2016年10月4日火曜日

よもやま話(2)


 

来年4年生になったら、自転車に乗っていいんだって。

そうだよ。

じゃあ、おじいちゃんが自転車買ってあげるね。

たかいからサンタさんにお願いするよ。

サンタさんは、自転車作れないよ。自転車屋さんからどろぼうするの?

そうじゃあないよ!サンタさんは、魔法使いと同じだから、自転車を分身させて持ってきてくれるんだよ。

分身て?

自転車をコピーするんだよ。

そんなことができるんだ。と感心していると。

僕がどろぼうとか言ったものだから、

おじいちゃんは、何にも知らないんだから、と、冷たい目で見られた。

 

 

90才すぎても「まだ生きたい、死にたくない」と訴える人が多いと聞く。

苦労を重ね、楽しみを後回しにして、家族のために働き、夕餉の晩酌だけが楽しみの人生を過ごすと、それは、自分の人生を「生きてこなかった」からだと思うが、死にきれないのだと思う。渡辺京二が、人生は、煮えたぎった釜の淵で生活しているようなものだから、甲斐のある人生を送るべきでないか?と、何かに書いていた。歴史を見ていると、それぞれの人生は、平和な時は一時で、そういうものだと納得させられる。

気の合った親密な友人や知人とささやかなコミュニティーを作り、何か一生懸命になれるものがあればいいのだけれど。

 

 

 

国柄を最優先に考える人が何か変だなと思うのは、人間の研究をおろそかにしているからだと思う。だから、上目目線で人権なんか尊重していられないと言ってしまうのだ。

上目目線で話すことができるほど人間はえらくない。

イデオロギーを持つことも同じで、得体のしれない人類を、シンプルな考えでまとめ、他人にも強要することには無理がある。社会が徐々に変化することに任せるべきなのだろう。

ラッセルという哲学者が「若いころは数学をやり、中年になったら哲学をやり、老人になったら政治をやるのが正しい脳の使い方」と公言している。

 

 

 

人と付き合う時には、なめられるに限る。

すると相手は、本音を話してくれる。

孫が、おじいちゃんダジャレに命かけているでしょ?と言うので、

え!と恥ずかしそうにしていると、私はバレエだからと、なぐさめられる。おばあちゃんは家事に命をかけているし、ママは子育てに命をかけているし、弟はゲームに命をかけていると続けて話してくれる。
 

 

はなちゃんー、どうして奈良の仏像を見たくなったの?

春先に、「夏休み奈良に連れて行って」と言った孫に、奈良行の車の中で聞いてみた。

わたし、怒りんぼうだから、優しいお仏像の顔を見て、すこしでもやさしくなりたいの。

あまりにびっくりしたものだから、まだまだわがままで乱暴でもいいんだよ、というのを忘れてしまった。そういうことなら仏像を見てもらいたいのは、ばあちゃんとママだと思うんだけれど。

 

 

 

音楽を聴いていて、曲の出だしから悲しくて美しい調べが続くと、初めてでも感動するが、すぐにあきてしまう。

山登りをしているとして、遠くの景色や足元の花を見ながら、そんな風な何気ない曲想がしばらく続いていて、ふと、自分の孤独と、虚無を感じて立ちすくむ瞬間がある。視線は、宙を漂っている。しばらくして落ち着きをとりもどし、青い空や白い雲に気持ちが惹かれ、でこぼこの道を用心して歩きはじめる。ワンフレーズで表されるその瞬間、そんな風な曲が好きかもしれない。

 

 

2016年9月29日木曜日

お知らせ


 

 

来月10月15日(土)、16日(日)午後1時から8時まで。

光のページェントいせさき「燈華会」にあわせて、

赤石学舎ホールにて、近藤蔵人絵画展を行います。

「花のことば」として、孫娘の俳句に合わせての俳画や、

孫娘を描いたパステル画、鉛筆画などを展示いたします。

燈華会ではその他いろいろなイベントがありますので、

お立ち寄り、ご高覧いただければさいわいであります。

              近藤蔵人

2016年9月5日月曜日

よもやま話


よもやま話、3話。

 



