成人の思想
小津安二郎の映画は、観客に向かって台詞をしゃべる。
父と子が会話をしている時、父が子に話す場面では真正面からカメラが撮り、子が話す時も、正面からカメラで撮る。カメラが我々観客の位置にある。
これは、観客を、話者の言葉を聞く者と監督が設定しているからである。
他人に向かってしゃべっているなら、聞き逃すこともあるが、自分に向かって話しているなら、襟を正して聞くというものだ。
白黒の映画、長屋紳士録、父ありき、一人息子、晩春、風の中のめんどり、東京物語、麦秋は、その映像のテーマとなる言説を、主役や登場人物が正面の観客に向かって語り始める。
例えば晩春の
「そうじゃあないよ、今お父さんと一緒で幸せかもしれないけれど、
お父さんもいつまでも生きているわけではない。
結婚して、初めは幸せではないかもしれない。初めから幸せと思う方が間違っている。
幸せは二人で作っていくんだよ。
初めは苦しいかもしれない、お母さんも台所で泣いていたのは、お父さんも知っておる。お前たち二人で、幸せは作っていくんだよ。
それに、おまえなら幸せになれるよ。わかったね?わかっただろ?
そうだよ。それでいいんだよ。」と、僕たちに結婚の意味を語る。
娘は、わかりました。
「おとうさんはどうするのですか?あの方と結婚するのですか?」と父親に問う。父はうなずく。本当にするんですね?となお問いただすと、また、うなずく。
娘は、父親の再婚を汚らしいと思うが、
自分が離れても父親の面倒を見る人がいるのならと
誰とも知れない者との結婚を承諾する。
結婚式の後、娘の友達と語らう父親、
お父さんは再婚するのですか?と問われて、
父親首を横に振る、え!しないのですか?とただすと、
一世一代のうそをついたよ。と父、顔を赤らめて言う。
「そうでも言わないと娘は結婚しないだろうから」
感心する娘の友達は、
「さびしくなるわねー」
父親
「いやーなれるよ。なれるさ。君も遊びに来ておくれよ」と乞う。
風の中のめんどりでは、
「おくさんが、君が戦地から帰らないので、
子供の病気の入院の費用を、一夜の身売りでこさえたからって、文句は言えないよ。
そりゃ、君の気持はよくわかるよ、
だけど、感情は意思の力で抑えないといけないんのだよ、
君もつらいだろうけれど、おくさんだって苦しんでいるよ。わかるだろ。」と、
観客におとなの作法を伝える。
それが決して聞きづらいものでなく、素直に聞けるのはそれまでの映画作りに、リアリティーと、様式の美しさと、映像から現れる他者へのいつくしみと、つねに観客に向かって語り続けているからだろう。
溝口健二の初期の映像にも社会性の強いものがあるが、それは観念が先に立って見ずらいものがある。
小津安二郎は、幸せの方程式を生涯追求した人である。
映画ごとに、成熟しておとなになって、幸せになって欲しいと繰り返す。
その表現方法として、観客に正面向いて話しかけるのである。
東京物語では、
尾道の母親の葬儀の日に、形見にあれも欲しい、これも欲しいと言う東京から来た長女を、
「いやよ!あの席であんなこと言うなんて」と憤慨する末っ子に
「長い間離れて生活すると、仕様がないのよ、あちらの生活が本当で、そういう考えになってしまうものよ」と、戦死した次男の嫁の紀子が言う、
「お姉さんもそうなの?」と問うと「そうよ、そうなるのよ」
8年間亡き夫の写真と共に暮らしてきた紀子が答える。
「そんなの嫌よ、わたしは絶対そういうふうにはならない!」と末っ子の憤慨おさまらない。
紀子に義父は
「結婚してもいいんだよ、その方がおとうさんも安心だ。
そして幸せになっておくれ。
おかあさんが誉めていたよ、東京に行ってもあんたが一番良くしてくれた、感謝してるよ。おかあさんのかわりに、ありがとうと言うよ、ありがとう。」と言う父に、
「わたしは、正二さんのことを一日中思っていられなくなりました。
そんなに偉くありません。ともすれば、一人がさみしくてしようがないことがあります。」と泣き崩れる。
「いいや、偉いよ、それにそんなに正直なのだから。しょうがないんだよ」と、
母親の時計を形見分けに渡す。
幸せ、幸せと今では空虚な言葉になってしまった感があるが、大衆の幸せをこれほど祈った監督は、いまだ見ることはない。
小津の映画を見て、映画を志したものが多いと聞く。
映像の性格上西洋では認められないと海外に出品することの少なかった小津の作品は、
