです。

 アメリカでは、エレベーターに乗ると、同乗車に声を掛けると聞きます。異質な人々の寄り合いであるアメリカ人は、密室の同乗者に害があるかないかエレベーター内で確認しないと不安なのでしょう。日本人は、エレベーター内で、できるだけ顔を合わせない。ドアを静かに見つめているだけで、声をかけることは思いもしません。他人に危害を加える人がいることを想像しないのです。これが、日本人とアメリカ人との、他人に対する接し方の基本的な現れであると感じます。
 他者を、仲間か敵かに分別しなければ安心できないアメリカ人と、同質性が強い仲間意識だけで暮らせる日本との違いであるのです。
 欧米では仲間同士であることを表現するために、大げさにハグし、頬にキスし、敵でないことを示すため握手する。仲が良いことをそれほど過剰に表現しなければ、仲間の人間であることを証明できないのです。アメリカもあと1000年すると、日本のようになるか僕にはわかりません。移民がどれほど訪れるかによるとも思います。
 日本では、かつては他民族の集まりであっても、千年たった今、同一人種と考えるようになっています。こうして比較することでいろいろ解ることがあります。
 日本では、毎日のように、夫婦で愛しているよと言わないし、誕生日プレゼントや祝いの習慣は弱い。何事も夫婦協議のもとに、事を進めることはすくないし、夫婦でパーティーに出ることもない。日本の夫婦は、仲が悪くて普通であったのです。格別口に出さない意思の疎通です。父と子は会話しないし、母と娘は連れ添って買い物に行きます。が、息子は、母親癒着で苦しみます。
 移民の少ない1000年は、様々なことを平均化しました。エマニュエル・ドットは人口学者ですが、日本は権威主義家族で、親に権威が集中し、兄弟間では兄に権威がある社会とドットは言います。妻に向かって「男の会話に口を挟むな!」「女はだまっていろ」と言われてきました。亭主関白は、今でも残存しています。
 しかし、時間は様々なことの変化をもよおします。欧米の文化に触れ、自由、平等、基本的人権と戦後教育された我々には、かつての風習に嫌悪感を持っています。少しも偉くもないのに、親の権威だけで偉そうにする、と、個人主義がいきわたることになりました。
 父親に反抗した分、長じて結婚して権威をかさに話すことに自己嫌悪を感じる世代です。今は権威主義家族から、個人主義に変わるはざかい期にあり、まだまだ日本の家族は問題を抱えています。亭主関白でありながら恐妻家がいるのです。
 家族の問題は、世界中の人々の困難な難問です。養老孟司は、相手を変えようとするから大変なので、自分が変わればいい、と書きます。そして、医院を一人開業していた女医である母親を、姉が包丁を持って町内一回り追いかけたとつづります。
 内田樹は、離婚し10数年一人で育てた娘さんが、物心ついてきて、返事もしないし、言うことも聞かないと書いています。何とか家族が平安に過ごす方法として、子供をエイリアンと考えるようにしたそうです。同じようにやらないことに腹が立つので、猫とかレベルを下げると、猫なのにこんなこともできる、あんなこともできるとポジティブに考えられる。そうして親子関係の安定を図ったと書いています。渡辺京二は、ひとこと、男には好きな女がいることだよと、人生の必要事項を看破します。
 世界には、正常な人間はいません。皆傷物として大きくなります。傷物が育てる子供も傷物です。それでも、共同体を形成しなければならないし、家族の営みも続けなければなりません。そんな人間が、何とか生きやすいように、それぞれの地域の風習が出来上がっています。
 仲が悪くてもいい日本の夫婦関係も、時代の波に飲み込まれて、徐々に仲が良くなければならないように変化してきました。そのためのいさかいが増えてきているのです。アメリカでは、いまだにミソジニー、女性嫌悪が取り上げられます。日本では、恐妻家が多数見受けられます。
 自分の感情を表現することが生きる意味と,洗いざらい口にするようになったのです。確かに、感情はその場では止めることが不可能のように思えますが、それは、ほとんど気分であって、字面のように、分ければいいのだと思います。感情を持続するのでなく、気分なのだから、大事に取っておく必要がないのです。
 いつの日か、感情にとらわれない夫婦関係・家族関係ができるといいのですが。

