2016年6月28日火曜日

バッハ無伴奏チェロ組曲の録音現場にて

先日、玉村にある「コーヒーショップむじか」さんで、チェンバロコンサートを聞いて、そういえば、しばらく前にこんな感動があったと思い出し、その時書いた文章を掲載します。

「東京プレリュード」

 

バッハの無伴奏チェロは、2大巨匠であるシュタルケル、ロストロポービッチの時代に、聞き込んだ覚えがある。40年も前の話だ。どちらが精神性が深いか?が判断基準であったが二十歳代の僕に解る訳はなく、ロストロポービッチのレコードは知り合いに進呈し、シュタルケルは弦のバチバチ響く音に圧倒されながら今もどこかにある。LPレコードにちっちゃなタンノイのスピーカーの時代である。その後、ビルスマ、日本人のチェリストを購入したが、当時ほど、聞き込んでいない。

昨年、ベルイマンの遺作映画「サラバンド」を見た。彼らの自己執着と、我執の関係までをも包摂しようとするベルイマンの姿勢、その中、老教授の美人の孫が引くバッハのチェロ曲「サラバンド」(何番のサラバンドかも失念してしまったが)によって救いが現れる、そのサラバンドの美しさに、また無伴奏を聞いてみたくなった。だが、いまだ聞かないままであった。

 

そんな折、思わぬいきさつあって東京、ロシア大使館そばのサウンドシティー(録音スタジオ)にて、オランダのチェリスト「ピーター・ウィスペルウェイ」の録音現場に、立ち会うこととなった。
録音ホールで器具の調整やら、持ち込んで行ったヒッコリーの板の置き場所をセッティングしつつ、その日の夕刻、彼がドボルザークのチェロ協奏曲の演奏会を済ませた後、バッハの無伴奏チェロの録音の為、録音スタジオに来るのを待っている。

午後9時前に到着。演奏会後食事もせず、急路飛んできた印象である。背は高く、小顔で美男子と言っても間違いでない顔に、スーツに隠れたすらっとした体形、横に白いケースを立てている。

10人程いた現場の人々を一瞥して、録音エンジニアがこの場所がバイオリンでは、響きがいい場所である旨聞くと、すぐさま赤や黄色のステッカーが目立つ白いチェロケースを開け、古色蒼然の楽器が手に取られ、中腰に成りながら音をだしはじめた。

この場所、あの場所と、数か所チェロ下部からやっと引き出した先のとがったピンを、床のフローリングに突き刺しながら、どの場所が最も響きがいいか、聴き比べをする。

そのうち、演奏用イスに座りながら、背の高い天井を差したり、白い大理石の壁と、反対側の壁とを、両手で差し示しながら、良くないという表情をした。

このスタジオは、天井が6mほどの高さ、巾15m、奥行き10m程で、平行面がないようになっており、梁は露出し、1m角の柱も中に立ち、まわりに、小さい録音室のガラスの扉5,6か所あり、複雑な空間を呈している。一目でどこが良いかは、見当もつかないスタジオである。

演奏者の要求で、50センチ高さの演奏台が必要だということで、台のセッティングに行ったわけだが、50センチの高さの上で音だしすると、音が響きすぎ台に吸収されてしまい、床面で直接ならした方が、響きが豊かだと解った。台はとりやめ、隅に置きやられた。

演奏者、教会での録音の時には、教会の年代物の扉をはずして、台の上に置き、その上で演奏していた経験からクロードに台を要請してきたのであった。。

コントロールルームに向かって、大理石を背にした場所が、最もいい場所だと、演奏者も言い、10人ほどの聴衆にどうであろう?と聞き、良しということとなった。

床のフローリングは楢材のようで、持ちこんだヒッコリーの35ミリの板のみを下において聞いてみようということに成り、上にイスを置き、二本の弓を取出し床の上に置き、手持ちの音差ヘルツ計とでもいうのだろうか?それにて、弦の調整を始めた。

それまでに、何度も音チェックの弦の響きに、ふくよかで、暖かく、ブワーンと響くその音の中で動き回っていた10人ほどの聴衆は、位置が決まって演奏者がイスに座り、初めてのように音だしするその瞬間を緊張をこらえて佇んでいた。

たーらら らららら らーらら らーらーと、バッハ無伴奏チェロ組曲3番プレリュード出だしである。皆は、この場所が良い、ヒッコリーになって音が良くなったと感じた。

演奏場所が決定した。

 

やっと、落ちついて聴衆を見まわした演奏者「ピーター・ウイスペルウェイ」さんは、視線をきょろきょろさせ、ここにいる人達はどういう人たちですか?と、若い通訳者に聞く。