 1


友人の亡くなった犬が、僕のふくろはぎにからだをこすりつけたことは、先の「怪談」に書いているが、夏の終わりを迎えてその続きの「さまよえる霊」を書いてみます。


友人と彼の子息が、新潟の山奥の渓流釣りに愛犬を連れて行った。いつもは彼らのそばを離れず遊び回っている犬が、帰るころには見当たらず、呼び続けても姿を見せない。小一時間歩いたところに止めた車の方に行ったのかも知れないと、帰りを急いだ友人が、子息に言い聞かせ、車まで戻ったが、やはり犬はいなかった。友人は、しようがないと置き去りにして、高速道路を運転して帰ったそうです。子息はその間も「もっと探そうよ」と泣き止まなかったと言います。その一年後、初めに書いたように、伊勢崎の彼の家で犬の体が僕に接触してきたのです。その時、犬が体を擦りつけてきたと話すと、友人も彼の家族も、怖いと思わない何かが家の中をこつこつと歩いていると僕に話します。

友人家族は、富を与える座敷童だと思うと言っていますが(確かに富は得ていますが)、これからの話で、その愛犬ではないかとあなたも思えるのではないでしょうか?

彼は、その後海釣りにはまり、クルーザーを購入した。初出船で粟島の夜釣りをしたが、電気系統の故障で運航できなくなり、真夜中、他船にえい航してもらって港に帰りました。その時僕も同船していた。後日、新潟のクルーザー係留港に朝早く到着したら、クルーザーのマストだけが海から出ていた。船底から水が入り水没していたのです。また、村上沖を航海中、漁網を引っ掛けて、仙台海上保安庁に調停に出向き、漁師に多大な費用を払ったと聞きました。その船は、やむなく係留地に買ってもらったそうです。

それでも船をあきらめず、数年後、相模川下流にあるヨットハーバーの持ち主と飛行機で乗り合わせ、伊豆では伊勢海老が夜中堤防で釣れると聞いて、先の船より大きなクルーザーを手に入れました。装備を付け直し、初めての出船で、熱海沖航行中、流木に乗り上げスクリュウが破壊され、片方のスクリュウで蛇行運転しながら帰ったそうです。修理してしばらくして、またもやエンジンの不具合が見つかり長い修理期間と費用をついやした。修理期間中に係留していた船のキャビンのドアを壊され、高価な釣り道具などの盗難にあったこともありました。

なぜか、釣りのたびに不運が訪れると感じます。

その間、奥さんをがんで亡くし、娘さんのご主人を亡くし、友人自身も、あと半年の命と医者に宣告され、僕は、つい、お祓いしたほうがいいんじゃあないのと忠告した。その時点では、亡くなった犬が、山に置き去りにされていたことに関係があるとは考えつかなかった。

犬を飼えば解りますが、飼い主を始終見つめて、事あれば遊んでもらおうと待ち構えています。離れる時は寂しそうにどこに行くの!連れて行って!と言うように吠える。住み慣れた場所では、帰りを待ち焦がれてうずくまっていますが、帰りを出迎える時の喜びようはこちらが押されて倒れそうです。彼の犬は、初めての不安な山に主人と会えなくて、泣いていたでしょう?その泣き声はママ!ママ!どこにいるの!と泣きじゃくっている子供のようでしょう。僕は、主人を探し続けて、ペットの為食物を取ることもできず餓死したのではないかと思っています。成仏できなかった犬がさまよって、遊んでいるご主人のもとに、自分の存在を知らしめているのではないかという思いを消すことができません。

