2017年11月19日日曜日

ハグとなぐさめ

「ハグとなぐさめ」

 



無著と世親 運慶作 鎌倉時代 興福寺 

 

 

映画「マンチェスター、バイ、ザ、シー」には、ハグの場面が数十回出てくる。欧米の映画ではハグは普通に行われるが、この映画の回数は飛びぬけて多い。

主人公の兄のお葬式に慰問客が来たときと帰るときに、肩をたたきながら頬を近寄せてハグをする。また兄弟や友人たちが会うたびにハグをし頬にキスをする。親子でも夫婦でも、子供たちへもハグをする。

主人公の不始末によって、4人の子供たちが焼死してしまうこころが壊れた主人公の物語であるから、挨拶や、なぐさめや、抱擁によって、人とのつながりを描くハグは必要な行為だろう。ハグしようとしても出来なくて腕をさすったり、肩に手を当てたりするシーも何度かある。死ぬに死ねなくて、かたくなに心を閉ざした主人公を演じた俳優は、アカデミー主演男優賞をとる。

見ていて違和感がないのは、彼の演技が自然であることと、日本人の現代の生き方と、そう隔たっていない感じがするからだ。

我々は、主人公のようにかたくなになってしまった。にこやかで気持ちよく生きている人を見ることは少ない。

主人公は、泥酔して暖炉の薪から家を燃やし、4人の子供たちを死なせる。奥方は、狂ったように荒れ、彼をののしり、暴れ、挙句に離婚する。映画の冒頭、兄の子供に冗談を言って舟遊びをするシーンが写される。家に帰ると4人の子供たちを一人ずつ抱きかかえ、子煩悩、子供好きな主人公を丁寧に説明している。

主人公は、再婚した奥方にうまく顔合わせが出来ない。兄の葬式で二人はぎこちないハグをするが、主人公の目は泳いでいる。

しばらくして、主人公と元奥方が道で行きあう。

奥方が泣き崩れて、私は壊れてしまったの、あなたにひどいことを言った私を許して、あなたを愛してると彼の腕に手を寄せる。奥方は再生したが彼はいまだ生きていない。彼は、いやーとかそうではないとか、罪の意識が消えるわけではない。それでも、そういってもらえると嬉しいと彼女に告げる。奥方は、こんなに苦しそうでと何とかなぐさめたかったのだ。しかし、ハグをする雰囲気にはならない。

兄がなくなって、可愛がった16歳の男の子の面倒を見ることになる。人と接触したくない主人公だが、敬愛していた兄のことを考えると、少年を学校に送り迎えしたり、少年の若いセックス友達のもとに車で送って行ったりする。ここで、主人公の生きていない人生と、少年の気ままに生きている人生の対比が行われ、魅力的な少年に引っ張られて、主人公は徐々に生き始める。

ざっとこのようなストーリーのこれほど暗い映画がアカデミー賞の候補になった。この映画では、なぐさめなんてとんでもない、そんなもので自分は許されるはずがない、それでも、不自然なハグをされ、体に慰めのタッチを受け、少年との接触によって、なぐさめを得て、再生される。

我々には、なぐさめられたと感じないなぐさめが必要なのだろう。

 

かつて、書いたことがあるが、移民社会は、仲間の識別のために、握手から、ハグ、頬へのキスが行われる,母子の愛情表現を大人になっても続けていると信じる。

エレベーターで同乗者に挨拶をするアメリカ人と知らんふりをする日本人。アメリカ人は、敵か味方か判断しなければならないが、我々は、他の人を敵と想像することはない。

日本社会は、聖徳太子の時代では、縄文人が先に来て、台湾などの南から来た人々、中国揚子江近辺からの海洋民、韓国から、また、モンゴル方面からと移民社会であっただろう。そのため、太子は「和を持って」といさめたが、その後、千数百年を経、同一民族と勘違いするほど落ち着いてくると、言わぬが仏とか、くちは災いの元、減らず口をたたくなとか、4の5の言うなとか、話さなくても通じる社会を目指してきたように思える。

思いやりという言葉がそれを表している。日本人は、握手やハグの代わりに、思いやりでコミュニケーションを果たしてきた。悲しいことがあっても、抱いてなぐさめることはまれで、そばで、思いやりに満ちた表情をすることで相手を慰める。同一の価値観で生きてきたこれまでの社会では、それで十分だったかもしれない。
写真の右側の世親の表情は悲しさを感じた思いやりに満ちている。人々は仏像を見て手を合わせなぐさめられる。