予期に反して、海外から日本の監督の評価の上位をしめている。
何年か前に、世界中の映画監督3百名程に、最も優れた作品の投票があった。
小津の東京物語が一番投票が多かったと新聞に出ていた。この時代は、世界中で田舎から都会へ若者が移住した時代だ。そのため、田舎の家族や両親との関係の変化、都会の生活を描いた小津の物語が、心を打ったのだと思う。
何年か前に、世界中の映画監督3百名程に、最も優れた作品の投票があった。
小津の東京物語が一番投票が多かったと新聞に出ていた。この時代は、世界中で田舎から都会へ若者が移住した時代だ。そのため、田舎の家族や両親との関係の変化、都会の生活を描いた小津の物語が、心を打ったのだと思う。
おとなへの移行と成熟をうながす小津の文法が、世界で通用したということだ。
長屋紳士録では、
隣の絵かきがひろってきた子供を、「一晩とめてやっておくれよ」と、無理やり預けられた独り暮らしのかあやん「世の中世知辛くなったよ、自分の子供も捨てるんだから、昔はそうじゃ無かったよ」と、終戦後の社会状態を言う。
寝小便をする子どもと暮らして、服などを買ってやることとなる。
数日後、子供の父親が訪ねてきた。
「色々探して、前の住まいでここで預かってもらっていることを聞いてきました。有難うございます。九段ではぐれて今日までほうぼう探しました」
芋の土産を「こんなものですけれど」と
子供の頭をなでながら見つけた喜びがあふれている。
かあやんは「ぼうや、よかったねー。おとっつゃんが見つかって」と、二人を見送る。
見ていた長屋の者たち、「かあやん、よかったね、せいせいしただろ」
かあやん、突っ伏して泣いている。
「おいおい、どうした、あんなに嫌がっていたじゃないか、それとも、情がうつったかい?」
かあやん
「そうじゃないんだよ、よかったんだよ。感じのよい父親なんだよ、お土産なんか持ってきてさ、探し回ったんだと。
ぼうやが幸せになると思うと、泣けるんだよ、うれしくってさ。」
「世の中が世知辛くなったんじゃあないよ、わたしらが昔のようじゃあなくなってしまったんだよ。変わってしまったんだよ。戦前はもっと良かったよ。もっと気が効いていたよ」と正面を向いて話す。
父ありきでは、
父、息子二人暮らしだったせがれは、帝大を卒業して、青森の高校の教師をしている。
父親は東京で、教師を止めてサラリーマン勤めである。
「おとうさん。青森から東京に移って、おとうさんといっしょに住みたいんです。いつもそのことばかり考えていたんですが、どうでしょう?」と父に聞く。
「それはだめだよ、やっと教師の職を得て、子供たちの将来をお前に託しているのだから、責任は重いよ。子供たちの両親もお前に子供を預けているんだ。立派な仕事じゃあないか、それを、止めるのはいかんよ、おとうさんは志半ばで止めてしまったが、どうかお前は続けておくれ。」と、観客に向かって、教師の志の高さを説明する。
父親と二人で暮らしたい最後の世代だろう。
父親との温泉旅行がなによりも幸せそうである。
一人息子では、
長野の寒村で、成績の良い子の寡婦。お前は偉くなるんだと、田畑、住まいを手放してこどもを大学にやる。
大学を卒業して務めが決まり一年程経った頃、母親は子供に知らせずに会いに行く。
「よく来てくれましたねー。疲れたでしょう」
「びっくりしちゃあいけませんよ」と言って。嫁を紹介する。
その横には、すやすやと赤ん坊が眠っている。
せがれは、もっと落ち着いて何でもやってあげられるようになって、母親を呼びたかった。日ごとの生活費も欠かすありさまでは母親に来てもらいたくなかった。
夜間学校の同僚の先生に借金し、妻の着物を売って、母親と東京見物した。
そして、
「おかあさん、僕は東京に来たくはなかったんです。田舎にいたかったんです。東京では、人が多すぎて、偉くなる余地はありません。こんな姿を見せたくはなかったのですが、仕様がないんです。」母親の期待の大きさを案じて、言ってしまう。
「おかあさんは、今は土地もなく家も売ってしまって会社の寮住まいだ。それもみんなお前に偉くなってもらいたいからだ。だから、そんなことを言わないでおくれ、まだまだえらくなれるよ、大丈夫だよ」と涙ぐむ。
隣家の子供が、大けがをして入院する。子一人母一人の家。
せがれは、その子を病院に連れて行き、最後のなけなしのお札を「これで」とわたす。
それを見ていた母親は、
「良いものを見せてもらったよ。これで安心して帰れるよ」とせがれに言う。