今では、書き記したり、話したりして欲しくて、僕のふくろはぎに接触してきたと思っています。

 
 かつての平将門や菅原道真の怨念を当時の人は身に染みて感じることができ、彼らの怨念の慰撫のため将門塚、道真には天満天神として敬うことが必要だったのでしょう。さまよう何者かは、誰かが、その話をしたほうが安心すると思います。
 

 

2

スーパーマリオになりたいと言う子供は可愛いいが、大人が、それも権力のある独裁願望な人がマリオになりたがるのは不気味に感じる。あの場面を見て、あまりのみにくさにチャンネルを変えた方がいたと聞くが、コマーシャルを演じた最初の首長として好意を持った方も多いと聞く。

原子アメーバーでさえも、捕食するものと、自分が捕食されるものとの区別が出来る。生存本能があれば当たり前なのだろう。

さて、本能が壊れたと言われる人類は、断崖絶壁へ向かう指導者を、それと区別できるだろうか?

世界は混とんとしていて、唖然とするしかないが、それをシンプルな物語で理解したいと思いたくなることは理解できる。だから神話も宗教も人類には必要なのだろう(1話も真実そうに書いたが、僕の思い込みの物語に違いない)。
世界を創造したという一神教の中から物理学者が当然のように出てくるし、医学者でも水中に一時間居られると言う尊師を崇拝する。どんなに学問を積んでも、時として反知性的な物語を信じてしまうことがある。
 

戦後、個人主義によって人心は荒廃したと思っている人々がいる。

戦前のように親に忠実な家父長制にあこがれる国民会議の人々は、人々に人権など与えるべきでないと言う。確かに、長年培われた大家族制度に利点も認められるが、人類が発見した理想、「平等と自由」は、求め続けなければならないと思う。親の言うことを黙って聞けとは、親が断崖に向かう事態もあることを忘れてはいけない。親の務めは、時期が来れば背中を押して、子供を一人立ちさせることに尽きると思う。子供を自分の思う通りにすることではない。

勉学に励み、頭の回転がよい大勢の知識人がそうした思想におちいり、複雑な世界認識をあきらめて、シンプルな解りの良い物語に居ついてしまうのは、知性と生き方は、脳細胞の位置が異なっているようで、簡単に分離するようだ。

そうした人々は、上目目線で、こうしろ、ああしろ、こうすべきだ、と話すが、人は、それほど高級な脳組織を持っていない。ただ、天皇の談話にもあったように、寄り添って生きるしか方法はないのではないかと思う。

たぶん、生命体はすべてわがままに生まれてくるのだ。自己保存と種の保存のためには、自分だけでも生き残りたいと行動するだろう。そののち、人は個人で生きているのでなく、社会生活が生存のために必要だと理解するから、思いやりも必要になってくる。馬齢を重ねても、自分の意向に従わない人々を責め、わがままであるのは(子供のままでいるのは)成熟が足らないということなのだろう。

生命体は、種ごとに一定の生き方をするが、その中の一生命は、それぞれが驚くほど違っている。リンゴの一個一個が違っていると認識しないと、平等と自由がわからない。平等と自由は、違っていることが普通で、自分の物語だけが常識と思わないところから始まる。

 

3

アメリカで、マッカシー旋風が吹き荒れたころのノンフィクション映画「グッドナイト、アンド、グッドラック」を見た。マッカシー上院議員が、米国民に共産主義への恐怖を植え付け、無差別に告発し、自由を奪った20年間の社会情勢のことだ。今では反知性主義とマッカシーを批判しているが、当時は、反論したものはすべて、お前は共産主義だと言われ、市民生活を閉ざされる人々があふれ、その恐怖で、密告するものまで現れ、まるで関東大震災時の朝鮮人虐殺、また、戦時の非国民騒動に似た状態が、アメリカでも行われていた。家族に一人でも、疑われる集会に参加したり寄付したものは、家族全員が共産主義と決め付けられ、反論の余地も、法律による救いもなく解雇され追放された。

