2017年9月17日日曜日

山の隣人と大谷さん(2)


 

山の隣人と大谷さん (2)

 

 

アメリカから来た二人の子供たちはうつくしい顔立ちで、二世らしく日本人の和らぎと、アメリカ人の目鼻立ちをしている。

この二人が、山の家の玄関の扉の上に巣を作ったオオルリの子とダブって見える。


オオルリの子は、親を感じると、黄色い口ばしを大きく広げて首を伸ばし、大きな泣き声を出すかと思っていたが、泣き声は出さない。静かなので巣を作ったことも知らなかった。人家の軒先に巣を作るオオルリは、目立たないようにしているのだろう。

小鳥は、エサをやりに来た親が、巣の前でホバリングしている姿を眺めて、もっと長く首を伸ばす。ホバリングするか細いブーンと言う音だけを残して、親はすぐに飛び去る。巣を作っていても、それがテラスの椅子のすぐそばにあるのに、あまりに静かな生活をしているので巣立ったところは見なかった。男親は、うつくしいブルーで、お母さんは、目立たない土色だった。両親は遠いところで甲高い声で鳴くが、子は最後まで泣かなかった。

母親は、子供たちのケガや虫に噛まれないか注意を払っているが、ねこ可愛がりすることはない。子供を育てるのは、猫かわいがりするのではなく、けがをさせない、事故に合わせないなど注意することだと思っている。 親は、よほどの意志力を持たないと、母親から育てられたようにしか子供を育てる方法を知らない。その為母親に育てられた自分の過去が現れる。

二人の子の母がかつて話したことを思い出す。母親の連れ合いに可愛がられ、9歳で冒され、彼が亡くなった時には大声で泣いたと言う。母親に可愛がられた覚えがないため、岳父の非常識な行為でも、愛情と受け取らざるを得ない境遇だった。そういうことがあった場合、男嫌いとなり、男性にさわられることも嫌悪することがあるだろうが、彼女は、9歳で愛情と受け取ったのだ。長じて彼女は時々落ち込んでふさぎ込み、部屋から出られず、生きていないように隠れることがあると言う。9歳の喪失の善悪を自問しているのだろうか。彼女の母親は、薄々とは感じていただろうが、声は出せない状態だったろう。

この話は、映画「プレシャス」とほとんど同じだ。父親に冒されふたりの子を産んだ高校生のプレシャスは、母親に可愛がられることはない。母親は、夫がプレシャスを可愛がるのに我慢が出来ず、暴力を振るい、邪険に扱う。子供に皿を投げ、テレビを投げつける。それでも、子供は母親の愛情を疑わない。私が悪いから母はしかるのだと思う。母親がプレシャスに夫を取られたとカウンセラーに心情を告げるのを聞き、愛されていないことを知り、プレシャスは独り立ちする。
この映画を見た娘の友達は、私みたいだと言ったと言う。彼女たちの為にも映画プレシャスを撮り見てもらうことが必要だったのだ。誰にも、こうすればいいと言うことは出来ない。自分で解決しなければ、いつまでも同じことを続ける。

彼女は、自分にやさしくしてくれる人に敏感で、邪険に扱われると子供時代がよみがえるだろう。これらの過去は、彼女の責任ではない。子を愛さない彼女の母親にも、全面的に責任があると言えないかもしれない。世界は悲惨に満ちている。何事もなく人生が過ぎればいいのだが、ことあるごとに表面に現れて、鬱になり、体調を崩し現実生活がおくれない。

世界は理性で眺めれば喜劇に見え、感情で眺めれば悲劇として見える。

二人の子は、母親にささいなことでも話しかけ、子供たち同士で数分も遊べない。何かあると母親のもとにやってきては報告したり、たずねたりしている。母親が消えてしまわないように気を付けているよう感じた。時々母親が失意によって落ち込み引きこもることがあるので、いつも顔色をうかがっているのではないかと思った。

オオルリは、親が育てたように、子も同じように育てる。

親がそばにいても鳴かないオオルリの子と、親の存在を感じ続けていたい人の子も、幼年時代を背負って、親と同じように子を育てるのだ。

弟は、普通にわんぱくで男の子らしく見えるが、兄は、か細い神経におびえながら生きているように思う。お母さんは遊んでくれないと僕に言い、僕の似顔絵を上手に描き、ピアノも即興でメロディーを奏でていた。この兄は、母親と同じように母親の愛情に飢えて育つだろう。そのためには、この子には、表現の機会を多く与えるといいと思う。表現には、自己慰撫があり、生を充実させるものがある。二人の子供にとっては見守り、抱きしめ、精一杯可愛がることしかないと思う。だが、可愛がるとはどういうことか可愛がられたことのないものはどうすればいいのか?