「一人ひとり、紹介してもらいたい」と言ったように聞こえた。

落ち着かない演奏者の視線は、僕にもそそがれ、すぐにそらされ、違う方向にもきょろきょろと動かしている。それは野獣の動きの様である。野獣と言えば、攻撃する方を想像するだろうが、そうではなく、攻撃されないように、視線がサーチしているようだ。

それぞれにナイス・ミーツ・ユーと握手してまわる、僕の手を、大きくて厚く暖かい手でくるんだ。普通の日本人の表情ではない。自制感や、内省感が感じられない。しいていえば、自閉症児や、情緒不安定児のように動き、感覚だけになっているように見える。

今回の録音は、バッハの無伴奏チェロ組曲1番から6番の曲の中、プレリュードのみ6曲の録音である。全曲ではなく、「東京プレリュード」と銘打って販売の予定だそうだ。

バッハの曲想に違えないだろうかと心配がよぎる(後になって、プレリュード1曲でも終われる、と知ることになる)

 

録音ホールに彼一人となり、明るすぎる照明を落としてほしい、と言い。彼から見えるコントロールルームの照明も落として欲しいと、何度も照明調整する。

やっと演奏時間がやってきた。頃あいは10時になっていただろうか。

コントロームルームには、今回の発注者であるアコリバの社長、日本シャンソン館の羽鳥氏、ジャケット写真家の藤本氏、その夜のドボルザークの協奏曲を聞いてきた音楽批評家の御夫婦、出自の解らないおじさん一人、この僕と、坂原君。正面の機械類の前に座る目にくまのできた録音技師、僕と同じ白髪の譜面を読みながらチェックをする人、その横に、うとうとしながらパソコンの音波グラフを見ている物言わぬ青年、入口には音漏れをふさぐためにドアチェックをする技師の弟子の青年と、あと一人通訳がいる。

一心に演奏者の演奏が始まるのを待っている。

その時、この部屋の長老とも言うべき録音技師が、録音するにはディレクターが要りますが、誰がされますか?と社長と羽鳥氏に向かって言う。ディレクターが、もう一度演奏して欲しい、とか、何小節めを直して欲しいとか、OKを決める。それを、マイクに向かって、通訳者に話してもらわなければならない。その役をどちらかが決めないといけない。両人とも初めてのようで、それには荷が重過ぎそうと感じる。

羽鳥氏、では私がやりますと申請する。

通訳、テイクワンと、マイクに告げる。

 

初めに何番から始まったか、多分一番だったろうが覚えがない。

音の軽さに驚いたのだ。

ふむ バッハ?

あの、かた苦しいバッハ?

若すぎる。

バッハはこんなに若くはない。

しかし、

聞くにつれて、音から感情がたちあらわれてくる。

演奏者は、恍惚としている。

だが、曲の中に、入りきってはいない、覚めた目で良くしようとする意志の中にいる。

ふくよかな気持ち、胸苦しくなる旋律、ふっと息の抜ける解放感、

あたたかい!

青年のバッハが恋に生き、絶望に襲われ、落ち込んでいる。

有頂天になり、孤独になり、平静にもどる。

へんこつバッハおじさんが、みずみずしい、そして、若若しい、ロマンチックな青年バッハになっている。

バロックの時代の音楽でも、こんなにロマンにあふれた音楽として演奏できるのだ。

音は、ソフトで、あたたかくやさしい。刺激音が高音にも低音にも存在しない。

低音が唸りすぎない。

クラシック音楽と他の音楽との違いは、一つの音に責任を持って鳴らすところである。

ポピュラーなら、一つのフレーズで充分だが。

日本映画に・・・ローマの市街地を恋人二人が建物の中を錯綜しながら、やっとたどり着いた教会の2階の窓から見えるイスに座った数十人の聴衆と、一心不乱に演奏するチェリストのバッハ無伴奏が、教会の中全体に響き渡る映画を見た。すごい!と感動した覚えがある。

それは、曲そのものの強さに唖然とした。

覗いて聴くシーンが、同じだと思いだした。

しかし、ここではあの荘厳なバッハではなく、頬に赤身を帯びた青年バッハの音楽である。

 

演奏者は、5回も6回も繰り返し同じ曲を演奏し、そのたび、曲調を変化させ、長くのばし、短く切り替え、そして、はなから始め、また繰り返す。25回もテイクを繰り返すこともあった。

録音技師が、もう一度やってもらいます?と羽鳥氏に聞く、一回ずつ指示をしなければいけない、これは大変な作業である。決定しなければいけない。でもどれを良しとして、どれをダメだと思えばいいのか?音の間違いだけは、素人の僕でも解るが、どのテイクもニュアンスの違いはあるが、青年バッハの多感さが表れている。