日本では、刀狩がおこなわれ廃刀令が明治に施行されて、民衆は自分を守るための武器を持たなくなった。かたや、アメリカでは、これほどたびたび銃乱射事件が起きても、自己防衛のための銃は規制されない。これは、移民社会であることによって、他者と仲間の識別、他者からの自己防御を常に必要とする社会であるからだ。

日本でも今や状況が変化して、個人主義としてコミュティーに価値を置かない者が一般的になると、思いやりは言葉にしないでは解らないと言い募るようになっている。そのため孤独がいや増してきていると感じる。仏像に手を合わせてなぐさめを得ることはない。苦しみの対処法がない時代になっている。

そういう中で、彼らのハグを見ると羨ましくなることがある。悲しめば声をかけて抱いてあげ、苦しそうにしていれば静かにハグをする。我々は、1メートルほど他人が近づけば違和感があるが、彼らは、頬と頬を合わせ、キスまでする。子供のころの母親への接触と同じことを、大人になってもやっている。時には、知らない人が悲しんでいたらハグすることがある。仲間と感じたら、子供から大人になっても体を付けて抱き合うのだ。悲しんでいる人は、抱かれることで、なぐさめられ幾らか悲しみが薄れるのだろう。

友人が亡くなるとき、僕にはなぐさめられなかったという悔みが付いて回った。欧米人ならハグして相手と同化しただろう。死の床で手を握ることしかできなかった。

日本人は、気づかいをする。アメリカへ行った友人は、言うべきことを言えば、後は気づかいしないから楽だ、と言っていた。

論理的に生きている西洋人は、ハグをして子供時代のように他人と接触しなぐさめあう、情念を優先する日本人は、大人として気づかいで他人と付き合う。我々は、甘えをゆるされず大人になることを強制されるのだ。

伝統的な習慣がどうしてこうなったかは理解できないが、今は、気づかいで疲れ果てて、出来るだけ人と接触しない生き方になっているように思う。

 

鎌倉時代、世は荒れ、いたるところで諍いがあった。それまで仏教は、宮廷人、武士等上級者への宗教であったが、庶民の苦しみをなぐさめる宗教、救いをこの時代になって初めて考える人が現れ始めた。仏教が土着して根付居た時代といえるだろう。農業者、漁業者、徘徊者など市井の人々は、難行苦行によって救われることには無理がある。易業、たやすいつとめで救い、なぐさめが得られる宗教が必要だった。それが南無阿弥陀仏の親鸞であり南無妙法蓮華経の日蓮、武士たちの座禅の道元と鎌倉時代に、新しい仏教が始まった。

同じころ、運慶仏師は、無著と世親の仏像を彫っている。貼り付けているのでよく見ていただきたい。

無著は世の闇を凝視し、苦しみを秘めた表情をしている。世親はそのような人々に慰めの視線を送る。日本屈指のこの彫刻は、人の非情を見つめ、人の悲しみをやさしく解きほぐそうとする。興福寺では無著世親は兄弟として左右に置かれている。非情となぐさめ、現実認識と仏教によるなぐさめを一体づつ、運慶は渾身の作として作った。

当時子を死なせた人びとはあまたあっただろう。
江戸時代の良寛は子を亡くした親のこころに代わりて読めると、何篇もの歌を作った。
その一篇。「かしのみの唯一人子に捨てられてわが身ばかりとなりにしものを」

わが身ばかりとなったその現実認識を無著がなし、良寛が亡き子を追悼して歌ったように、罪の許しとなぐさめは世親があたる。宗教が人々に必要な時代があり、宗教になぐさめられる人びとがいた。

だが、この映画にはキリストは出てこない、この映画には宗教性が皆無だった。

現代は、宗教で救われたり癒されたりなぐさめられることがない。

 

鎌倉時代の親鸞さんがすごいところは、僕たちが持っていて変えることの出来ない、欲望とか、ねたみ、恨み、意地の悪さなどの煩悩を、自分の意志・自力で直そうとすることはない、と言ってしまう所だ。それらを克服しようと、座禅を組んだり難行苦行をするお坊さんはあまたいても、悟りと言う境地までたどり着くことは、親鸞は無理だときっぱり答えた。

人には意志力があり、直そうとすることは出来ても、備わってしまったそれらの煩悩のほうが強固で、意志力では太刀打ちできないと、9歳から28歳まで比叡山延暦寺での苦行の末つかまえた信念だろう。