マッカシーという2流の上院議員が、国務省にいるかくれ共産主義者200人のリストを持っていると発言したことからことが始まったそうですが、時のFBIのフーバー長官が、赤狩りとして取り締まりを強化したことも、長引いた要因です。

2005年俳優のジョージクルーニーが監督脚本主演のこの映画は、マッカシーの強権の中、CBSテレビのキャスターが、赤狩りの非道さを報道することから始まります。自由を守ることがメディアの務めだと、社内の反対を押してただ一人マッカシーの言説を批判、報道します。

告発したキャスターはマーローと言いますが、そののち、彼の理路整然とした報道により、議員などがマッカシーに反論する事態となって、すごすごとマッカサーは表舞台から降ります。それらの報道によってCBSはニュースのCBSと評価されました。広告主もCBSのトップも不安はあったでしょうが、マーローの人格と正義感に、報道を許したのです。

ジャーナリズムは、世を正常という位置に戻す使命があるのだとこの映画を見て思います。

 

怖い事態を3話書いてみましたが、夏の暑さがこの話で緩むわけはないですね。

 

 

2016年8月5日金曜日

海と絵の画像です。

今は、この絵は、玉村コーヒーハウス むじかさんに置かせてもらっています。
むじかさんのテレは0270-75-5080です。
美味しいモカに当たるといいですね。
口に含むと、やさしい酸味と目の前が開けるフルーティーな味わい、最後に甘みがスーと消えていく。
これって。コーヒーなの?と驚きます。



2016年7月30日土曜日

夏の光

海と絵と同じ時期に書いた文章、いろいろなところに書いたのでご存知の方もいるやも知れず、ちと恥ずかしいが、憂鬱を吹き飛ばすには、このぐらいがいいかも。
      
夏の光


ボードレールに「アデュー、ナントカカントカ(仏語です)」と書かれた心に残る詩文があった。

「さらば! つかのまのわれらが激しき夏の光よ」と訳されている。

これを我流で意訳すると、以下の通り。

 

我々の生における謳歌は、夏の光の元にあって、いまなお記憶に鮮烈に残っている。

夏の日の一日は生の充実にあふれていた。

その夏の日を、二度と味わうことは出来ないけれど、

夏になると、気持ちがたかぶり、うずうずとしてくる。

思い出さずにいられない夏。

 

そして、時が来て、惜別の歌・・・・。

夏が過ぎ中秋の名月あたりのひんやりとした風にあたると歌わざる得なくなる。

「さらば! つかのまのわれらが激しき夏の光よ」と。

 

馬齢を重ねると、その思い出こそ生きてきた証のように感じられる、

少年時代は黄金のように輝き、詩人が「激しき夏の光」と歌ったように、

人生の肯定、生きていて良かったと思える時間を持っていた。

いつか、自死を想像する事あっても、その瞬間を思い出す余裕があれば、止まれる事柄。

それらを含めて詩人は歌ったのだと思われる。

 

須磨海岸の海水浴、魚とり、

朝早く起きてかぶと虫、

井戸で冷やされたスイカ、山登り、

徳島吉野川の川遊び、

アユを追いかけ、震えが来ると水に冷えた頬を、焼けた岩に当てる。ゆっくり消えていく黒い水あと。

真っ青な空、輝く入道雲、すぐさま稲光、

土砂降りの雨、縁側から雨が跳ねる景色を飽かず眺める、

止むと見晴らすばかりの竹林ときらめく吉野川、貞光の町の後ろにそびえる青い山と、谷また山。

自然との感動的な邂逅だった。

毎日は過酷に過ぎて行き、叙情的であることは生活不適者となじられる

しかし、目鼻の達人のように生きずとも、時にはよいではないか。
僕たちは、パンのためだけに生きているのではない。

 

「青い太陽にささげられた水しぶきよ!白く輝いて飛翔せよ!」

 

生には、他者との付き合いで生まれる、喜びと苦しみ、

自然の中で生まれる感動と恍惚、
・・・その時、世界が僕の存在を祝福してくれている。

慈母のような自然と、厳父のような自然との邂逅。

他者からの苦しみは自然が癒し、自然からの苦しみは他者と分かち合う。

世界は、他者だけで成り立っているのではない。

自然がある。僕たちは自然から生まれたのだ。

女性的なるものは、14,5歳から発揮されて夏をこよなく愛することが出来なくなるのか?