2016年11月20日日曜日

この世界の片隅に


「この世界の片隅に」(監督・片淵須直)の女優のんが演じる主人公は 、のほほんとしている。
 戦時中の呉と広島の物語を、6年の歳月をかけて当時の風景を忠実に描いたアニメ、今年一番の映画だとか、傑作、奇跡的な作品だと言われている。
 この映画は、自主制作アニメであることと、主人公ののんが、大手芸能事務所から離反したこともあり、メディアでは黙視されているため、草の根的に広がり、今では、上映映画館が少ないためもあるが、ほとんど満席立ち見だそうだ。群馬では上映館がない、見るのはDVDになってからだろう。
映画の事ではなく、のほほんな生活について考えてみたい。のほほんと言ってもどんな生活か想像するために、のほほんの反対の意味から考えてみると解りがいい。あわただしい生活、切羽詰まった生活、いそがしい生活、そういう風にも考えられるが、いつも気をつけないといけない生活が一番ぴったりとする。
 片時も余裕がなく、心配し続けること、気を付けなければならないことが山ほどある。無意識のうちに気をつけなければならないことを探している。そういう生活がのほほん生活の対極だろう。のほほん生活は、空襲があっても、何があっても気にしない。出来ることをやるだけ。そうして、青空に漂う雲を「ああ!いいてんきだなー」と眺める。
映画はまだ見ていないのだが、主人公ののんが、今年の主演女優賞をあげたいほどに、のほほんとした声だそうだ。観客のほとんどは、そののほほんさに涙して、帰りの電車の中でも思い出して涙がとまらなかったと言う。

 アメリカ映画を見ていると、夫婦仲が気になる。
たいてい奥さんが怒鳴り声をあげ、旦那がそれに同じ感情で返している。それでも、その日のパーティに二人して子供を預けて出ていく。会場では、妻を右手で抱きかかえ仲の良い夫婦を自然に演じられる。
 調べると人類学的に民族によって家族の在り方に変化がある。日本では「夫婦仲が悪い」「母と娘は寄り添っている」「父と息子は会話しない」「母と息子は大変なことになっている」などの癖がある。僕は大変になっている一人なので、いちいちよく解る。
 欧米では、夫婦仲が良くないと社会生活がなりたたないほどに仲の良さを気に掛ける。だからと言うか、それだからと言うか、ほんとに仲の良い夫婦が築かれるし、仲が悪くなれば離婚するので離婚数はべらぼうに多い。日本は、男同士の会話では、妻の愚痴は話しても、ほめるようなことはない。仲が悪くても、それを他人に知られても、恥ずかしいという感情はない。人間の普遍的な真実というものは変わらず存在するが、民俗学的変異というものがあり、地域によって同じではないということだ。
 日本で離婚数が少ないのは、夫婦それぞれに、離婚するより我慢して、仲が良くなくても、会話がなくても、仲が悪いことが普通なので継続した生活ができる。
 夫婦仲が良くすぐに離婚する民族と、夫婦仲が悪く離婚数が少ない民族では、地域の伝統というものがあるので甲乙つけるべきではないだろう。長年の歴史から、この民族はどういうスタイルであれば、家族が存続できるか、子供を自立させられるか、そういうスタイルが根付いてきているのだから、夫婦であいさつのキスをするとか、会えばハグするとかを、日本ではできないよなーと嘆くことはない。
 僕は愚痴が多いよなーとひがむことがあるが、それで普通なんだとガッテンするといけないのかな?


宮沢賢治に、農民芸術概論というタイトルの文章がある。下に写して見ます。

かってわれらの師父たちはとぼしいながら可成り楽しく生きていた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が、生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換されしかも科学は冷たく暗い
芸術はいまわれらを離れしかもわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善もしくは美を独占し売るものである
われらに買うべき力もなく、又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き、われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ、来ってわれらに交われ、世界よ、他意なきわれらを容れよ