 

彼女が26歳のころ、笑顔が子供のようで、可憐だった。いつもにこにこしていたように思う。そのとき僕は46歳で今の彼女と同じ年齢だった。欲望を持ち、相手を見る目は幼稚な46歳だったろう。家内の目、自分の立場を守る傾向があったが、女性にはあこがれと、ふつふつとした欲望があった。その時の彼女は壁がなく、まるで天使のようだった。彼女が渡米して僕にとってよかったのかもしれない。女性特有の井戸端会議をすることはなく、確信しか話したくない人のようで、アメリカ生活が自分に合っていると言う。

駅に彼女と二人の子供を迎えに行ったとき、彼女は土色のくるぶしまであるワンピースを着、腰にはベルトがなく、すらりとした頭から下に洋服がおおいかぶさっているようだった。簡単に挨拶をすると、子供たちは、日本語でこんにちはと挨拶をした。20年も経っているのだ、僕の体にも、彼女にも生活が体に染みついていてもしょうがないことだ。

作っていた冷たいビシワソワーズと、ビーフシチュウとチーズケーキを、子供たちは、おかわりをしながら食べてくれた。彼女は、赤ワインを飲みながら、時々食べている。久しぶりに僕もご相伴しようとビールを飲んだが、体調悪く一杯で止めてしまった。

懐かしい話になると、あの時の可憐な笑いがよみがえる。あの人を引き付けるほほえみは何なんだろう。無防備で、今でも脳裏に焼き付いて思い出せるほど魅力的な笑い顔をする。遅くならないうちに帰ることになり、車で駅まで送っていくと、生まれて初めて心のこもったハグを長男から受けた。誰に言われるわけでなく抱きしめられ、ほほにキスしてもいいとたずねると、うんと言うので、腰をかがめ両ほほに僕のほほを当てて、映画のようにできたと思う。

 

なぐさめるということを考え始めると、何か言おうとしても、言葉の不足を感じて僕は言葉が出なかった。それでも、挨拶の後にもう一度まいちゃんと訪ねてきてくれるのだから、大谷さんには不満はなかったと思う。

山の家に来てくれる人には、出来るだけの歓待をしたいと、ただそれだけは心している。それぞれの個性や癖は、自然に身についたものでどうなるものでもない。

それぞれの友人の過去を感じて、今を見つめて、一人住まいのさみしさを、訪ねてくれるのだから、精一杯の料理を食べてもらえればいい。何か話があって来てくれても、料理作りが忙しくて、話さないで帰る人もいただろう。それでもいいと思っている。話すより、料理を食べてもらえればいいと思っている。

言葉は軽くてすぐに消えていく(文章は別だ)。僕は生きるこころの支えが、料理を食べることだと考えているのかもしれない。だいたい人の言葉は、7,80%聞き逃してもいいものだと思っている。ほとんどの話は気分で会話し、自分の気持ちを表現できない。自分の感情を表すことが、自分の人生だと思っている。僕が求めるものは、相手の人生への気持ちだ。それを感じることが出来れば、安心できるように思う。音楽が好きな理由は、その気持ちを表すことが芸術の中でも優れているからだと思う。すべての芸術は音楽を目指す。

安心感を阻害している自己執着の対語は、執着しないとしか言いようがない。仏教用語では無私、無欲ということだろう。僕は自分にそれを課しても、人に言えるほどの行動は出来ない。

 

クサヴィエ・ドランというフランス系映画監督がいる。二十歳で母親との確執を描いた「マイマザー」でカンヌを驚かせ、続く3作ではホモセクシャルをカミングアウトした作品の後、もう一度母親を描いた「マミー」を撮り、「たかが世界の終わり」で今年のカンヌのグランプリをとった。監督と思われる主人公は、34歳のゲイの名をなした脚本家で、12年ぶりに帰郷し家族に自分の死期を知らせに行った、その一日の物語だ。これらには父親は存在せず、自己執着した母親と兄弟の諍いが描かれている。この監督は、主演し、脚本を書き監督もする若き美貌の青年だが、自己を濃縮して表現することを映像に課している。日本人は、仏教徒を経て、自己執着に幾分はずかしさを感じる気味があるが、彼らにはその歴史がない。彼らが使う言葉は、ナイフのように相手を切り刻む。日本人の執着とは異質だ。相手を思いやることがなく、主人公は最後まで自分の死期について話すことが出来ない。大谷さんは、知りあいには最後の挨拶をしたが、主人公は、12年の空白があるせいでもあるが、全員が自己執着が人生の生き方とでも思っているようで、誰にもなぐさめられることなく、追い立てられるように帰って行く。挿入歌に、家庭は港ではないと歌われ、真っ暗な闇の中、我々は生きていくとエンドロールで歌われる。