だが、男性的なる幼児性は隠されていても生涯にわたって現れてくるものだ。

しらずしらずに、ひんやりとした季節を迎えると

なにやら心さびしくなるのは、
生にはあの激しい季節を包摂した経験があるからなのだ

そして惜別の名残を込めて

「さらば!つかのまのわれらが激しき夏の光よ!」

と歌ったのだ。

海と絵

参議院戦後、憂鬱な感覚で過ごしている。
先の不安を今に持つことはないかと、あらためている途中だが、
いきとし生けるもの、政治も経済も2次と思い定めて、今を生きている。
充実、甲斐を持っていたい。
そう考えると、そんな文章があったと思い出した。

「海と絵」

 

 絵を描くと言うことは、対象を見つめることである。

見える範囲のどんな些細なことでも見落とさない。

些細なこととは、明暗の差と、ライン・物の境界線のことである。

白紙の画面に向かって、物の輪郭を薄く間違いながらでも描いていく。

間違った線は、後で消せばよいのである。(実際には、グリッドをひいて描いていく)

この辺の作業は、シューマンでも聞きながら、大まかに勢いだけで描いている。

輪郭線を、間違って決めてしまうと、あと後まで響くので、書きなおしをしながら決めていく。(シューマンは、本当に日本人的だと思う)

 

 対象を眺めて、暗いところ、明るいところと対象の物の識別より、明暗のみの識別を、2B,3Bの鉛筆で薄く斜線で塗り分けていく。

次に4B,5Bと徐々に濃くしていく、この段階で、すこしずつ物の形態の把握に努めていく。一番明るい処と、くらい処を決めて、その間の明暗に沿って描く。

 画面に描かれるのは、広い海に出っ張る岩だけで出来た小島と、其れに打ち寄せる波、白波などである。

僕は、陸から突き出た高い岩山から、見降ろしている。

見降ろしている僕の存在がわかれば、よしとする。

ここから見ているのだなと、感じて欲しいのである。

 ここは佐渡の北にある、瀬波温泉から北北西の位置にある粟島。

住民は400人程で、自転車で一周出来るだけの小さな島である。

今は日本中が都会になっており、すべて、自分の思う通りになることを、良しとしている。しかし、孤島では、海の影響を考えないと生活できない。自然に沿って生活するその状態を田舎という。田舎というのは孤島にしか存在しない理由である。

ここでは、元寇と戦った松浦水軍、摂津で活躍した渡辺党の一族と、新潟本土からきた本保家などが漁師と、民宿を兼ねて営業している。

ほとんどすべての人々が、狩猟採集に従事しており、隼人の民、海人族から、平家、源氏の力の下で、水運・武士を兼ねた歴史に登場する人たちであり、海人族の末裔を感じさせる。