大正15年岩手国民高等学校や羅須地人協会で講演した記録が残された文章です。賢治の文章では残されていません。また、その文章中に
「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである」
「無意識部から溢れるものでなければ多く無力か詐欺である」
「職業芸術家は一度ほろびねばならぬ。誰人もみな芸術家たる感受をなせ。個性の溢れる方面において各々止む無き表現をなせ」「まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう」
「われらに要るものは銀河を包む透明な意志、巨きな力と熱である」
賢治も近代の悩みを抱えた人です。
吉本隆明は「僕が若いときは、賢治になれると思っていた。老年になって、賢治と比べて堕落した自分がある」と、賢治の研ぎ澄まされた詩文、一行とも賢治の意志から外れることのない童話の文章を、吉本がとどかなかったと悔いているのです。
簡単に解釈すれば、吉本には、宇宙の力、微塵となった自分を創造することがなかった、文章に残さなかった点にあるように思います。賢治は我らの体の最小単位である原子が飛び散った宇宙、電子、陽子、中性子、それから発散されたニュウートリノなどを、自分の故郷と感じることができたでしょう。
日本で最初の物語である竹取物語では、竹の中の光輝く姫が大きくなり、この世の謳歌を約束する帝の求婚をもうけつけず、月に帰って行く。姫にとって宇宙が自分の故郷という物語が最初の物語であることの不思議を感ぜずにはおれません。

 心は宇宙にあり、それぞれの人に降りてくると数学者が提唱しています。数学の真理のように心はあるといいます。太極拳や合気道は、大気に満ちた気を自分に取り入れる稽古をします。気配ともいいます。
のほほんさんは、自然を感受することで、自分に気を取り入れていると考えられます。のほほんになるには自然への感受性が必要です。地球は僕たち人間に荒らされ、環境破壊が取り上げられますが、心の自然が荒らされたことへの提示はほとんどなされていない。人は、気を付けるという人工的なことへのみ集中している。

何か手に入れる時、美を尊重するか、機能を尊重するかして手に入れます。おおかたは機能が優先されます。ちゃんとするとか、きちんとするには、美の力はおよびません。うつくしいは忘れ去られたようです。そうして、ひとつひとつ気にして、計算して毎日が過ぎていきます。しかし、「この世界の片隅に」に感涙する人が多いということは、のほほんにあこがれる心性がここからも育つということでしょう。






2016年11月10日木曜日

鍋の淵





ドラえもんを見ると、スネ夫以外は、ごく普通の中流家庭の育ち。のび太にしてもジャイアンにしても、少しすましたしずかちゃんも、子供らしく生きている感じがするが、スネ夫は少し意地悪すぎるように演出されている。
昭和30年40年、外遊びしかできない子供たちが、生き生きとした表情で遊んでいたことを思い出す。そんな中、お金持ちの子は無表情で、とび回って遊んでいなかった。スネ夫のような子はいなかったと思う。下々の子と遊んではいけないと言われているのか、いつも小言を言われるからか、年中半ズボンで、隅っこでつまらなそうに見ていただけだ。
 孫に、のび太ってドラえもんを頼りすぎじゃあないと言うと、そう、ドラえもんがいるからのび太はバカのままと、そっけない。
 朝、犬の散歩で、通学する子供たちを相手に、「白線から出ると 交通事故になるし、カゼをひくよ」と注意する。皆どうして風邪をひくのといぶかしそうにしている。そこで「ハックセン!」とくしゃみのまねをする。一人二人、にやっとしても、そのほかは素知らぬ顔でいる。3年の間毎日会って洒落や冗談であいさつしていても、かつてのお金持ちの子供よろしく、無表情の子ばかりだ。
 渡辺京二先生が「生きるってことは、沸騰した鍋の淵にいるようなものだ。だから、甲斐のある人生を送って欲しい」と言っている。それぞれの人が、いきいきと生きる方法を考えて欲しいと言っている。
 日本が右傾化しようと、性格破綻者のアメリカ大統領が、何を言おうと、生活者には、どうでもいいことだ。津波は不意にやってくるし、考え抜かれた情報操作で政府に都合がいいことをされようと、我々は、甲斐のある人生を送ればいいのだ。かつての人々はそうして生きてきた。
 良寛さんのように「災難にあう折は、災難にあうが良く、死ぬるときが来れば、死ぬが良い」とは我々にはちょっと不可能だが、日々いきいきと、ときには煙草でもくゆらせて、苦虫をかみつぶした表情をやわらげることもできよう。

2016年10月14日金曜日

サッカー、試合の後で


 

 

 

 