 

子供が泣いたらだっこしたり、さすったりする。しょんぼりしていたら背中をさすってやる。いい子だなと頭をなぜることもある。

なぐさめるとは、そうした肌を合わせることではないだろうか?と、ふと思う。
日本人は、肌合わせが苦手だ。、握手もしないし、ハグもしない、まして、頬と頬とにキスすることもできない。悲しみにあふれた人を抱きしめて、なぐさめることはない。

人には、準静電界という微弱な電気の膜が体じゅうをおおっている。また、体にも電気は流れている。その電気が相手に流れて、また、相手から流れてきて体内の電気的変換が起って、なぐさめられたり、なぐさめたりしているのではないだろうか?

肩がこった自分の体を自分でマッサージしてもこりは治らない。他者のマッサージによってコリはほぐれる。他者との皮膚への電気的交流によって自分の筋肉が正常になると考えられる。

大谷さんの病室に入った時に、大谷さんを見てその腕に手が向かった。家内は足をさすっている。言葉をかけることは、大谷さんの意識に向かっているが、肌に触れることは、大谷さんの身体に直接染み込むことだろう。

源氏物語に「おもいなぐさむかたありてこそ悲しさをもさますものなめれ」とある。最後の時、なぐさめられるような相手が残っていてこそ、悲しさをやわらげるもののようだと、意訳にある。意識がもうろうとしても、握られている手を感じて、この人が私の代わりに生きていてくれるのだという思いが、死に行く人の悲しみをやわらげると言うことだろう。そうかもしれないと思う。

なぐさめるは慰と書く。白川静の字解によると「火のし(アイロンのこと)して、布が平らかに、のびやかになるように、心がのびやかな状態になること」とある。ちじこまった心を、平安にすることなのだろう。

 

今年の正月は、子供にも会わず、一人で山で3がにちを過ごした。家族でいざこざがあって、山を下りたくなかったのだ。ささいなことなのだが、こらえ性のない僕は、けんかなどはしないが、一人で山にいた。3日目には、孤独感が襲い、これはまた、鬱に落ち込むかもしれないと不安が訪れた。気を付けないといけないと思った。それから、正月から今まで人肌が恋しく感じ続けている。ありていに言えば、添い寝してなぐさめてくれる女性がいればと欲望が起る。

7月アメリカから帰郷する彼女を、様々な思いで想像した。二人で、夜お酒を飲む場所で会いたいと言われて、その後どうなるだろう?と思い。山に来ると連絡があって、泊まるのだろうか?と想像する。彼女の現状を知らないのに、こちらの妄想だけがふくらむ。

人は、いつまでもなぐさめてもらいたいものだと思う。宗教は、信心する人をなぐさめる機能があると思う。神に祈る、すべてが明確だと思っている神に、苦しみを取り除いて、なぐさめて欲しいのだと思う。その時の神は、宇宙に充満する気と考えればいいのだろう。気は電気的にできている。我々生命体を構成する原子は電気的にできているから。

 

音楽は、音波として僕たちの耳が聴き、どうしたことかそれが心にしみる。言語を話す以前は、音楽で意思疎通をしていたと言われる。他の動物の鳴き声が、音楽と思えるように。だから、僕たちは音楽を聴くと、相手の発する音の意味を考えようとする癖がついているのかもしれない。ある種のサルは、ピーピーと鳴き、仲間に敵が来ると知らせ、仲間が逃げると仲間が食べていた実を、独り占めする。そのために泣き声を立てたのだ。音の種類が少ないから、音の微妙な高低で表現するのだろう。

ピアノ曲が、その表現を繊細に表す。しかし、今はバイオリンの話をしたいと思う。このところわけあって、モノラル録音のバイオリンを聴くようになった。レオニード・コーガン、ロシアのバイオリニストだ。ギーコギーコ弦を弓で押さえつけすぎて、美音とは言えない音で演奏する。現代の演奏者は、こんな音は認めないのかもしれない。今では曲に合わせて、音調を変えることが技量と考えている、役者がどんな人物でも演じるように。

コーガンは、曲に合わせて音を変えない。多分変えることが出来ないと思う。朴訥で、無骨そうなコーガンの弾くバッハは、真摯にバッハを身近に感じて、そのまじめさに、心が打たれる。ひとフレーズに込めた思いが自然とこころにしみいる。バッハを表したいという意欲が、バッハとコーガンが一体となって、その追及の真摯な様が、音楽の神髄として聞こえてくる。