せがれは、初めから最後まで笑顔を絶やさない。
嫁は、「おかあさん、わたしを気にいってもらえたでしょうか?」と気に病む。
貧乏だけれど、決して悲観しているわけではない。
母親に精いっぱいのことをしたくて、苦しんだのである。
小津の映画に出てくる子供たちは、総じて生意気、わんぱく、減らず口、怒りんぼである、それをいさめようとして怒鳴る父親は、ダメだよ、怒ったら可哀そうだよと、反対にいさめられる。
「子どもはあのくらい元気が良いよ」と誰もが口にする。
麦秋の二人の子供たちも、言うことを聞かない。
「だめね、いさむちゃんは!」と、お母さんは言うだけでそれ以上追及しない。
子供二人が家出から帰ってきても、叱責している節がない。
子供に、大人になりなさい、と言うことがない。
それでいいのであろう。
今では、子供の社会性を植え付けないといけない、とか、しつけを厳しくするとか、
親が子供に、早く大人になりなさいと、強要する。
子供の時は、子供でいいのである。
時がたてば、その時に成熟しなければならない。
教育にしても、才能があればおのずから芽が出るだろう。それから援助すればいい。
かえって才能などない方が平和に暮らせるということもある。
やらなくっちゃあ生きていけない程になってでいいかもしれない。
いやいやピアノの前に座らせることはない。
麦秋では、主人公が親の進める相手ではない子持ちの男と結婚することになる。
両親兄弟こぞって、可哀そうだと思いやる。
「結婚というのは普通の人たちが、別に「赤い糸」で結ばれていなくても、卓越した人間的資質がなくても、生涯変わらぬ激しい愛情なんかなくても、そこそこ幸せに過ごせるようなシステムとして設計されている。」
「だれと結婚したってそこそこ幸せになれる能力」が必要だと小津に影響された内田樹は述べる。
「あらゆる結婚は失敗だったと思う時があるものだ」
しかし「結婚が必要とするのは、相手と共生する力である。
よく理解もできないし、共感も出来ない相手と、それにもかかわらず生活を共にし、
支えあい、慰めあうことができる、
その能力は人間が共同体を営んでゆく時の基礎的な能力に通じている」
「このもっとも大切な能力を開発するうえで、
結婚というのはきわめてすぐれた制度である」と言う。
「あらゆる人間のあらゆる行動は、
「主観的には首尾一貫したロジック」によって貫かれている。
配偶者のうちなるこの「ロジック」をおのれの全知全能を尽くして見いだそうという努力が結婚生活において最優先の仕事である」
「この能力の開発は、結婚生活を支援するにとどまらず、
一見するとランダムに生起する事象の背後に反復する定常的な「パターン」の発見という、知性のもっとも始源的な形式であるということを知らせる」
内田せんせい、冴えわたっている。
相手が常々起こす嫌な行動には、必ず相手の考えが潜んでいる。それを発見し認めることが、夫婦の和合に結びつくと言っている。それを目いっぱい考えろと教える。
小津安二郎のファンである内田せんせいの結婚語録である。
内田先生、神について
「人間が人間に対して犯した罪は人間によってしか贖うことはできない。それは神の仕事ではなく、人間のはたすべき仕事である。
「私たちだけの力ではこの世界を公正で慈愛に満ちたものにすることはできません。
神さま、なんとかしてください。」
このように泣訴する幼児的な人間を神がわざわざ創造することがありえようか。
神がその名にふさわしい威徳と全能を備えたものであるならば、
神は必ずや神の支援抜きでこの地上に正義と、慈愛の世界を作りだすことのできる人間を創造されたはずである。
だから、成人の信仰は、神が世界を負託できるものたることを自らの責務として引き受ける人間の出現によって証されるのである。」
内田先生が引用したユダヤ人のレヴイナスのこの考えによって、
ナチの迫害でユダヤ教から離教する者が、
もう一度ユダヤ教の教えにもどされた。
世界を良くするためには何をなすべきなのか、
「神はわたしたちを見捨てたのではない。むしろ神は私たちを信じたのだ」
神に頼るのではなく、
自分たち人間が、成人として成し遂げなければならない。
その為には、小津が映像に残したように
大人となり、成人として成熟しなければならない。
近藤蔵人
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