サッカーでは、アウェイとホームと呼び、競技場に違いがある。

自陣あるいは同族と仲間たちをホームと言い。

敵陣あるいは遠隔地の敵対者と戦うことをアウェイと言う。

地元で戦う時には、勝たなければならず、

敵地で戦うときには、負けなければ良しとする。

(たいていのスポーツは、敵地での試合を引き分けでいいとは考えていない。

これが他のスポーツと本質として違うところだ。)

大勢のサポーターという同族の中での試合では、高タンパク質の獲物を持ちかえり、食べ分ける為に、ホームという概念がある。サッカーは狩猟であるのだ。

狩猟者である選手は、一人の主神(主審)によって、行為の判定と善悪を裁かれる。

主審は一神教の使いのようであるが、狩猟採集者を、上から目線の論理で判定する土着定住者とも見受けられる。(先の試合、あまりにホーム優位に笛を吹くので、かちんときている。少し公平さをかいているかもしれない。)

狩猟採集時代には、主神は存在しない。

それぞれのモノや行為や現象にあらわれるそれぞれのカミだけがいた。

(東南アジアには、ピーのカミがいたるところにおり、それぞれに附くカミであり、又一つのカミでもある。)

だから、時代を経てゲームとしてサッカーが成立した時には、主神がいたとしても、この対比は、考えづらいものがある。

その時代には王は存在せず、皆平等で、時として長老が問題解決をした。

サッカーの成立時期は、牧畜農耕時代以後の工業化の時代のことであるから、過去の遺物である狩猟としてのゲームを、農耕民的エートスで裁きたいのだ。

 

サッカーと言う狩猟は見るものも、演じる者も快楽そのものである。

農耕民は、いい加減にしろ!と冷や水を掛けたいのだ。

(俺たちは毎日こつこつと仕事をこなしているのだ)

その為、主審は、安全な帰郷と豪華な接待の為ホーム有利に判定する。

引き分けで試合が終わりそうな時間帯に、敵にフリーキックで一点を取られることは、もってのほかである。

夜の饗宴が、そのヒト蹴りのため、後ろからナイフで刺される恐怖を味わわなければならない。事件にならなくても、罵声と饗宴では、待遇が違いすぎる。

そういう真理とは関係のないところで、ゲームは存在するのである。

狩猟者は、成熟してその判定に甘んじなければならないが、

主審という判定者は自己を真実のもと点検することはしない。

(機械で判定するというなら、まだ土着者にまかせた方が救いがあるが。)

左脳優先の牧畜農耕土着者の主審は、他人の言説にたじろぐことはない。

なぜなら、主審は善意でことを進めているからである。

(彼らは、ボランティアで審判になったのだ。)

それは、母親がグレートマザーとなるのが愛情のせいであることと変わりがない。

左脳で決定したことに、論理的優位と、おそろしいことに善意と愛情がまとわりついているのだ。

 

黒豆が動いた、と、たとえ話がある。

男が、黒豆が落ちていると言うと、もう一人が、動いたからゴキブリだよ、と言った。

男は、そうじゃあないよ、黒豆が動いただけだよと、返答した、というものだ。

黒豆と左脳で決定したからには、何が何でも黒豆と見えるのだ。

 

先日アメリカの空港で、アルカイジャの幹部の名前の搭乗者が居ると、10数名の精鋭が飛行機に乗り込み、仲間共3人を逮捕し、空港事務所に連れ行った。

本部に連絡し数十分で解放したが、当の犯人だとおぼしき名前の主は1歳半の赤ちゃんであった。

両親は怒ってその飛行機には再搭乗しなかったと、記事に有る。

決定した者のことを考えると、現場では異言が唱えられなく、

赤ちゃんであっても、その場で結論できない程に、システムは機能していない。

どんなに優秀でも土着定住者には、先は見えない。そういう構造になっている。

土着定住者は、今現在の改革には、驚かざるをえない精度と様式を創造出来るが、断崖が見えないせいで、崖から落ちようとも一斉に落ちるのだから隣の人物に注意しているだけである。

先の東京電力などの、危機管理能力の機能不全は、牧畜農耕民の特質その物である、と思う。

システムの維持に全力をつくしても、危機回避と、安全性の追求には、目をつぶってしまった。

黒豆と決定したからには、土着定住者には、動いても黒豆なのだ。

断じてごきぶりではない。

 