本土の日本人は、縄文も弥生も混血されて、それでも縄文顔には、時々お目にかかるが、粟島では、混血が少なく、縄文顔が多く見える。

縄文顔は西洋人風で、明治に発行された「越後風俗史」には、粟島では、男子は体格偉大強健にて容貌和順、女子は眉目清秀多しとある。要するに、美男、美女が多い。

この島の南西にある釜谷。ここで舟休みし、夕飯でも食べたかのような名称の村が、往きつけの村である。高台には、塩釜六所神社がある。

定宿のお神は、え!と言うほどの身目麗しき乙女であったが、年月がたつのは定めであるが、その兄が僕と同い年で、誇張しなくても鬼顔で、釣り師である。

「おら、いやだ!」と言ったら、梃子でも動かず、子供が居たら、飛んで行って、かまって遊んでいる。

彼のファンと、雉バトの声を持つお神のファンでこの宿はなりたっており、彼の如く、おらいやだの世界に浸りたくて、釣りに来るのである。

まさに、中井久夫氏述べるところの、狩猟採集民の世界である。

鬼顔の彼が、釣り道具は、リール、竿、道糸(リールに巻く糸)、ハリス(針をつける糸)、その間の重りだけで、簡素極まりなく、飾りっけなく、最もシンプルで、後に、古代釣りと命名するその釣り方を教わった師匠である。

その宿のお神の通い婚の主が、本来の釣りの師匠である。

彼いわく「鯛は一匹づつ個性がある」。

「針に付いた餌がっちょ(ヤドカリ)を、大鯛がくわえている、こちらはそれを引っ張っていて、手元に感じるんだ」と、鯛との格闘の瞬間を述べる。

「夕闇に隠れるまでの2.3時間が勝負だ」

 釣り時間になると、在郷者の僕らの姿など顧みず、猪の様に釣り場に向かう。まるで、何日も魚釣りをしない釣師の様に、切羽詰まって急いでいる。頭の中は狙う大鯛だけだ。

釣りを同行させていただいて、無様にも竿先が折れて釣りにならない時、師匠の釣っている後方で眺めていると、竿をゆっくりと上げ下げしている。餌のがっちょは、底付近で鯛の来るのを、じっと待たしている方法の釣りが本道だと思っていた(がっちょは飛び上がることはない)自分が、惨めになった。鯛は、動いている餌に、好奇心でよって来る。当たり前のことである。

魚は、流れの有る下流から、流れに逆らって登って移動する。餌は上流から流れてくるからだ。その時、匂いと、音と、視線によって餌と認定する。動かす方法さえマスターすれば、格段に魚が見つける確率が上がる。

 

 焦って餌を食う魚は、竿先が水中へ曲がる程、食って移動する。これは誰でも釣れる。

しかし、学習しているからか、慎重な魚の方が多いのだ。

小魚でさえ、えさの先を食っては反転することを繰り返すから、針に掛らない。

竿先が、10センチ、20センチと軽く沈んでも、すぐに起き上がるような当たりが続くと、小魚と思って間違いない。

竿先にコンコンと小さな当たりに、小魚と、大物のあたりが隠れている。

重りの負荷で、竿先は、すこし海側に曲がっている。それが常態である。

その竿先に1センチ程の変化がコンコンという当たりだ。竿とリールを握っている手元に伝わってくる。そのあたりで合わせても、魚の口に針がかかることは稀だ。

魚が、重りの下5センチ程のところにある針のついた餌を、前歯で食い直後、横に首を振り餌をはなす。または、餌の針以外のところを食っている、その状態がコンコンだ。

すぐ離すので針に掛りづらい。しかし、2度目か3度目のコンコンで、竿を大きく素早く起こして(それを合わせるというのだが)ためさなければならない。

食いの立っている日は、潮流の変化、水温、風向き、波頭の大きさ・荒さ、などで、刻々と変化する。潮目が流れていない時は、流れに乗って餌を探す習性の魚は、食い気が少なくなる。恒温動物でない魚の体温の変化も大切な要素だ。水温が上がると魚の体温が上がり、熱中症となり。水温が下がると、魚の血液の循環が悪くなり、どちらも食餌しない。

それらのととのった良い日が、大漁が期待できる魚の食餌する日だ。

そんな日に何回あたっただろうか?年数回の釣行では、めぐり合うことの方が難しい。

これらの変化の中、磯のある地点に魚が回遊、寄って来る場所がある。

魚の道があるのだ。

 まき餌を使わない僕の釣りでは、魚が食餌に来る場所の暗記(ポイントという)が、最も大切なことである。5時間寄ってこなくても、夕闇が迫ってきたころ合いには、来る確立が上がる。