しかし、欲望や、悪事に忠実であれ、と言っているわけではない。

親鸞は、浄土教の教えにある一人ひとりを救うには限りがある、仏になって全員を救わなければ菩薩にはならないと誓ったその阿弥陀様に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えれば、阿弥陀様が救ってくれると、衆従に向かって布教した。

出来ない自力はあきらめ、阿弥陀様に頼る他力をすすめた。

現代人には、なにやら阿弥陀様も、経典もにわかに信じられない。実は、親鸞も信じているだけで、この世が地獄だから、裏切られても同じ地獄なら信じてもいいだろうと覚悟したと歎異抄で言っている。

親鸞の弟子である唯円が、親鸞の言葉を聞き書きした歎異抄に「阿弥陀さまのおはからいにおまかせして、自然のことわりにしたがって生きていますのならば、仏恩も知り、また師の恩も知るべきなり」と書かれている。

阿弥陀様のおはからいに任せておすがりする生き方は、悪事や煩悩を無化するところがある。悪事や煩悩と知りつつ行動しても南無阿弥陀仏と唱えると阿弥陀様が救ってくれる。

僕も、ある時一度だけ南無阿弥陀仏と、声に出さず口にしたことがある。不思議に口にしたことに驚き、そののちの、夜の静けさにふーむと相槌をうった。

そして、この文章の肝心なところは、自然のことわりに従って生きると書いているところである。仏教的に生きる、悪事も欲望も煩悩であると知ると同時に、自然の摂理に沿って生きると考えるなら、親鸞のいう宗教は、そんなに違和感なく身近なものと考えることが出来る。

人は、生来自分の自然に沿って生きている。
勝海舟の父親の小吉のように悪さを止められないエネルギー過多で生まれた人もいれば、とんまだとかうすのろと言われた良寛のようにのほほんとして生まれた人もいる。それぞれの自然があることに自分で知らなけなければならない。ちなみに僕は、軟弱気質で虚弱体質なので、悪人であることには違いないが、大した悪事は出来ない。
それでも親鸞は悪人の方が救われると言っている。善人は自力を捨てきれないが、悪人はそのまま他力になれる。

中井久夫先生が「無意識へと抑圧されたかっとうの解放は、神経症の治療と完全な成熟に達せしめる」と書いている。これは、例えば傷ついた場所にばんそうこうを張って直すようなものと考えていいと思う。生まれ持った煩悩ではなく、生まれ育てられる際に傷つき無意識に抑圧された心は、発見し納得しなければいつまでも繰り返すことになる。

親鸞の書いた「教行信証」には、生涯に南無弥陀仏と一回となえるだけでも良いと記されている。

 

親鸞の考えに親和性のある思想がある。エドモンド・バーグのとなえた保守主義という考え方だ。

人間は、道徳的にも認識的にも不完全にできている。社会も不完全な人間が作るものだから不完全にしかできない。歴史的に積み重ねられた伝統、慣習、常識などは、理性を超えて少しずつ変化しながら、成長したり衰退したりする。それを不完全な理性で、急きょ理想を作ることは出来ない。社会は一歩一歩変化するに任せるしかない。

親鸞の自力と他力思想とほとんど同じことを言っている。不完全なものはしようがない、そのままでいい。不完全な理性でなすことは自力ととらえやってはいけない。

 

要するに、橋本治氏が「人間はバカなのだから、自分のバカと共生して平和にいきるしかない」というのはその通りだと思う。ソクラテスが「わたしは知らないことを知っている」と言い、親鸞は「愛欲も煩悩も消し去ることは出来ない」と言う。

西洋人がロゴス(論理)を言葉にし、論理の苦手な日本人は情念を表す違いがある。

自分は不完全であることを認識し、徹底的に知ることが生きることで、南無阿弥陀仏と唱えられない我我は、ハグの習慣もなく、思いやりも通じにくくなっている。それでも、バカですいませんと気持ちよく生きたいと思う。そして、僕のことで言えば、一人歌を歌うことで自分をなぐさめている。センチメンタルこの上ないが、これが気持ちのいいものだ。

「ふしあわせというなのねこがいる。
いつもわたしのそばにぴったりよりそっている。

ふしあわせというなのねこがいる。
だからわたしはひとりぼっちじゃない。

このつぎはるがきたなら、むかえにくるといった。
あのひとのうそつき、もうはるなんてきやしない。

ふしあわせというなのねこがいる。
だからわたしは、ひとりぼっちじゃない。
                   寺山修二作

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