その時、演奏者うなだれ演奏を中止した。

それを見た羽鳥氏が、「だんだん音が詰まって来る」と述べた。

僕は、思うのであるが、日本人の良き特性として「思い図る」ということがある。

演奏者は先程あの大曲ドボルザークのコンチェルトを引いてきたばかりだ。彼なら何曲かのアンコールを演奏したかもしれない、その後、時を置かず、何度も何度もテイクを重ねている、可哀そうだ、もう疲れきっているだろう、そんなにやってもらわなくてもいい。これが日本人の思う心である。

羽鳥氏は、この気持ちに、良い演奏を録音しなければならないと、ディレクター、プロデューサーの立場も加わっている。

僕には人の心なぞ知りやしないが、羽鳥氏は、演奏者が可哀そうになったのではないだろうか?それが、プロデューサーの込み入った言葉として現れたのだと思う。

僕は、初めの挨拶の時、羽鳥氏が演奏者と会話しているところにいたのだ。

演奏者がどんな演奏がいいですか?と羽鳥氏に聞いたんだと思う。

羽鳥氏は、「わたしは、ピーターさんの演奏は、軽やかだと思うのです」。と答えた。

かのピーターさんは両手を広げ「ブラボー」と叫んだ。

その時の、僕の気分は「バッハが軽やか?嘘だろー」と内心、心配した。

しかし、羽鳥氏のおっしゃる通りであった。

 

録音技師、「それは演奏者に伝えなければならない。演奏がダメなら今日は中止にした方が良い」と、羽鳥氏に伝える。一同青くなった。

録音技師、羽鳥氏、社長、通訳そろって、ドアを開け、憔悴しきっているように見えた演奏者のところに行き、話し合っている。マイクオフにしているので、内容は解らない。

しばらくして帰ってきた録音技師が、

「演奏者は自分で良いか悪いかは判定して、自分で決定している」という、やさしい返事。一同安心して微笑んでいる。

羽鳥氏が一番落ち着いたことだろう。

この体力は超人的だと、社長述べる。憔悴していると思ったのは、やはり、そう思う環境であったからだ。

 

録音再開する。いまだ5分も休んでいない。

4曲目何番だかは定かではない、最後に5番、その前が3番それだけは覚えている。

12時ごろであったか。

一曲に平均15,6回は録音している。初めから通しであったり、何小節めであったり、特に初めの4小節は、大切だとしてどれも何回も録音した。

失敗すると、大きく唸ったり、人差し指を顔の前に立ててもう一回を繰り返した。

弓を持つ右手より弦を押さえる左手が疲れるようで、左腕を肩から回して緊張をほぐしている。

左手の弦を押える力に強度がいるのだろう、しかし、弦を叩く音は気にはならない。

コントロームルームは、私語もなく静かに聞き入っている。

時折、長老が指示したり、通訳のテイク何という言葉が、聞こえるだけだ。

静かな僕たちを見て、「眠れているかい?」「皆眠ってもいいよ」とスピーカーから聞こえる。

演奏者の実音ではなく、部屋に作りつけている大きなスピーカーから聞いているのである。演奏が気に入ると、「イエスー」と叫ぶ、そして立ち上り終わりのお辞儀をする。

気に入らないと、何小節目から始めると言い、引き始める。

僕たちは、演奏者を見続け、毎日このように意識的に練習し、う―だ、あーだ唸りながら、引き続ける演奏者と対峙している。

部屋の中では、感動したも良いも悪いも誰の口からも出ない。

ただただ、聞き耳を立てて、見続けている。

時折、若い通訳が、小さな声でベリーグッドと元気づけている。

 