次に、ジオット・ヌボーのバイオリンCDが、僕のもとに来るべくしてきた。コーガンは名前こそ知っていたが、ヌボーは聞いたことのないバイオリニストだ。だから、手に入れることなど考えられなかった。コーヒー師匠の熊谷さんが、ダブって買ったと言うので、譲ってもらったものだ。CDケースには、立派な若者が、バイオリンを首に付けて演奏している写真がある。山に帰って、音出しすると、バイオリンの細い線がチリチリと震えている。やさしさの満ちたタッチで、世のすべての人が味わう悲しみが、ことにピアノシモで弾かれると、泣きべそをかいているようだ。どうしてこの人はこのような音を出すことが出来るのだろう。コーガンにしろヌボーにしろ、この人にしか出せない音を出すことが出来る。ヌボーは、では違う音色で弾いてくださいと師匠に指示されても、私はこの音を変えるつもりはありませんと答えたと言う。名手オイストラフが、二位で、ヌボーが一位になったコンクールでは、オイストラフが12歳年上だが、ヌボー譲が、一位で何ら申し分ないと手紙が残っているそうだ。てっきり男性だと思っていたヌボーは飛行機事故で亡くなり、30歳の命の費やするだけの録音しか残っていない女性だった。ティボーにしろ、メニューイン、クライスラー、シゲティーこの時代の人たちは、自分の音をもっていた。

僕たちは、CDで音楽を楽しむ。演奏者は、誰でもいいわけでなく、作曲家に合わせて、一番優れている演奏者の録音を手に入れたいと心掛けている。時には、演奏家に出かけて、生の音で聴く機会があるが、先日、2代のハープシコードの演奏会に出かけた。岡田龍之介さんとお弟子さんの演奏で、岡田さんの演奏は3度目だが、お弟子さんは初めての方だった。岡田さんのバロック以前の音楽は、音楽として気持ちよく聴きこめる。(2時間の演奏を、気を張り詰めて聴きすぎかもしれないが)お弟子さんのバッハは、数分聴くと、気の短い師匠だと、もういい、やめろ!滝にでも打たれて来い!と言いかねない音楽だった。運指の難しい曲であるにしても、気持ちがない音楽は、聞くに堪えない。岡田さんも、もう少し遊びのある音楽をとお弟子さんの曲に対して解説していたが、今日は良くひけました、と、気を使っているように見えた。演奏者としては恐ろしいことだろう。

山のオーディオルームに、17世紀のラ・トゥールが描いた荒野の聖ヨハネの複製の絵を掛けている。16世紀のカラバッジョが、同じ題材の聖ヨハネを、子羊(のちに消している)と十字架と若者が足を広げている図がある。ラツールは100年あとに同じ題材で、カラバッジョへのオマージュのように、荒野の聖ヨハネを画いている。聖ヨハネは、イエスに洗礼をし、サロメの物語で首を切られる人物だ。カラバッジョは町の若者を描いたが、ラツールは、背中をまるめ表情が少し見える横向きの羊飼いの顔を画いた。顔、胸、腹、ふともも、両腕、膝小僧の中には真っ暗な空間があり、横向きの悲しげな表情だからこそだろうが、その真っ暗な空間の中に、世界の悲惨が詰まっていると見えてしまう。大切だと思うから壁にかけているが、それと、同じ思いを抱くヌボーの音楽に感動する。

考えると、これは、ちょっと不自然だろう。ウキウキする音楽があり、引き締まる音楽もある。また、希望を抱く音楽があり、大自然を感じる音楽もある。幸福を感じる音楽に、幸福だと感じても、僕が収集したい音楽は、石川啄木のわれ泣きぬれてカニとたわむるという、大正期のセンチメンタルなものに特化している。僕にとっての音楽は、なぐさめだと思っていて、悲しみの音楽を選ぶ、これは病状なのかもしれない。唯我独尊というわけではないのだから。

作曲家と演奏者が、彼らの気持ちを表現する。

音楽の中に、人が生きている気持ちを表して生きている。

やさしい気持ち、愛情に満ちた気持ち、悲しい、悲惨、孤独、人の気持ちを表す音楽は、旋律の美しさ、音自体の美しさにあふれ、包まれる。作曲者が目の前に現前して、失恋や苦痛に涙している。それを感じて、聴衆は涙ぐむ。(涙と関係ない音楽もたくさんあるが)

気持ちが現れ、その気持ちを感じることに、僕は、なぐさめを感じる。

ほ乳類として、母の胸と乳を経験したものの宿命なのだろうか。