左脳優先によって人類は滅亡するかもしれないと言われる。

避けるには、狩猟民としてのエートスを思い返さなければならないと思う。

我々は、40億年狩猟採集してきたのだ、たかだか数千年前から変化してきた牧畜農耕作業によって培われた左脳優先の新しい気質にだけ従順であることはない。

よーく、思い起こせば、われわれは狩猟採集民の血筋を引いていることに気がつくはずだ。

海を思い起こし、山や川や湖をそれらを体験した昭和3,40年代までのふるさとを思い起こせば、自然と同体の時があったはずである。

その上日本人は、漁労採集も長く続けてきたのだ。

(かわいそうだが、昭和50年以降には、思い出す過去もない。東京オリンピックがその境目だと言われる)

木々のざわめきに生物を発見し、

石の表面に附いた足跡で、いのししの頭数と行った方向を決め、

風向きで行動を決定し、

生えた草木で土の中の飲み水を感知する、それらが、ごく自然に出来たのである。

太陽や雲の動き、月の変化、気配の察知、殺気からの逃避、自然が生き物として感じていたはずである。

そして、夜は踊りと歌で仲間と同化する。

彼らのように、感知したり、察知したりする能力が極端に墜ちてしまったのだ。

色々な提言の有った原発では、維持にのみ努力し、想定外で済ましてしまおうとしている。

土着定住者としての思考形態しか、思い浮かばないのである。

駐車場の白線に、ドアを開けて確認してから、平行に止める。なにゆえに?

そうしない運転手には、平行に止めなさいと叱咤する。なにゆえに?

数千年の間、土着定住農耕民は苗を真っすぐに植えたかったのだと思う。

自然は直線を忌み嫌うというが、直線で田畑を分割してきたのだ。

自然をすべて、人工物に変えたかったのだ。

車をもう一度動かして駐車し直すということは、

強迫神経症という病態であることも認識できない。

私たちの世代すべてに、覆いかぶさっている破滅への心情である。

 

もし、狩猟採集者が、広い駐車場に規則正しく引いている白線を見ると何と思うだろうか?

白線の意味がくみ取れれば、恐怖を感じるのではないだろうか?と思う。

自分は自由だが、この白線は、自分に強要する。自由を奪おうとする。

最低限必要なだけの強制は、狩猟社会にあるが、

現代のように、なにからなにまで指示によって行動することに、不安を感じるだろう。

 

石灰でざらざらの壁、傷だらけの家具、時間を表現するため、古く見せる加工をした店内に、はじめてやって来たカナダ人が、日本で色々な所を廻ったが、ここの空間が一番落ち着く、と、感想を述べた。

かのカナダのひと、それまで、日本のきれい過ぎる空間に、強迫的な視線を感じて辟易していたのだと思う。

我々には、辟易する心情と、もっときれいにしなければと言う心情が、混在している。

 

世界には牧畜農耕を許されなかった民族がいる。

ユダヤ人である。

ユダヤ人には、田畑を持つことは許されなかった。

数千年遍歴・漂泊を重ねている、まっすぐに苗など植えた経験のないユダヤ人は、

人口に比例してノーベル賞や芸術活動のずば抜けた評価がある。

農耕牧畜によってはぐくまれる強迫神経症に罹患しないことによると思われる。

彼らは、近隣の他者の顔に依存することなく、自己に忠実に自由に創作活動が行われた。農耕牧畜時代に、狩猟採集者の末裔である「漂泊・遍歴」するものが、苦痛をささげるかわりに自由を手に入れていたのだ。

これは日本の漂泊者も同じである。

狩猟採集者や、芸術家は自由の真の意味を知っている。

-農耕牧畜者には、自由を理解すること自体が、不可能に思える。

 

一週間入院して感じたが、大病院の設計者は人工空間が、もっとも入院者が安心する空間だ、と言う考えしかもっていないようだ。

我々は、入院しているが故により自然に包まれる場所が欲しいのだ。

大きな病院の中、新鮮な空気と、木や草やその梢の中で休息する場所を探したが見当たらない。淀んだ室内空気は、エアコンで循環するだけである。

 

 