「5分程休む」と言って、中止して入ってきた。

表情は、きょろきょろした落ち着きのない視線である。が、

疲れているようにも見えない。

中井久夫が「分裂病と人類」でのべている。

16世紀のヨーロッパの農村荒廃は、我が国よりも広範囲で激烈なものであった。

これに対するルネサンス宮廷は、幻想的な解決方法で、全くの失敗に終わった。

この失敗の責任転嫁が「魔女狩り」の原因であるだろう。

そして、この完全な手詰まりを救ったのが、

オランダの「インターナショナル・カルヴイニズム」の

「魂が究極に救われるか否かは人間のはからいを超えたものであり、ひとは神から与えられた現世の天職にいそしむべきである」という思想とともに

重商主義と干拓技術と勤勉清潔の日常倫理で生きることであった。

オランダの干拓事業を見たゲーテは、「瞬間よ止まれ、お前は美しい」と賛辞をあたえたほどである。

中井は、農耕民は、執着気質的職業倫理を持ち、狩猟採集民的分裂気質者を執着気質者に仕立て直すという。

狩猟採集民は、三日前に通ったカモシカの足跡を乾いた石の上に認知し、かすかな草の乱れや風の運ぶかすかな香りから、狩りの対象の存在を認知する。

微妙な気配や変化・兆候に非常によく反応し、起こるべきことを常に先取りする。

強迫気質・執着気質・粘着気質の農耕社会の文明の中にあっても、
シャーマン・預言者・王・学者・芸術家として未来を先取りし、革命的指導者となることがある。と述べる。

農耕民は出来上がった物の維持、修復、改革は得意だが、

狩猟採集民はそのシステムの変革が行える。しかし、

狩猟採集民は社会的管理や支配が存在せず、対人不和が生じれば逃げるだけであり、その為ストレスに弱く、失敗に学ばない、毎回同じ過ちを繰り返す。

「人類が強迫的産業社会に不適合な分裂型親和気質者を、抱え込んでいるのは、わざわいではなく、逆に希望なのである」と述べている。

長々と引用してしまったが、演奏者がきょろきょろしている視線を考えるに、実はきょろきょろではなく、狩猟者の視線かもしれないと、思ったからである。

思っただけで本当かどうか解った物ではないが。

中井は続けて「エチオピアは、もっとも非強迫的、非執着的な社会である。

宮廷の女官たちは、テーブルに平行に、あるいは直角に食器を並べられない。

そろえられないのだ。日本から手伝いに行った人たちは、彼女たちは知能が低いと判断した。しかし、その他の文化を検討してみると、エチオピアではそのような並行に並べる強迫、執着に価値を置いていないことが分かった。

彼らは、一瞥にして相手の信頼性を正確に把握できる比類ない直観力を持ち、

技術の一身具現性の卓越がみられる。

今の狩猟採集気質者にとって最もくつろぎを感じうる社会ではあるまいか?」と述べる。

 

休憩中、パソコン画面の前に座るお兄ちゃん、隣の譜面とにらめっこしている師匠に、この調子で、一本にまとまりますか?と、不安げに聞いている。

うとうとしているのは、眠ってはいなかったのだ。

師匠、「大丈夫まとまる」白髪の譜面師自信ありげに、ちらっと後ろにいる僕と目を合わせて言う。

一回づつの演奏が、同じ曲の中でも変化しているから、その部分を足し合わせても物になるということだ。

 

通訳に、この若き音楽の感想を、伝えてもらいたいと思った。だが、このメンバーの中では最も音楽業界から遠く隔たっており、音楽は好きではあっても、ただそれだけの素人なので、ついに声をかけれなかった。

頑固バッハおじさんだと思っていたが、あなたの演奏で、みずみずしく、若々しいバッハお兄さんが現れた。と。

この変化は大変なもので、かつて、グレン・グールドが、ゴールドベルク変奏曲を、情感豊かに演奏して一世風靡した現象を思い起こしたのだ。


プレリュード何番をその曲だけ聞いてもいいのである。

またこの「東京プレリュード」が済めば、「東京サラバンド」と続けてもいいかもしれない。

演奏者は、今日は2時までかかる、と予言していたようであるが、深夜2時10分に終了した。(乗っている時は、そういうことが見えることもある)

皆で暖かい拍手で迎えて終わった。

その時になって、目のまわりは疲弊を表し黒ずみ、しかし、

変わらず我々に愛想を振りまいて、手を振って通訳と共に帰って行った。

僕たちが、引き上げたのは3時になっていた。

 

日本でも、縄文時代人は、11世紀まで、縄文社会、狩猟採集社会としてあった。

なにも、終わった過去のことではない。遺伝子として狩猟採集民としても顕在である。

そして、その者たちは社会不適合に苦しんでいる。

赤坂憲雄は現代も縄文は東北に続いていると言う。

と言うのも[ピーター・ウィスペルウェイ]さんは、そういう仲間ではないか、という感触があったからである。

視線の動き、落ち着かない感じは環境へのチェックを、つねに行っているからだろう。

仕留めなければならない獲物と、攻撃されるかもしれない不安との戦い。

強迫農耕民の執拗な同化抑圧と差別、

フロイトの言う「文化にひそむ不快なもの」との対決。

オランダが特に、完成された農耕社会を築いたなら、迫害も強かっただろう。

その上、今まで誰も演奏したことのない無伴奏チェロ組曲を作った。

並はずれた才能だと思えるのに、そう思わせないほど自然に引ききった。

 

音楽は、最高潮に達すると、音が消えて、作曲家がその場にたたずみ、作曲家の魂と言えるものだけが、現れてくる瞬間がある。

録音スタジオでは、繰り返し同じ曲を演奏し、それでも常にバッハお兄さんと言う感触を得られるのであるから、演奏会場で、一発必中の演奏がなされれば、ピーター・ウイスペルウェイの魂と、バッハの魂が一体となって、音からも離れた、聴衆、演奏者、作曲家が浮遊する至福の時間が現れるだろう。

僕はといえば、夜に弱いと自覚している割には、終わらないで欲しいと、朝まででもこの演奏が続いて欲しいと願っていただけであった。

 

2011年 11月18日

 

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