その時間を目安に、絶えず竿の先に緊張感を持続する。

精神が切れたら、大物は釣れない。

先程の、コンコンで釣れない時には、その日は違う食べ方を魚がしているということだ。

食いのいい時には、コンコンのあと、大きく竿がしなって、海中まで竿が折れんがばかりにまがる。大きく合わせた竿に引っ張られて魚がこちらを向く。大物ならすぐに反転して、沖に向かって一直線に走りだす。鯛は短距離走者の鯛が多く、大きければ走ったまま、こちらも向かずに一直線だ。リールは鳴き続け、竿はのされて立てられず、挙句に、糸が切れて、竿の力がなくなる。1mもある真鯛だ。竿の号数を大きくし、糸を太くすれば持ちこたえられるが、それでは、興味がわかない。

細竿で、竿に会った細糸で釣ることこそ、魚に、敬意を表することなのである。

出来るだけ魚と対等でありたいのだ。その危うい瞬間が愉悦のもとなのだ。

 さあ、今日は食い気のない日である。

日中小魚が、うるさく餌にからみつく。釣っては逃がす。それらは、外道と言って、狙っている魚でなく、持って帰りたくない、ふぐ、べら、スズメダイ、コッパグレ、などである。

魚が、餌を食べている音は、大切な大物を寄せる儀式である。

小魚に食べさせると、そのグチャ、グチャいう音が、まわりに反響し大物が寄って来る。水の中の音は、大気より伝達力があるためだ。

 太陽が水平線を真っ赤に染め、徐々に黄金色に変化して、海にとろけ込むようになる。まわりが薄暗くなると。小魚の当たりがなくなり、餌が針についたまま上がって来る。

しめた、待ちに待った瞬間が来る。大物が寄ってきたので、小魚は恐ろしくて退散したのだ。

より強く集中する。竿を立てて、餌の有無を確認する。餌はある。

竿をゆっくりと上下している。

う! 竿を上げると、根がかりの様に竿の先が沈んでいる。

ふっと竿先持ち上がる。

手元のリールと竿を持っている部分がゴリと言う。

重りの振動音である。

大物が針にさわって、上下に餌を動かさず、重りだけ動かした、その音だ。

竿をゆっくり10センチ程上げる。

また、食っている。竿先が上がらない。曲がったままだ。

のせ!のせ!とこころで叫ぶ。

竿先が、くわえた餌を離した反動でふっと上がる。餌を離した。

大物が、居ついてホバリングしたような状態で、餌をくわえたり、離したりしている。

その餌と僕の手は、繋がっている。

鯛が居る。その鯛と僕は繋がっている。

水中の底に間違いなく鯛が、僕の餌に食らいついている。

前歯でくわえている。

前歯に合わせて鯛を釣っても、途中で離れる確率は高い。

歯の中まで針はのめり込まない。何としてでも身に掛けなければ。

鯛が反転してくれさえすれば、口の脇に針がかかる。

のせ!というのは、走っていけ!と念じているのだ。

そうすると、鯛の体に針は掛かり、僕の竿は満月に曲がり、リールは悲鳴をあげる。

りーーーーと。

 

 三回目の、くわえだ。竿先が曲がったままだ。

えいや!と合わせる。

かかった。

こちらを向いて頭を振っている。鯛だけは、こちらを向くと、針を外したいのだろう、首を右に左に、振り続ける。ゴン。ゴンと竿が揺れる。

あれ!軽い!。

こんなはずはない。大鯛のはずだ。

首は振っているが、竿につれて上がって来る。

小さい。

あれ、小さい。

 

帰って、大物の当たりなのに掛ったのは小物ってことある?と師匠に聞くが

そんなことはないと即座に答えられた。

さすれば、あの当たりはなんだったのだろう?