狩猟採集民は残酷なところがある。

死に行く人が一人でさびしくないように、はるか上流の他狩猟民が一人でいるところを狙って、誰であろうと首を切って持ち帰る。50年前の慣行である。

それ以前には、建物の重要な位置の柱を立てる時、その穴に静かに入り柱を守り、住民を守護する霊として生け贄とした。

土着定住民は、農耕による蓄財によって、上下の地位の差ができ、王が現れ、他部族との収穫の奪い合いで抗争となり、集団の死人が出る。

縄文時代には戦争による死は見られないが、弥生時代になると、戦死体が多数現れる。

人間そのものが動物としての残虐性をおびている。

 

狩猟採集民に擬娩という習慣がある。

妊娠した女性の出産する隣で、当の妊婦と同じように叫び、痛がり、うめき苦しむ様を演じる夫がいる。夫婦同体同時経験のためである。

恋する二人が、同じ音楽を聞き、同じ映画を見、同じ食事をして、いつも同じでいたいと思う。ところが出産を考えると、同じ経験は出来ない。

同じ経験をして、いつも同じ感覚でいたい、(そうでないと心が離れてしまう)とは無理な望かもしれないが、狩猟採集民はその願いをかなえる。

ボルネオの伝統社会に、蚊の鳴くような音量の口琴楽器があるそうだ。

聞くには、肩寄せ合い、耳を近づけないと聞こえない。

その子供に聞かせるのか、

かけがえのない相手に聞かせるのか、

二人は、密着している。

残酷な首狩りも、部族の仲間同士の思いやりからの行為である。

彼らは、言葉を交わさなくても、意思の疎通がある。

又、食べる分だけの狩猟をすると言われている。

川に釣りに行くとき、一か所で10匹取ると、違う場所に移動して、5匹釣ったらまた移動する、水中の魚と会話して釣る数を決めているようだと、観察者は述べている。

夜、狩猟の為待ち伏せしている男が水辺を見ている。

みみずが蛙に食べられ、蛙が蛇に睨まれ終にはのみ込まれてしまった。

蛇が退散しようとすると、猪が見つけ、食いちぎり叩きつけ呑みこんでしまった。

狩猟者はその猪をまっていたのだが、自分も葬られる存在であると考えないではいられないだろう。と先の観察者は考える。

生と死の違和感のない同居である。

民族学の岩田慶治は、狩猟採集民の特質を、

1.「いきもの」をとらえる鋭い能力をもっている。

2.全体像を直観する。部分から全体のイメージをつかむすぐれた能力をもっている。

3.鋭い透視力を持っている。目に見える世界から目に見えない世界を構想する。

4.類推の能力に秀でている。アナロジーの自由な展開をたどる力がある。

5.同定つまりアイディンティティーをめぐる鋭敏な感受性にめぐまれている。

と、のべる。

 

ブータンで、断崖絶壁の山道を車で走っていて、折からの豪雨のため、急流となった濁流にのみ込まれ一台の車が、崖下に落下していった。

そこで見ていた現地の人は、引き上げることはできません、だから祈っているのです、と、だけ言ったという。

無事を祈るのではない。鎮魂の為祈るのである。

生と死と祈りの世界。

人の命は地球より重たいとは誰が言ったのだろう。

先の氷河のクレパス落下事故で、現代人であっても5人の命を助けるすべはなかったはずである。(ブータンのように祈った者がいただろうか?)

 

今西錦司は、ダーウインのように弱肉強食の適者生存や自然淘汰説をとらず、独自の住み分け理論を考える。

「せいぶつの始まりは、多数の高分子が変わるべき時が来て多数の生物個体になった。

その時が種社会の始まりであるとともに、種個体のはじまりであった。

これからのち、この二者が生成発展していく時でも、変わるべき時がきたら、この種社会の成員である種個体の全部が皆同時に一斉に変わることによって、種社会そのものもまた変わってゆく。」