 

奥が深い。ふーむ。

 

 それらの生き物たちが住む海の深みも表わさなければならない。

小島と、僕が立っている岩は明るい、海は深緑で岩に比べて暗い。

その差を鉛筆で描いていく作業が、何日も続く。

こちらは鉛筆書きなので、ひと動きに一本の線しか引けない。

その積み重なりで、面を暗くする。

マーラーの5番をかける。音が鳴っていても時々しか音楽を聞いていない。

ぐっと来るフレーズに声を合わせてうなる。音楽を聞きながら絵を描くことが、集中の秘訣と思っている。

 画面に集中する。小島は、奥の大きな小島と、手前の小さな島とあり、その間を、水路となって水が行き来している。風は東から西に、画面では左から右に吹いている。

その為、磯の左側は波立ち、右側は鏡のように平らな所がある。

水路から小さな波が立っているが、周りは濃い。

小島の向うには、広い海が水平線まで続いている。間に潮目が何本かある。

手前には、僕が立って見ている岩棚、そして、小島までの海。

この島と岩棚の間に有る海を、今あるその海の様に描きたい。

この認識は、前景としては現れてこない。

ただ、右手と鉛筆だけが動き続けている。

目は画面に集中し、空間は、音に満たされ、見たまま、それだけを、もう、何も考えることなく、手だけが動き続ける。誰が描いているのか解らない状態である。

深さを表す暗いみどり、そこにうねりが入っている。

うねりの上には、小波が立つ、その小波の上に、左から吹く風にあおられて、海の表面だけ風に影響された薄い被膜部分の波。スーと左から表面が揺れる。

それらの動き続ける海、まるで生きているように生動する海。

自然はなんと饒舌なんだろう。

一か所、一か所に生動の意味がある。

その海の中に、微生物からプランクトン、小魚、岩に付くサザエ、アワビ、貝、カニ、海藻、そして海牛、ひとで、うに、透き通った海ではそれらが波間にゆられて、こちらを見ている。

見るつもりになれば、自然の息吹きが聞こえてくる。

それらのすべてを描写したい。

 

 描写とは言祝ぐことかもしれない。

あなたは、美しい。美しいあなたをそのまま表したい。

早春賦の、賦とは、事物を羅列して言祝ぐことだったという。

山があり、木々があり、花が咲く。

花は、純白あり、深紅にそまるものもある。

しろい昼の月が輝き、透き通る青い空がある。というように、羅列する。

言わば、写生である。

写生の本義は、つまるところ、自然の賛美であるのだ。

あなたはこんなにも美しい。

あなたを歌わないではいられない。

それが、生の意味となり、生の充足となる。
 
 
追記
今になって思えば、魚釣りも絵を描くことも、修行だったと思う。
楽しみで絵を描き、楽しみで魚釣りに出かけていたと考えていたが、海の中を想像し、流れを感じ、海中の高低差を探し、魚が通る道を探し当て、水の温度による魚の活性を感じ、座禅を組んでいるように、意識が自然と一体になるように緊張を持続させる。
緊張が切れたら魚は釣れない。
 世の人は、のんびり魚釣りいいですね、と言うが、とんでもない、緊張しに行くのが、楽しみなのだ。
それからが、釣りの本番なのだ。
鯛も、石鯛も、簡単に釣れるものではない。
僕を師匠と呼ぶ釣り友は、我流を通して何十回もの釣行でも、一匹も釣れない。本当に一匹も釣れない。
1段階2段階と修行を納めて、3段階4段階を目指して上手になる。釣り友よ、修行は厳しいのだ。
それで、ハタと気が付いた。
日頃の政治や経済の苦悩や、思い通りにならない腹立たしさや、自分の行動の後悔や、身にからまったどうしようもないと思い込んでいることごとは、いやだなーと思うのでなく、修行だと思えばいいのだ。
段階をあげていく。
ウツっぽく内省していても、同じことの繰り返しなのだから、
そうだ、修行と思おう、いくらか元気が出てくる気がしてくる。