種ごと変異して住み分け、競争するのではなく共存するのである。

「その上で、この三者は、つねに他を顧みながら歩調を合わせて、発展し、進化してゆく」とのべる。

だが、今西は人類が狩猟採集から牧畜農耕民となって、住み分け理論は適用できなくなったと言う。

日本では弥生時代からの農耕によって、人が強者となり、地球40億年の歴史を塗り替えてしまったのだ。

治世するものは、稲作を最も大切にし、税を稲で納めた。

定住せず、漂泊、遍歴の民が生まれたが、稲作農耕民以外を賤なものとして差別した。

新モンゴル人であった弥生人は、古モンゴル人であったその当時世界有数の文化を創造した縄文人も差別した。

その意識は、我々に埋め込まれている。

木奴は、野蛮人と。

鬼の顔は縄文人の顔のデフォルメしたものである。

東北へのわれわれの目は、それが未だに潜んでいる。

縄文人は、征夷大将軍・坂上田村麻呂に侵略され、11世紀に滅ぼされたという。

しかし、その生活を続けている者は、東北地方から北関東、北陸、山陰、四国の徳島、高知県、南西九州、沖縄などにおり、古モンゴロイド的体質が多いと言われている。

アイヌは蝦夷(えぞ)といわれ、蝦夷(えみし)とよばれた縄文人をさし、金田一京助によって、西洋人と言われるほど、目鼻立ちがくっきりしている。

坂上の雲をNHKで見た人は、瀬戸内育ちの主人公の実物の顔が日本人ぽくないことに驚かれたと思う。古モンゴロイドは我々のあこがれの西洋人のようである。

ちなみに、夏目漱石・吉永小百合は縄文顔で、サッカーの沢穂希や橋本徹は弥生顔であると人類学者は言う。

新モンゴロイドは、のっぺり卵顔で、蒙古ヒダの細く一重まぶた、鼻は低く、手足に比して胴体は長く、毛が少ない。2,3万年前から地球が冷えたために、それに備える為に出来るだけ表面積を少なくした結果である。

うりざね顔・のっぺり顔が、今、美形と敬っている縄文人を差別してきたのだ。

うりざね顔は弥生人のことであったのだ。

(幕末の頃、西洋人を赤鬼・青鬼とおそれた彼らを、今、美の典型と持ち上げたのはだれだろう。)(西洋人は、ギリシャ以前という思考形態に及ぶことがないが、われわれには、縄文という時代がある)

 

魚釣りをする人は、針についた餌が、底近くを漂うように調整する。

岩があったり、くぼみがあったりする海中を、針で探索し、想像するのだ。

そうしないと魚が徘徊してくる場所を特定できない。

魚は深みの溝を通って、上流に向かって泳いでくる。

今そこに鯛はいなくても、何十回目の餌の漂いに、そこを通過して食う可能性があるからだ。そうしたことに集中する時間が、感を育成するのだ。

サッカー選手は、試合中、上空から俯瞰してゲームを見る能力が必要だ。

パスは、俯瞰することによってのみ通すことが出来る。

そうして時間を先取りする。

それが狩猟に必要な気質である。

ただ彼らは問題解決者ではなく、問題設定者であると、分裂病研究者の中井久夫は30年前に述べている。

「狩猟採集者は、かすかな兆候から全体を推定し、それが現前するごとく恐怖し憧憬し、先取り的対処ができる。

平和時には隠れて生きることを最善としていたが、非常時には、にわかに精神的に励磁されたごとく社会の前面に出て、個人的利害を超越して社会をになう気概を示す。

狩猟採取気質者が人類に多数占めることが、おそらく人類にとって希望であり、必要な存在なのだ。

人類とその美質の存続の為にも社会が受諾しなければならない税のごときものである。

かりに牧畜農耕民のみからなる社会を想定してみるが良い。

その社会が息詰まるものであり、大破局は目に見えないという奇妙な盲点を彼らが持ち続けることに変わりはない。

先の者の尾に盲目的に従って大群となって前進し、海に溺れてもなお気づかないのが彼らだ。」と、この困難な生きにくい時代を予言した。

 

伝統は時間と共に変化する。

述べる時代の言葉と共に変化し新しくなったように感じる。

しかし、人類が新しくなることは、100%あり得ない。

遺伝子によって成り立っている生命は、伝統のみがよりどころである。

遺伝子を補佐するために成長したと思われる脳機能は、時代性に腐食されるが、

遺伝子を捨てるわけにはいかない。

孔子は創造したのではない、祖述しただけだ。

周公の足跡を理想として述べただけだと。

孔子は、「述べて作らず、信じて古を好む」と言った。

 

生命は、滅びるものと、生き延びるものとにわかれた。

われわれが今いることは、太古の生命がさまざまな苦難を克服して今まで生き延びてきたということだ。

大きな環境の変化があっても、生き延びてきたのだ。

人類学的人間の宿命というものいいを使うなら、子供たち孫たちを生存させる努力のことを言うのだと考える。

そうしないと、今生きていることが、先人からの贈与であることと、その返礼義務が生じることに認識が向かわない。

世に恋愛物語が充ち溢れていることは、彼らの生命を子供たちに引き継ぐことに価値があると認めているからであろう。

生命は不死を願うが、不死であることによって、その種は、滅亡する確率が格段に増える。死という世代交代によって種として、存続する。

 

ETS幹細胞は、組成はがん細胞と同じだそうだ。

変化の仕方が違うだけであると言う。

幹細胞は自分が何に成長するか知らず、隣の細胞の動きを感知しながら徐々に変化する。彼らにとって大切なものは、コミュニケーションだけである。

そのうち肺になったり、右手になったりする。

隣はどうするのだろうと、見つめあって成長するのだ。

初期の恋人たちのように、相手を尊重する気持ちである。

今西説の住み分け理論と共鳴する。

ひるがえって、がん細胞は、他人の事なぞ、自分には関係ないと自我を押し通し、

自分だけが良くなればよいと自分探しの旅に出たものだ。

これだけがん死亡者が増えてきたのは、いろいろな理由があるだろうが、

コミュニケーションの不足と、自己顕示欲の増大が、幹細胞とがんの関係と同じように、影響していると考えてしまう。

 

人は、生まれてすぐから、おぎゃーと自己表現をする。

かよわき赤ん坊は、襲われる危険を覚悟の上で、泣き叫ぶ。

サルでさえ敵に見つからないように、静かに成長するが、

人は、コミュニケーションの必然性故、危険を物ともしなかったのだろう。

表現したいと思う気持ちは、人本来の持ち物である。

表現なおかつ発見も自己を投影することに尽きる。

ワトソンとクリックが、二重ラセンの遺伝子を発見できたのは、彼らが、二人組であったからと言われている。

科学にしても自分以上の事は発見できないというのだ。

幹細胞が必要としたコミュニケーションは、人類がその細胞のように、生命はコミュニケーションが有ることによって成り立っているということだ。

コミュニケーションは狩猟採集時代もっとも研ぎ澄まされたものだ。

(サッカー選手が見ないでも的確にパスが出せるように、また、先のワールドカップのスペインのコミュニケーションによるサッカーは、どんなに強力な体躯の選手のアッタクにも負けず、美しく強かった、)

退化しつつある右脳と左脳のコミュニケーションは、取り戻す必要があるのだ。

 

霊長類・人類は狩猟採集を、数百万年続けてきた。

狩猟採集時代には、全生命が共存していたと、今西錦司は述べる。

右脳の働きの勝った狩猟採集民は、ストレスに弱く、構築していく力がない。

左脳が計量し、測定し、配分し貯蔵する。

左脳・右脳は、必要で成されたものである。

遺伝子の変化によって出来た新モンゴル人も、古モンゴル人も脳容量には変わりはない。

だが左脳優先に社会を秩序付けると、秩序の過多が人間を、破壊に至らすことになるだろう。

秩序は寛容を疎外する。

もともと複雑怪奇な人類を、シンプルに統一することによって、

小林秀雄が述べていた「人の理性は、無辺の闇の中の方丈しかない」

その無辺を抑圧することになり、おぼつかない理性は、うろたえるしかない。

あげくに、断崖から落下するのである。

 

「いきし世の面影」で渡辺京二が再現したように、かつて良き世があったなら、その世をふたたび孔子のように、夢想してみたいものである。

江戸後期の桃源郷のごとき世は、一千年かかって作られたと、江戸にやってきた人々は考えた。

陰陽五行・仏教・儒教・封建制など外来の知識を取り入れ、それらの戒律、行儀作法など規律を重んじることで千年かかって出来上がった世の中である。

今から一千年では、先も述べたように人類が存在するかどうかあやぶまれる。

人々は、自然と親しみ、狩猟民の感覚を呼び覚まし、

自然から受ける気配や兆候に感じやすくなる体質を記憶の中から呼び戻すことが急務であると考える。

 

人の幸せは野蛮に由来し、

人の不幸は文明に由来する。

 

 

 

   2012・6・30   近藤 蔵人